第5話 濃いコーヒーの香りで
休日はコーヒー豆を引く。私は趣味の少ない人間だけど、これは週末の楽しみの一つだ。
引き立ての豆を、コーヒーミルから取り出す瞬間はむせ返るほど香りが強くて、これを嗅がなきゃ私の休日が始まらない。ゴリゴリと豆をひいていたら俊介がベッドから起き出してきた。
「洋子さん、おはよう、早いね」
まだ眠たそうな顔で、目をこする。
「無理に起きなくていいわよ、私はこれが日常だから」
「うん、でもなんかいい匂いがして」
そう言いながらテーブルにつく。
「飲む?コーヒー」
「えっ、淹れてくれるの!?ありがとう!」
迷いなく食いついてくる。
台所ではシュンシュンとヤカンが音を立て始めた。ちょうど2カップ分は出せるだろう。
ソファに二人ならんでコーヒーを飲んでいると、なんだか不思議な気持ちにさせられる。
「あんた、そういえばテストは大丈夫だったの?うちに引っ越してきたり、バタバタしてたけど」
湧きたてのお湯で淹れたコーヒーが眼鏡を曇らせたので外す。普段はコンタクトをしているが、休日は疲れるのでなるべく眼鏡で過ごすようにしている。
「うん、大丈夫だよ。僕って洋子さんが思ってるより要領よくやる方だから」
そう言うと、俊介はコーヒーをすすった。
私が思ってるより?
うん、そうね、俊介に「要領」という言葉は似合わない。
だって俊介はいつも要領とか合理性とか関係なく、ただ、与える。相手に施し、素直に伝える。そういうの、私には出来ない。
私が黙っていると、俊介がポツリと言った。
「僕にしてみれば、洋子さんは賢いけど、だから不器用なんだ」
「不器用?」
予想外の言葉に思わず聞き返す。
「洋子さんはね、自分で考えて完璧にしようとして、それで時々やっぱりこれじゃ無理だって手放したり、すごく疲れたりしてる。本当は、失敗したっていいし、自分がやりたいならやってみていいのに。すごく賢くて、色んなことが分かっちゃうから、やるより前に回避しちゃうんだ」
私は、ただ俊介の言葉を聞いていた。
脳が理解するのには少し時間がかかるのに、妙にストンと心に落ちていく言葉たち。こんな風に自分のことを他人に分析されるのは、初めてだ。言われてみて、そうかしら?と思うのに、そうかもな、とも思う。
「なんで、そんなこと……」
「わかるよ」
俊介は、笑った。
「僕は最初から洋子さんのことしか見てないから」
ゆっくりとコーヒーカップをテーブルに置く手は、指が細長くてキレイだ。
「洋子さんさ、あの合コンのとき、僕の先輩のこと気になってたでしょ」
「へっ?」
急に変わった話に、またすっとんきょうな声がでる。
「最初に正面に座って、会話してたよね」
思い出した。
そう、たしかにあの日、一番最初に話した男性は背筋がまっすぐ伸びていて、柔らかい口調でゆっくり話ができそうな人だと思った。
「せっかくいい感じだったのに、洋子さんのお友達が先輩のこと狙ってたから譲っちゃった。洋子さんらしいよ」
「あんた、そんなことまで……」
「洋子さんが言えば、先輩はきっと連絡先も交換してたと思うけど」
「いいの、別に。もうやめてよ、終わったこと話すの」
今更、あの時自分がどう思ってたかなんて話されるのは気恥ずかしい。別に、合コン当日にあった人だ。友達とややこしいことになるくらいなら、始まる前にやめといたほうが得策だと思っただけだ。
「僕は、そんな簡単に洋子さんのこと手放したりしないからね」
そう言うと、俊介はいきなりキスをした。
「ちょっと…」
触れるだけよりも、もっと深いキス。珍しい。
強引そうに私の腰を引き寄せた手は、こんなときでもそっと触れていて優しさが残っている。自分の欲望をぶつけるだけの絡まりではなく、私に息をつかせながらまた続ける。
――あ、コーヒーの匂い。
私も同じものを飲んでいるはずなのに、俊介とキスをしていると、深いコーヒーの香りがした。これは俊介の?それとも私の?どっちでもいいけど、落ち着く香り。
気がつくと、俊介はキスをやめて顔を覆っていた。
「……ん?終り?」
「いや、洋子さん……」
耳が赤い。
「なに?照れてるの?照れるならキスなんかしなきゃいいのに」
今更、何をそんなに照れる必要があるんだろう。
「洋子さん、なんでそんなされるがままなの……」
「は?」
眉をひそめると、ギュッと抱きしめられた。
「あぁ、うぬぼれそう……」
そうつぶやく吐息が首筋にかかってゾクリとした。
「もう、暑いから離して……」
そう言って私より一回り大きな体を押しのけると、俊介はまた笑って、今度は軽いキスをした。
文句も言えない 冬月 mai @fuyutukimai
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