5-4 テスト

 狩野は一行を試聴室に案内した。以前、さやかがCDを試聴した部屋である。そこに全員入ったところで、杵口が音頭を取った。

「ではこれからテストを開始します。あらゆる個人的感情は抜きにしてシビアに審査しますので、心して取り組んで下さい」

 杵口は一旦軽く咳払いをして本題を告げる。「第一問は、オーディオの聴き分け問題です。これからカザルストリオによるベートーヴェン・ピアノ三重曲『大公』の一部分を三回繰り返し再生しますが、それぞれSP盤、カノクラシックス版CD、ネット上でダウンロードしたMP3と、異なった音源を使用します。どの演奏がどの音源か答えてもらいます。漠然と当てるだけではなく、解答の理由も述べて下さい」

 出題から間髪入れずに再生がなされた。さやかにもそれが古い録音であることは分かったが、上品で聞き心地の良い音だった。しかしさやかにはどれがどの音源なのかは皆目見当がつかない。やがて、三回目の再生が終わると、杵口が舞香に回答を促した。舞香はほとんど迷うことなく、スラスラと答えた。

「三番目がMP3なのは明らかですね。他の二つのようなスクラッチノイズがなく、ノイズリダクション処理、エンハンサー処理が施されて〝いい音〟が作り出されている……iPodなどで手軽に音楽を楽しむ人向けの音作りです。一番目と二番目は正直言ってあまり違いがわかりませんでした。でも一番目はすぐに始まったので、アナログ盤をセットしてかける暇はなかった筈です。ですから一番目はカノクラシックス盤、二番目はSP盤からの再生だと思います」

「正解、では次の問題」

 杵口はあっさりと正解を告げる。ほんの小手調べのつもりだったのかもしれない。CDラジカセをデスク上に置いた。家電量販店で1万円前後で売っているようなものだ。もっともテープレコーダーはついていないので、ラジカセと呼べるかは微妙だが……

「第二問は、ピアノの音の聴き分け問題です。これからショパンのノクターン作品9の2を4回繰り返し再生します。それぞれ電子ピアノ、アップライトピアノ、小型グランドピアノ、コンサートグランドピアノで演奏されていますが、どの演奏がどの楽器を使用したか答えていただきます。安価な再生装置でもちゃんと楽器の聞き分けが出来るかをテストします」

 杵口はプレイヤーの再生ボタンを押した。さやかは電子ピアノと生ピアノの違いくらいはわかると思ったが、安いCDラジカセでは全く区別がつかなかった。そして四回の再生はあっという間に終わった。

「演奏は以上です。それでは答えて下さい」

 舞香はまたもや迷うことなく回答した。

「曲順を入れ替えての回答になりますが、まず三、四番目は両方ともシフトペダル(グランドピアノの左ペダル。踏むと鍵盤ごとアクションが右に動く)が使用されてウナコルダの効果が出ていましたのでその二つがグランドピアノです。初めの二つの演奏の内どちらかが電子ピアノということになりますが、最初の方は鍵盤を離す時にダンパーで止音するノイズが僅かに聞こえました。電子ピアノでそれはありえないので、一番目がアップライトピアノ、二番目が電子ピアノです。そして三番目は音色が箱鳴りっぽい上に、四番目と比べめて低音が著しく乏しい。それは小型のスピーカーで再生しても一目瞭然です。つまり、三番目は小型グランドピアノ、四番目はコンサートグランドピアノです」

 今度は狩野が驚いた顔を見せた。第一問よりも難問のようだ。しかし、杵口は顔をゆるめない。

「全問正解です。さすがにリュウ社長が推すだけのことはありますね。しかし、次はぐっと難しくなりますよ。最後の問題はヴァイオリンの聴き分け問題です。今度は上質のハイエンドオーディオでJ.S.バッハの無伴奏パルティータ第2番第1曲アルマンドを三回聴いてもらいます。もちろん全部同じではありませんが、具体的にどう違っているのか、お答え下さい」

 二問目の再生が始まった。二番目まで再生されてもさやかには違いがわからなかった。しかし、三番目だけは音程が低いのがさやかにもわかった。そして三番目が終わると舞香の解答が始まった。

「明らかに違って聞こえるのは三番目ですね。バロックピッチ(A=415Hz)で、ボウイングはメッサ・ディ・ボーチェ(一音の音量が均等でなく、徐々に上がり徐々に下がるような奏法)。これだけ聞くと、あたかもバロックヴァイオリンとバロック弓で弾いているような印象的を受けますが、たぶんひっかけ問題ですね……結論から言うと、3回とも同じ楽器、同じ弓で演奏されています」

 杵口は顎に手をやって先を促す。

「根拠を聞かせてもらいましょうか」

「はい。メッサ・ディ・ボーチェを模倣してはいますが、バロック弓の場合、上げ弓と下げ弓でどうしても違いが出ます。ところがこの演奏では上げ弓も下げ弓もほぼ均質でした。これは、プロのヴァイオリニストがモダン弓で弾いたからです。そして全ての演奏で、数セント違わず同じ音高でウルフトーンが発生していました。ウルフトーンの発生する音の高さは個々の楽器によって違います。ですから、三回とも同じ楽器であることがわかります。そして、一番目と二番目との違いはごく僅かでわかりづらいですが、二番目は僅かに音が固いです。おそらく普段肩当てをつけない奏者が肩当てをつけて演奏したのでしょう。以上がこの三回の演奏条件の違いです」

 舞香が答え終わっても、誰も何も言わない。正解なのか間違いなのかわからないさやかは、ハラハラして見守る。やがて、杵口がパラパラと拍手し、それに合わせて狩野とマーシャル・リュウが盛大な拍手を送った。

「素晴らしい、合格です」

 と杵口が宣言し、狩野もマーシャル・リュウに告げた。

「リュウ社長、ワシの完敗や。お宅らの買収、認めまひょ。そやけど、よぉこんな逸材見つけて来ましたなぁ。こんな耳のええ子、初めて見ましたわ」

「それはそうでしょう。彼女は最上級のサラブレッドですよ。なにしろ、あのピアニスト・北嶋安恵の娘であり、……幻のピアノ調律師・エヒトクラングの娘ですからね……」

 それを聞いたさやかは驚きのあまりポカンと口を開いた。

(マイさんが……蔵野江仁の娘!?)

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