5-2 試聴
体格の良いスーツ姿の山根と比べると、狩野はいかにもみすぼらしい。応接室でなく会議室に山根を通したのは、カネの絡む話をあまり聞かれたくないこともあるが、メインバンクの権威を示して見下そうとする山根に対する、ささやかな反発もあった。
「銀行さんがわざわざ何の用ですねん」
狩野はつっけんどんに問いかける。岡山出身だが、大学時代を大阪で過ごしてからずっと関西弁を話している。
「そう身構えないで下さいよ。どうですか、ご商売の方は」
「ふん、おかげさんで繁盛しとりますわ」
「繁盛ですか……なるほど。そうすると今後も追加融資の可能性が出できますね」
「なんや、貸し剥がしでもされるんかと思たら、融資の持ちかけでっか」
狩野がわずかに上機嫌になったのを山根は見逃さない。
「ええ、是非そうしたいところなんですが……最近、光熱費など公共料金の引き落としの際、たびたび残高不足でショートしていますね。少し資金繰りが綱渡り状態なのではありませんか?」
狩野は途端に仏頂面になる。
「持ち上げたり下げたり、何がいいたいんです。ホンマ関東人は何考えてるんかわからんわ」
「この不景気で当行も自己資本比率を確保しなくてはなりません。単刀直入に申しますと、御社へのこれ以上の融資は難しくなっていくと思います」
「なんや、わざわざそんなことを言うために来たんか」
狩野は恨めしい目付きで山根を見たが、頭の中ではメインバンクとの関係継続という打算も働いていた。
「もちろんそんな話をするために貴重な時間を潰すようなことはいたしません。今日は安定した資金繰りのための、耳寄りなお話を持ってまいりました」
「耳寄りな話って、どうせ買収とかそんな話ちゃうんかい」
「おや、お分かりになられましたか」
「買収か、あかんあかん。ウチは独自の路線を行っとりますさかい、他人に仕事のやり方を指図されるんは堪忍や」
「買い手は御社の独自性を尊重した上で買収を考えております。むしろ大資本の傘下にあるほうが資金的にも余裕が出来、より自由に御社の独自性を貫けると思いますが」
「とにかく会社を売る気はありまへん。他に用がなければお引き取りを」
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山根との会合を終えてさやかのところに来た狩野は、心なしかゲンナリしているようだった。偏見かもしれないが、零細企業に銀行員が朗報を持って来るとはさやかには想像しにくかった。
「矢木さんでしたね、お待たせしました。ドイツの雑誌見て興味持たれたそうですが、よおあんな記事見つけましたなあ」
「ええ、アーティスト発掘のために海外の音楽雑誌に一通り目を通しています」
さやかはそこで名刺を出した。狩野はそれを見て難しい顔になった。
「堂島エージェンシーて、音楽イベントの会社でんな。まさかウチを買収しようとしてるんはお宅らでっか?」
「え……買収!? 何のことですか?」
その反応が素だったので、狩野も警戒心を解いた。
「ああすんまへん。さっきの銀行員が買収の話を持ちかけてきよったんですわ。それでお宅がその買い手さんかと思いましてな」
「そうだったんですか。……その買収話には応じるおつもりですか?」
「気持ちとしては応じるつもりはあらしまへん。そやけど、資金繰りが苦しいんも事実ですわ。それこそムジークヴェルトの取材を受けた時は、それこそ時代の寵児にでもなったつもりで舞い上がっとりました。それがだんだんとCDの売り上げも減ってきて、いまや業界では鳴かず飛ばずですわ」
狩野は高笑いするが、こういう自虐ネタを持ちかけられると反応に困る。さやかは良い機会だとばかりに、先ほど購入した町村樹のCDを取り出した。
「これ……聴いてみたいんですけど、試聴室のようなところはありますか?」
「おや、ウチの盤でんな。もちろんありますよ、案内しますわ」
そうして案内されたのは機械類、コード類が所狭しと置かれた部屋で、試聴室というよりは電気工事の現場のようだった。
「むさ苦しい所ですが……」
狩野はCDプレイヤーのトレイを開き、ヘッドフォンをさやかに渡した。
「ごゆっくり、どうぞ」
さやかは買ったばかりの、町村樹のCDをかけてみた。刺激的なブリリアントさはなく、自然な臨場感だ。さやかが連想したのは新潟の酒造所で試飲した水の味だった。市販のミネラルウォーターの「美味しいだろ」と迫って来る感じと比べると、ある意味物足りなさも感じた。しかし味わうほどに嫌味のない透明さを感じられるようになった。町村樹の演奏はそのように、ありのままの透明感で耳に染み入って来た。最近のギター録音にみられるような、弦の質感やボディー共鳴などの強調はなく、本当に目の前でギターを弾いていたらこういう音がするな、と思うような自然な音だった。そこには〝機械〟の介在を感じさせない、今まで経験したことのないようなリアリズムだった。
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