5-9 親子対決
さやかはいつものカフェに舞香を誘った。スタッフ一同で出した回答が、どうも腑に落ちていない様子なのが気になっていた。
「マイさん、あの回答にどこか疑問を感じているんじゃないですか?」
「そう。……でも、漠然としていてどこが腑に落ちないのかわからないんです。ほら、刑事ドラマでよくあるじゃないですか、物証は揃ってるけど刑事のカンがノーと言ってるみたいな。杵口さんが挙げていた点以外にもあったんですよ、衣擦れの音とか、椅子がきしむ音とか、2トラック目の方が人間の演奏である〝証拠〟が。……でも、あの蔵野江仁がそんなに簡単に見破られる出題をするかなあって思うんですよ。思い過ごしでしょうか?」
思い過ごし。そうでないとさやかには言い切れない。確かにこれまでの蔵野江仁の行状に鑑みるなら何か仕掛けている気がしてならない。しかし
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それから数日後。蔵野との約束の日がやってきて、マーシャルとさやかは有楽町のレクサスにやって来た。蔵野は前回と同じ台のところに着座していた。
「……その自信満々の表情を見ると、
結論は出たようだな。答えを聞かせてもらおうか」
マーシャルが襟を正して答える
「はい。2トラック目の方が人の手による演奏、1トラック目は自動演奏によるものです」
「その心は?」
「蔵野さんの言うとおり、自動演奏装置は上位機種のプロモデルで、実際の演奏と聞き分けがつきません。でも、2トラック目の方には僅かに奏者の呼吸の音が入っていました。それと1トラック目の方は調律が僅かに狂っていました。これは1トラック目を後から弾いたからです」
「それがファイナルアンサーか?」
「はい」
マーシャルは自信満々に言った。そして蔵野が「では正解を……」と言うやいなや、さやかの携帯がけたたましく鳴った。
「あ、マイさん?……今蔵野さんと一緒ですけど……え、なんですって? ちょっと待ってて」
さやかが携帯の通話口を押さえる。「なんか北嶋舞香さんが、カノクラシックスの試聴室に来て欲しいと言ってます。あ、蔵野さんもですよ」
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さやかとマーシャル、そして蔵野はしばらくしてカノクラシックスに到着した。すでに待っていた舞香は立ち上がり、蔵野の前へと進んでいった。さやかには二人の間に激しい火花が飛び散っているように見えた。
「何だね、こんなところまで呼び出して。用があるならそっちから出向きたまえ」
「こちらから出向いて、またあなたに追い出されるのは嫌ですから」
舞香は蔵野から視線を外し、全員に向かって話した。
「私はここにいる蔵野江仁の挑戦を受けました。だからこうして私自身の口でその挑戦に受け答えたいと思います」
「まどろっこしいことはやめたまえ。さっきリュウ氏の口から君たちの回答は聞いたぞ」
「それはまだファイナルアンサーではありません。……結論を急ぐ前に、このCDの演奏は母の遠い親戚であるエイミおばさんのものであることを申し上げておきます。……でも、この二つの録音はどちらもエイミおばさんの弾いたものではありません」
スタッフたち一同の目に「?」マークが浮かんだ。「どういうこと?」とさやかが代表して尋ねる。
「まず、エイミおばさんが自動演奏ピアノを弾きます。そして、機械に再生させたものを録音したのが、このCDの2テイク目です」
ところが杵口は異を唱えた。
「しかし、2テイク目の方には呼吸の音が入っていたじゃないか!?」
「ええ、確かに呼吸の音はエイミおばさんのものでした。ただし、演奏中の呼吸ではありません。蔵野さんはエイミおばさんにこう言ったのではありませんか。『自動演奏の再生中、ピアノの前に座ってくれ』と。すると、エイミおばさんは自分の演奏を聴きながら、つい曲に合わせて身体を動かしたり呼吸をしたりしてしまったのです。そしてその後、蔵野さんは別のピアニストを呼んでこう言ったのでしょう。『この自動演奏の真似をして弾いてくれ』と。演奏を完全に耳コピするには時間がかかります。そこで一定の練習期間を設けてよく練習してもらい、完璧に真似弾き出来るようになってから録音したのが1テイク目です。調律は録音の直前にやり直したのでしょう。そして、ピアニストにはマスクをしてもらったり、柔らか目の服装をしてもらって、極力雑音が出ないようにしたのでしょう。こうして蔵野さんは、あたかも自動演奏に聞こえるようにトラップを仕掛けたんです。そうですね? 蔵野さん」
蔵野は半ば不愉快そうに答えた。
「……推理としては面白いが、そう言うからには何か証拠でもあるのかね?」
「証拠という言葉が適切かどうかわかりませんが、……エイミおばさんの左手の小指、鍵盤を押さえた時に第二関節が凹んじゃう……いわゆるまむし指なんです。ピアニストを目指す人がまむし指になると必死で矯正するんですが、ほとんど独学だったエイミおばさんにはそれを矯正する機会がなかった……」
「それが何だと言うのだね」
「エイミおばさんのベース音って、たまにひしゃげた音になるんですが、それはまむし指の特徴なんです。使用された自動演奏ピアノは上位機種だったので、そんなところまで再現されてしまったんです。ところが、真似して弾いたピアニストはエイミおばさんにリスペクトする気持ちがあったのでしょうか、どれほどそっくりに真似しようとしても、欠点まで真似する気持ちには至らなかったのです」
舞香がそう言い放つと、しばらく沈黙が流れた。正解なのか? さやかがヒヤヒヤしながら事態を見守っていると、蔵野がパラパラと拍手した。
「私の負けだ、舞香。リュウ社長の言うように、おまえが立派になったことを認めよう」
「それでは、調律の方は?」
マーシャルが期待の目をもって蔵野を見る。
「……だが私は長年サボっているせいで腕がなまっている。いきなり今日明日に腕が復活するとは思えん。だから……杵口君、私の指図で君が調律したまえ」
「……え!?」
いきなりお鉢が回ってきて、杵口は戸惑いを隠せなかった。
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