episode.5

 瞬間。


 テレビ画面の奥の方、部長机あたりから声がする。そして、やや遅れて箱の中から崩れ落ちるようにして星咲ほしざきが出てくる。


「おまっ……!」


 まずい。


 元々この計画は「冬野とうのが星咲の存在に気が付かない」という前提のもとで成り立っていたものだ。そこには冬野が現代文化研究部の部室を良く知らないということも含まれているが、今のように星咲が箱から出て来たり、物音を立てたりしないという前提条件も含まれている。


 そうすれば冬野は何も知らないまま部室で放課後を過ごし、暫くしたのちに春彦はるひこがそれとなく連れ出した上で、星咲が部室から脱出する。それが今回のシナリオだったのだ。


 だが、こうなってしまうと、そのシナリオは根底から音を立てて崩れ去ることになる。


 事実冬野は星咲と春彦を交互に眺めている。その目に疑惑をたたえながら。


「と」


「ゴメン!」


 春彦の言葉をわざと遮るように、星咲は頭を下げて謝る。


「冬野さんがやけにほら、春くんと親し気にしてるから、気になって。それで、春くんからここに興味を持ってるって聞いたから、つい。本当にゴメン!」


 もう一度頭を下げる。


 そんな姿を見た冬野は困惑し、


「え、ええっと……あなたは?」


 その声は中途半端だった。演じるでもなければ、素のままでもない。作り切れないハリボテの仮面が張り付いている。


 星咲は苦笑いしながら、


「そっか。そうだよね。私はね、六花りっか。星咲六花。春くん……日下部くさかべ春彦の幼馴染で、一応冬野さんと同じクラス、だけど……流石にまだ覚えてないよね」


「そんなことは……」


「正直に言って良いよ。一日目だもん。覚えきれないよ。少なくとも私なら無理だな」


 冬野は大分迷った挙句、


「…………覚えてなかった、です」


 星咲はまた苦笑し、


「です、は要らないよ。同級生だし」


「えっと、はい」


 星咲は「うん」と軽く頷き、


「それで、話を戻すとね。私が悪いの」


「え……?」


「ほら、さっきも言ったでしょ?春くんと親し気にしてるから気になったって。私、春くんとは幼馴染でさ。だから、知ってるんだ。仲のいい女子なんていないってことくらい。なのに

突然現れて、すっごく信頼してるっぽかったから、どんな人なのか気になって、つい」


「ハル……日下部くさかべくんには聞かなかったの?」


「聞いたよ。だけど、春くんの話す冬野さんと、クラスでの冬野さんが、余りにも噛み合わなかったから、これはもう、自分で確かめるしかないなって思って」


 冬野は視線を倒れた段ボール箱に移し、


「……それで、あそこに隠れたのね……」


「そう。ホントにゴメン。盗み聞きみたいなことして」


 再度頭を下げる星咲。


 そんな一連の流れを、春彦はずっと黙って見つめていた。


 いや、見つめざるを得なかった。


 星咲六花は基本的にマイペースだ。それこそ春彦がどれだけ盛り上がっていても無視を決め込むし、かと思えば焦っている時には冷静なアドバイスをくれるし、落ち込んでいるときや、動揺している時は必ずといっていいほど、夕食に招待してくれる。彼女はあくまでマイペースに、しかし冷静に状況を見極めて判断を下し、そのタイミングで最善と思われる選択をする。


 そんな彼女が今、全ての責を負おうとしている。


 理由は簡単だ、その方が丸く収まるからだ。


 例えそれが、偽りだったとしても。


 どれくらいだろう。永遠とも思える沈黙の後、冬野が、


「……いいよ」


「ホントに?」


「うん。まあ、許すも何も、聞かれちゃったのは忘れさせられないしね」


「誰にも言うなっていうなら、そうするよ」


「そうね、それはお願い。それと…………」


 暫くの間があき、


「…………なんでもない」


 星咲は首を傾げ、


「そう?」


「そ」


 星咲は口角を上げ、


「ならいいや。それでさ、話、変わるんだけど。今日の晩御飯ってどうするか決まってる?」


「え?晩御飯?」


「うん、晩御飯」


「いや……別に決めてないけど」


「そっか。それだったらさ。一緒に食べない?」


「一緒にって……星咲の家でってこと?」


「嫌?」


「嫌……ではないけど……」


 嘘だ。


 絶対嘘だ。


 間違いなく嫌なのだ。


 春彦は助け舟を出すように、


「葵」


「何?」


 何故か今までより低いトーン。星咲に向ける優しさを少しでもこっちに向けてほしいものである。まあいい。


「いや、お前ってもしかしなくても一人暮らしだよな。んで、引っ越してきたばっかり」


「そうだけど……」


 怪訝な表情をする冬野。一方で星咲は何かに気が付くように、


「それだったらさ、片付けとか大変でしょ?」


「別に……」


 顔をそむける冬野。こういう時は分かりやすい。間違いなく彼女の部屋には未開封の段ボールが積みあがっているはずである。


「だったらさ、手伝ってあげるよ。んで、ついでに一緒に晩御飯食べようよ。私が作るからさ。ね?」


「い、いいよ」


「大丈夫。こう見えても私、料理には自信があるんだから」


「でも、ホント。大変よ?やめておいた方がいいわよ」


「そんなことないよ。そりゃ、一から十までは無理かもしれないけど、少し手伝うだけでも、ね?それとも、私が部屋に行くのは嫌?」


「そんなことはない……けど」


「それじゃ、決定だ。冬野さんの家ってこのへん?」


 勢いに押されるようにして頷く冬野。星咲はうんうんと納得し、


「それじゃ、一旦解散して、また学校前に集合しようか。各々準備もあるだろうし」

 春彦は思わず、


「俺は特に準備することなんて、」


 ガシッ。


「春くんは。私の手伝い。色々持ってくものあるから」


 思いっきり腕を掴まれる。正直痛い。お前黙ってろという無言の圧力を感じる。


「じゃ、えっと……十七時くらいかな。それくらいに正門前ね。何かあったら春彦に連絡してくれればいいから。それじゃ。ほら、鞄持って」


 有無を言わさぬ言動。こういう時の星咲は頑固だ、春彦は口答えすることなく自分の鞄を持ち、


「えっと……また後でな。あ、テレビと本体の電源、それから部室の電気だけは消してから出てくれ」


「……ここの鍵は?」


「開けといていいよ。多分、当直の教師が閉めると思うし」


「……分かった」


 その言葉にはさっきまでの力はない。拍子抜けといえば拍子抜けだが、安心したのも又事実である。


「んじゃ、またな」


「ん。また後で」


 ゆっくりと部室の扉を閉める。その間、冬野の視線はずっと春彦たちから逸れることは無かった。



               ◇



「六花?」


 無言。星咲は春彦の前をひたすら早足で歩き続ける。


「六花?六花さん?」


 やはり無言。部室を出てからずっとこうだ。流石に腕を鷲掴みにされているという状況は脱したものの、今度は一切口をきいてくれなくなってしまった。


「おーい。六花―」


 そんな呼びかけに星咲は漸く、


「外出てから」


 たった一言。ただ、そこからは怒りも焦りも悲しみも感じない。淡々とした、いつもの星咲らしい口調だった。


 やがて、二人が正門を出て、学校の敷地を出ると、


「ゴメン!」


 春彦の方を振り返り、両手を合わせて、拝む。


「ホントゴメン!ミスった!」


 その謝罪は言うまでもなく、先ほどのことだろう。当初の予定では、冬野が一度部室を後にするまでは星咲が出てくることは無かったはずなのだ。


 ただ、予定は予定だ。


 ミスも出るし、計算外の出来事だって起こる。


 だから、


「いや……それはまあ、いいんだけど……良かったのか?」


「何が?」


「いや、だって元はと言えば言い出したのは俺だろ?」


「でも、知りたがったのは私。違う?」


「それは……そうだけど」


「だから、責任を被るのも私だけ。だからいいの。それに、あの場を丸く収めるにはそうするしかなかったしね」


「それは……」


 間違いない。


 これは直前に起きた、冬野との言い争いのことだ。それを丸く収めるにはどうすればいいか。簡単なことだ。不測の事態を起こしてうやむやにしてしまえばいい。実際、冬野は怒りのぶつけどころを失って、あれ以降春彦に対しては”いつもの冬野葵”として接していた。これで何も問題はない。そう、


「でも、六花は冬野に嫌われたかもしれないんだぞ」


 星咲自身のことを考えなければ。


「そんなことないよ」


「そんなことあるから言ってるんだ。六花はまだ葵のことを知らないから、」


「そんなことないよ」


 二度目の否定。その表情はあまりにも穏やかで、そして優しさに満ちていた。


「そんなことないんだよ、春くん。冬野さんはね、私のことを嫌ったりはしないんだよ。それに、仮に一度嫌われたとしても、またきっと仲良くなれると思うよ」


「何でそんなこと……」


 星咲はふふっと笑い、


「さあ、なんでだろうね?」


 くるりと翻り、歩き始める。春彦は追いかけるようにして、


「なんでだろうねって……適当だなおい」


「適当じゃないよ。でも、理由は秘密」


「秘密って……」


 星咲が春彦に、秘密。


 珍しいことだ。


「ねえ、春くん」


「なんだよ」


「私ね、ずーっとこんな日常が続いてほしいなって思ってるんだ」


「?何だよ急に」


 星咲は春彦の言葉は聞えなかったかのように、


「だからね、冬野さんとは友達になりたいんだ。それで、ずっと友達でいたいんだ」


「友達ねえ……あいつの友達とか苦労するぞ?」


「でも春くんはやってるじゃない。冬野さんの友達」


「それは……たまたまだろ」


「同じ作品のファンだから、とか?」


「……否定は出来ない」


 星咲は「んー」と言いながら大きく伸びをして、


「私も読もうかな、それ。何だっけ、タイトル」


「『新月の夜をもう一度』だ。タイトルも覚えてないのによく読む気になるな……」


「あはは。でも、そういうこともあるよ。うん」


 一人で納得して頷き、


「新月の夜をもう一度……新月の夜をもう一度……新月の夜をもう一度……よし、覚えた」


「流れ星にでもお願いしてるみたいだな……」


「いいね。流れ星。流れないかな」


「ないだろ。今日曇りだぞ」


 二人して空を見上げる。そこには一面の星空など広がってはいない。あるのは雲と都会の明るさに覆われた退屈な空と、そんな退屈さに抗うように、微かな輝きを放つ月だけだ。どうやら今日は新月ではないらしい。


 星咲はわざと春彦に聞こえないよう、小さな声で、


「……もっと自分を信じなよ」


「ん?なんか言ったか?」


「ううん、なんにも。それよりさ。春くん。冬野さんの好きなものとか分かる?」

「好きなもの……って食べ物だよな?」


「そ。出来れば飲み物も知りたいけど」


「そうだな……」


 春彦は腕組みをし、


「小学生男子が好きそうなもの?」


「は?」


「いや、マジで。あいつと一緒に昼食った時に食べてるものって大体そんな感じだからさ。ラーメンとか、ハンバーグとか、カレーとか。野菜とか絶対頼まないし」


 星咲は疑い半分で、


「え、マジなの?」


「マジマジ。だから小学生男子が好きそうなものなら大丈夫なんじゃないかなーって」


「なるほどね……」


 星咲は手を顎にやって考え込み、


「うし、決めた」


 春彦の方を振り返り、


「春くん。ちょっと遠回りになるから、もしかしたら遅れるかもしれないって冬野さんに連絡しておいてよ」


 そう告げる。その顔はいつもよりもちょっとだけ明るいように見えた。

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だから僕は彼女《ヒロイン》に恋をする 蒼風 @soufu3414

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