「ヘイトポルノ」に陥らない。近づかない。
「なろう系はゴミ!」
「ああいったものが流行るなんて、間違っている!」
という、いわゆる、ヘイト記事をよく目にすると思う。
それだけではなく、ちまたでは政府や芸能人を罵ることに心血を注いでいる人は多い。
オレ的に、
「誰かを叩く行為というのは、快感」
になって、習慣化しているように思える。
「とりあえず気持ちよくなりたいから、誰かを叩いておこう」
「こいつは叩きやすい」
といった感覚で、蔓延しているようにみえる。
そういった現象を、「ヘイトポルノ」というらしい。
感動の押し売り、いわゆる「感動ポルノ」の逆だ。
オレも昔はこんな感じで、作品の何が面白いのかわからなかった。
しかし、頭では理解できていないだけ。
自分が理解できないからといって、「駄作認定」はしなかった。面白おかしく茶化すこともない。
できるだけ、良さもちゃんと探すという行為はしていた。
それが、今の価値観を生んでいるんだと思う。
自分が理解できないものを改善しようと、世間に訴えかけるのは、
「まるで自分が世界をコントロールしている」
ようで、快感を生むのだろう。
だが、それは必ず自分に跳ね返ってくる。
クリエイターなら、作品という形で復讐されるのだ。
自分がけなした展開にせざるを得ないとき、筆が止まるのである。
また、専門家によると
「全体的に見て、アンチは1割にも満たない」
「アンチの大半は、自分を成長させるつもりもない暇人」
という見解がなされているという。
けなしていいのは、けなされる覚悟のあるやつだけだ。
本気の批評家は、自らも批難の矢面に立って、世に訴えかけている。
バカにされることもわかっているのだ。
批判が正しければ、自分で反省し、修正していく。
しかし、多くの人は言い返されると逃げる。
批判を受ける覚悟がないから。
ならば、最初からいうべきではない。
「自分の意見こそ正しい」と思っているのは、いった本人だけ。
賛同者はいるかも知れないが、そいつが間違ったことと認識すれば、すぐに手のひらを返す。
もし、ヘイトポルノを見かけても相手にしないことだ。
たしかに、自分の好きな作品を批判されるのは気分が悪い。
といっても、相手の口に戸は立てられない。
無視して、作品を同様に愛してくれる相手と接したほうが、精神的にも楽だろう。
歩み寄りの余地がない限り、わざわざ近づく必要はない。
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