5-8 追試

 さやかと舞香が凍りついている横で、マーシャルの顔が明るくなった。

「それはちょうどいい。何しろエヒトクラング……もとい、蔵野江仁氏はこちらの北嶋舞香さんのお父上であられるからな」

 舞香が慌てた。

「ちょっと待って下さい。私はあの人とは親子の縁を切っていて……」

「それは何か書面で手続きでも取ったんですか。勘当されても法的には親子関係が解消されたことにはならんのです。私の知る限り、少なくとも日本の法律ではそうなっている筈ですよ」

「で、でも……」

「北嶋さん、蔵野江仁氏があなたを追い出したのは彼なりの親心というものです。芸の道を行くのは生易しいことではない。しかも、世間で認められにくいスタイルとなると尚更のこと。もし甘えの気持ちが少しでもあれば、潰されてしまうでしょう。彼は突き放すことで、あなたに覚悟の気持ちを固めさせたのですよ」

 さやかは、蔵野江仁がそこまで立派な人物だろうか……と首を傾げるが、舞香は真剣にマーシャルの言葉に耳を傾けている。

「世界各国の〝ピアニストの卵〟を見てきた私が保証します。北嶋さん、あなたは既にお父上を頷かせるくらい立派になった。だから、その姿を見せてこそ、恩に報いることになると思いますが」

 マーシャルの言葉は舞香の心をとらえた。彼女はコクリと頷いた。


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 さやかはマーシャルを連れて有楽町のパチンコ屋レクサスを訪れた。いくらなんでもそんな場所に、とさやかは思ったが、マーシャルは蔵野江仁とサシで話がしたいと強く願い出たのだ。

 彼らがレクサスに入店すると、幸いなことに、比較的入口に近い台で蔵野はプレイしていた。だが例のごとく、近づいてもまるで無視である。そこでさやかは蔵野の耳に口を近づけて、大声で呼びかけた。

「あの、すみませんっ!!」

 蔵野は飛び上がり、振り向く。

「なんだね、私の大切な商売道具を壊す気かね!」

「あら、調律師は引退したんじゃなかったんですか。でしたら丁度いいわ、こちらの方が依頼をしたいとのことで……」

 さやかはマーシャルの方に手を差し出した。

「はじめまして、リーダーズミュージック社長のマーシャル・リュウと申します。」

 蔵野はフンと鼻を鳴らして、マーシャルの差し出した名刺を無造作にパチンコ台の玉受けに置いた。

「最近ブイブイ言わせている、楽器業界のブルース・リーとはあんたのことか」

「ブルース・リーに身に余るたとえですね。私にはクンフーの心得はございませんので……」

「……ジョークにしてはつまらんな。センスのない男だ」

 さやかは人のジョークについてとやかく言えた義理ですか、と蔵野に問い詰めたかったが、黙っておいた。

「ではジョークではなく真剣に申し上げますが、北嶋舞香さんの弾くピアノを調律していただきたいのです……彼女はあなたの娘はあなたのさんですよね?」

「何を言っているのかね、私には娘などいない。それに、そこの女が言ったように調律師は引退しているんだ。他をあたってくれ」

 するとマーシャルの目が光った。

「蔵野さん。あなた、舞香さんが出ていった後にパリのノートルダム寺院で願掛けしたそうじゃないですか。『娘を立派なピアニストになしたまえ。それまで調律師からは身を引く』と」

 蔵野の顔色が変わった。おそらく事実なのだろうとさやかは思った。

「やはりつまらんジョークにしか聞こえんな。そんな願掛けをするバカがいたとすれば、ノートルダム寺院が焼失したのはそいつのせいだろう」

「それは違いますね。神はその願掛けを聞き届けられましたよ。娘さんは立派なピアニストに成長しましたよ」

「あれがしただと? それはに堪えんな。何を根拠にそんな戯れ言を?」

「彼女をプレイヤー兼プロデューサーとして採用する際、厳しいテストを行いましたが、彼女は見事にそれをクリアしました」

「君たちのテストなどあてにならんな。……そもそも君たちの耳が確かなのか、私が直々にテストしてやろう」

 蔵野はバッグの中から一枚のCDを取り出してみせた。「ここには同じ曲が2テイク録音されている。一つは生身の人間が演奏したもの、もう一つは自動演奏ピアノで再生したものだ。機械と言っても上位機種のプロモデルで録再生したもので、そうやすやすと聞き分けはできないが、それが出来るかが私のテストだ。北嶋舞香も、君たち企画のスタッフも一緒になって考えるといい。期限は一週間。その時ここに回答を持ってきたまえ」

 それから蔵野はまたパチンコに没頭し、もはやマーシャルとさやかに目をかけなかった。


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 カノクラシックスの試聴室にマーシャルをはじめ、狩野、杵口、舞香そしてさやかが集まった。マーシャルの手には蔵野から託された一枚のCDがある。

「それではかけてみましょうか」

 マーシャルの手から狩野の手に渡されたCDは、静かにプレイヤーのトレイに載った。そして、カシャカシャという機械音の後、ピアノの音が流れ始めた。

「これは……」

 舞香が目を丸くした。「エイミおばさんの即興演奏!」

 つまり、即興の名手である〝エイミおばさん〟が即興している様子を、かたやマイクで拾って録音し、かたや自動演奏装置で記録レコードしていた……そしてあらためて自動演奏ピアノを再生して録音したということであろう。機械と生身の演奏者……わかりそうで、さやかには全くわからない。狩野、杵口、舞香といった耳の肥えた面々も即断は難しいようで、何度も繰り返し聴いては頭を悩ませている。

 だが、数十分聴き続けた段階で杵口が「あ、ちょっと待って下さい、今のところをもう一度再生して下さい」と言った。それは2トラック目のフレーズの切れ目の部分であった。狩野が操作してその箇所を再生してみると……

「あっ!」

 狩野と舞香が声を上げた。「かすかに息の音が聞こえる!」

 狩野はさらにイコライジングして息の音を強調させた。すると、2トラック目の方は何度も息の音が聞こえるのに対し、1トラック目の方ではそれがなかった。杵口はそれに加えて調律の狂いも指摘した。

「2トラック目は調律されたばかりという感じですが、1トラック目の方はほんの僅かに狂っています。そう考えると、時系列的にも2トラック目の方が先に録音されたものだと言えます。つまり、2回目の方は実際の演奏を録音したもので1トラック目は自動演奏による再生と言う結論になります」

 それを聞いたマーシャルが手を打った。

「それでは、蔵野氏への回答は2トラック目が実際の演奏、1トラック目が自動演奏ということでよろしいですね?」

 一同は頷いた。しかしさやかが舞香に目を向けると、どこか浮かない顔をしているような気がした。

(マイさん……この結論が腑に落ちないのかしら?)

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