5-7 衝突

 ビデオ通話の画面に映ったのは若菜が滞在しているアパートメントホテルの部屋だった。そこから画面が少し動いて、二人の顔が映る。右に若菜、左に先ほどのヴァイオリン弾きという位置付けだ。

「さやかー、この人携帯もパソコンもないって言うから、部屋に連れてきたよ。あ、この人日本語で大丈夫よ!」

「ええと、はじめまして、矢木さやかです。日本語が話せるということは、日本人ですか?」

「僕はカザマ・ムラービト、パリ生まれのフランス人や。そやけど、おかあさんがカンサイ人やねん。おとうさんはアルジェリア人やった」

 外国訛りの強い微妙な関西風日本語が、彼の素性の複雑さをあらわしている。

「そ、そうなんですか。ヴァイオリンを勉強しているんですか?」

「ヴァイオリンはちっさい頃なろうとった。おとうさん死んでから、道ばたやメトロで弾いてカネ稼いだ。それ以外、通りすがりの車の窓拭いたり、日本人の観光客に売りつけて稼いだんや」

「すると、今の音楽活動も、その一環ですか?」

「ロマの旅芸人ととっかえひっかえ付き合うようになって、ヨーロッパ中を回っとる。今のバンドは十組目くらいやけどもうそろそろ解散や。音楽的が合えへん」

 〝ホーコーセー〟が方向性のことだと、さやかが理解するまで少し時間がかかったため、本題を切り出すまで間が空いた。

「カザマさん、日本で活躍したいと思いませんか? もちろんヴァイオリニストとしてですが……」

 さやかは企画の内容についてカザマに説明した。もっとも彼の日本語力でどれくらい理解出来たか定かではないが、真剣に耳を傾けている様子だった。

「話はわかった。そやけど、あんたが信用できる保証がないとあかん。うまい話で売られていく仲間を何人も見てきたんや」

「保証……」

 と言っても今すぐに提示できる説得材料がない。考えた末……

「そこにいる一条寺若菜に聞いてっ! 私がどれほど信用できるか! 修羅場をくぐり抜けてきたあなたなら、彼女が嘘をつけば見抜けるはずよっ!」

「ちょ、ちょっと、どうして私に振るわけ!?」

 と若菜が抗議するが、さやかには彼女に頼るしかない。

「若菜、私について彼に伝えてっ! 嘘はだめよ。正直にね!」

「正直にね……あのね、カザマさん。さやかは……いつも行き当たりばったりで、あんまり考えないで行動するっていうか、人使い荒いし、金使いも荒いし、友達に迷惑ばっかりかけてるの」

「こらあっ、貶めてどうするっ!」

 だがそれを聞いたカザマは大笑いした。

「ハハハ、さやかさん、あんたが嘘つかへんのはわかったわ。日本行く話、のらせてもらうわ」

 こうして交渉成立、さやかはひょんなことから思わぬ逸材を見つけることとなった。


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 その後の段取りはリーダーズミュージック・ヨーロッパ支社が引き継いだ。マーシャル・リュウが直々に出向いてカザマがアーティストとして売り出せるか吟味した。様々な条件でオーディションを行ったところ、マーシャルの眼鏡に叶い、早速カザマを日本へ招聘する段取りを組んだ。

 ところが手続きはなかなか難航した。

 国籍はあっても放浪生活で住民登録もしていないカザマは、そのままではパスポートを取得出来ない。リュウが各方面に手を回して、何とかフランスのパスポートを取得した。だが、今度は日本側の受け入れの問題がある。アーティストをかかえるには有料職業紹介事業者という厚生労働省の許可が必要となるが、現時点でリーダーズミュージックにその資格がない。そこで、堂島エージェンシーの登録アーティストとして滞在許可の申請をすることになった。


 やがて、どうにかこうにかしてカザマは日本に入国することが出来た。子供の頃に何度か来たことはあるとのことだったが、ほとんど記憶がないらしい。〝カンサイ人〟の母親は、カザマが放浪生活を始める前後に男と暮らすようになって自然に離れ離れになったということである。

 入国して数日してから、リーダーズミュージックの新部門レコーディング課でミーティングが行われた。と言っても会議室で事務的に話し合われるようなものではなく、ピアノを囲んでブレーンストーミングをする感じだ。カザマ・ムラービト、マーシャル・リュウ、狩野敏郎、北嶋舞香が名を連ね、さやかもオブザーバーとして参加した。

 カザマと舞香がそれぞれ自由に演奏してみた。共に素晴らしい演奏で、さやかは感銘するばかりである。マーシャルはそれらを聞きながら、今回の企画はカザマと舞香のコラボイベントにしようと発案した。狩野もさやかも異存はなかったが、カザマはその案を拒絶した。

「たしかに舞香さんの演奏はええ。そやけど僕、ピアノあかんねん。誰がどう弾いても同じ音しか出えへんやろ」

 その場にいた面々は眉をひそめる。カザマの発言は的外れのようで、実は理論的には正しい。ピアノのハンマーは一本のつがいを軸に単純運動し、回転など余分な動きを加えることが出来ない。つまり極端な話、鍵盤をぶっ叩いても押しても、また指を震わせながら弾いても、音量(ハンマーの速度)が同じであれば理屈の上では同じ音しか出ない。しかし、弾く人によって音色が異なって聞こえるのも事実で、このテーマに関する議論は未だ決着を見ない。


 しかしマーシャルも見かけによらず頑固で、一度言い出したら引き下がらない。そこで舞香が折衷案を出す。

「クラヴィコードはどうですか? ピアノと違ってタッチによって微妙に音色が変化します。決して誰が弾いても同じ音にはなりません。」

 音の持続中も指の影響を受けるクラヴィコードは、ちょっとしたことで音色に変化が出る。ネコがピアノの鍵盤を歩くと音楽になるが、クラヴィコードの鍵盤の上を歩くと雑音にしかならないと言われているくらいだ。ところが今度は狩野が反対した。

「クラヴィコードとヴァイオリンでは音量に差がありすぎます。クラヴィコードをマイクで拾って音量を上げるコンサートもありますが、……私の録音は、あくまで自然に耳で聞こえる音を再現することです。電気的に増幅するなどもってのほかですよ」

 みなそれぞれにこだわりが強い。だからこそ成功すれば大きいのだが、ここに来て各々のこだわりが足枷となり早くも前進を妨げる。さやかもヒヤヒヤしだした時、カザマが発言した。

「そういえば、一度だけピアノええなあと思たことあんねん。そのピアノ……たしかエシュトクランとかいう人が調律したんや」

 さやかと舞香は思わず顔を見合わせた。エシュトクランはエヒトクラングのフランス語訛り、すなわち蔵野江仁のことである。

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