第1話 竜に魂を売った人々

 北西の方角に生い茂る森林は、誰も立ち寄ることが出来ないほどの緑が侵入者を拒んでいた。この死の山は登ったら最後、戻ってくる者はいないといわれるぐらいの高さで、面白半分で登る者は誰一人としていない。霧は非常に深くて、風で煽られる木々すらもまるで死者が呼んでいる声のようだった。

虫は生き物の死骸にたかっていて、食べることで命をつないで、動物たちは、本能のままにそこに生きていた。鹿は、非常に耳が大変良く、視力も人間並にあるため、少しの音でも、その場に立ち止まって辺りを見渡し、危険から身を守るためにあらゆる五感を動かすのだ。

噂をしてみれば、誰かが森の外から歩いてきた。…ほら、二足歩行の動物、人間だ。

笠を被り、この地を登るための木の棒を持ち、森の中をひたすらあるく男性。異国の服装で、肩から下げるバックの荷物からして旅人のようだ。背中には、竜の鱗のような柄をしたマントを羽織っていた。地にしっかりと足を踏みしめて、大きな坂を上り詰めていった。その先に待っていたのは、階段坂にそびえる小さな寺だった。それを確認すると、ためらう事なく、そこをひたすら登っていった。

 

 寺の目の前まで行くと、鉄の門を叩いた。

-ドン、ドン。

返事はなく、再び、門を叩くと、中から誰かの声が女の聞こえてきた。


「そんなに大きい音を出さずとも、この森に貴方様が入られたときから気づいておりました。どうぞ、中へお入りくださいませ」


その声に、旅の男はゆっくりと門を開けた。中にいたのは竜の形をした像のお釈迦様に合掌をしている法師の姿だった。女はゆっくりと目を開けると、再び閉じた。


「長い旅の間、よくぞこの寺に参られました。薄汚い場所ではありますが、どうぞその疲れた羽をお癒やしになられてください。お釈迦さまも喜ぶことでしょう」


旅の男は、寺の辺りをよく見た。外観はさほど古い建物ではない、しかし、中のお釈迦様や、床の黒さや穴は非常に目立った。部屋の端には蜘蛛の巣がたくさん張られていて、何より、木が腐っているせいか匂いも消もある。以前の時代は、法師は各地を旅し、こうした廃墟になった寺をきれいにするはずだが、時代とともに消えていく、神の仏を信じる者もいなくなっているということだろうか…。


旅の男は、門を開けたまま、法師に語りかけた。


「…この森には、もう人さえ寄せ付けん。それほどまでに人は神から離れていっているのだ。しかし、そんな世でも、仏の道を信じてこの忘れ去られた地へ参られるとは、私も、そなたも、まだまだ捨てたものではありませんな」


「いいえ、私達には時間がありません。法師も、那瑛なえいも滅ぶゆく者。それは人々が神にもう一度信頼の意を評さぬ限り、私達は、終わらぬ定めをさ迷うしかないのです。怒っているのです、大空に舞うあの声が聞こえますか?」


旅の男は、よく耳をすましてみた。するとどこからもなく、遠くの方で獣のうめき声が聞こえてきた。寺の外に出て、鳴き声がする方角を見た。霧のせいでよくみえないが、目を凝らして見つめると、北西の空には竜の大群が渦を巻くように飛び交っている、あれは人を喰べると言われる竜の蘿媽那らぼなの姿だった。6つ足を持ち、から全体が棘のような茨を持つ体に目は、ルビーのように赤く染まる。人喰いだけであって赤という色は殺しの警鐘なのだ。


「本来、大昔は人など食べぬ温厚な竜だった。人々の生活を支え、神として、扱われ、平和に暮らしていた。いつしか、このようなことになったのか…」


不吉な声に、旅の男は、寺の中に再び入った。


「法師殿、尋ねたいことがある。ここ数日で他の那瑛族なえいぞくがここを訪れた者はおらなかったか?もし知っていたら教えてほしい」


法師は、そのまま黙りこんでしまった。


「そうか、私以外にはもうおらぬか…。世話になった、失礼する」


この世にはいないと分かった瞬間、旅の男は寺を後にしようと出ていこうとした。


 すると法師は合掌をやめて、去っていく男に対して、「お待ち下さい」と声をかけ、静かに手を膝の上に置くと、落ち着いた声でこう言った。


「異質な方でした。四日前にこの寺を後にしましてね。私に一つの握り飯を置いてお行きになさった那瑛族なえいぞくでした」


言葉に反応し、男は立ち止まって話を聞いていた。


「これを食べなさい。でないと死んでしまう」この言葉を言い残して去っていきました。風来坊のように突然現れて、拝見したかぎりだとまだお若い那瑛様のようでした」


男は、その那瑛族なえいぞくの行動に違和感を覚えた。


「法師殿に握り飯を?違法な行為だ」


「そうなのです。きっぱりお断りしましたが、どうしても置いていくと言うので。一見恐ろしげな雰囲気をお持ちだなと思ったのですが、あの方の目は、物事をまっすぐ見られておられる。そんな気がしましたもので」


法師はくすっと笑いながら話していたが、男は違和感な感覚が消えることはなかった。そんなことが許されるのだろうか。法師に飯を与える那瑛族なえいぞくなど聞いたこともないし、そもそもその行為事態も許されてはいない。


男が再び尋ねた。


「名はお尋ねになったか?」


「いいえ。それにしても、あんなにお若いのに、那瑛の力を持って旅に出られておられるとは、さぞや、蘿媽那様らぼなもアシノア様もお喜びになっておられるでしょう。彼女の旅に、幸多からんことを」


法師はそのままお経を唱え始め、合掌を再び初めた。

男は、再び、北の空にいる蘿媽那らぼなの群れをじっと見つめると、そのまま寺を後にして去っていったのだった…。

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