4-13 抱負

 カミンスキとスタッフ一行が磯原刑務所から出てくると、長尾が門の前で待っていた。

「ご苦労さまでした」

 頭を下げる長尾にさやかは驚いた様子で尋ねる。

「まさか、ずっとここで待っていらしたんですか?」

「いえ、この近くをブラブラと散歩しておりました。なかなか良いところですよ、ここは」

 さやかは辺りを見回してみたが、いわゆる場所だ。いったいどうやって暇を潰したのかと思ったが、カミンスキは興味を引かれた様子だった。

「本当に良さそうなところですね。長尾さん、案内していただけませんか?」

 長尾はうやうやしく答える。

「ええ、喜んで」

 カミンスキは嬉しそうに会釈すると、スタッフに向き直った。

「それでは、私は長尾さんと散歩することにします。皆さんはここで解散して下さい。矢木さん、素敵な企画を立てて下さり、ありがとうございました」

「いえ、そんな……」

「私は長い間父親のことで苦しみ続けました。それで自分は父親になるまいと思い、家族を持つこともしませんでした。だけど今回、そんな呪縛から解放されました。本当にありがとう」

「それは良かったです! ……刑務所演奏の夢が叶って、これからは何がしたいてすか?」

「そうですね、お嫁さんでも探しますよ。矢木さん、いい人がいたら紹介して下さい」

 カミンスキはいたずらっぽくウィンクすると、長尾と一緒に散歩に出かけた。その姿が見えなくなると、前田課長はスタッフたちに声をかけた。

「では、我々も引き上げるとしますか」


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──有楽町・レクサス──


 蔵野江仁は絶不調だった。すでに3万円投資しているのにいっこうに大当りがやって来ない。だがそういう時ほど、手を引きにくいのがギャンブルというものだ。蔵野が玉貸機に千円札を入れようとした時、何者かが投入口を塞いだ。

「何をする。もうかなり投資して、いつ大当りが来ても不思議はない状態だ。横取りしようとしたってそうはいかないぞ」

「ふん、一回だけ回しても、何万回回しても、この台の大当り確率は約三百分の一には違いない。ギャンブルは引き際が肝心なのに、あんたは引き際という言葉を履き違えているようだ。引退したなどと吹聴しながら、ちょくちょく我々の業界に首を突っ込む。ハッキリ言ってはた迷惑なんだよ」

 蔵野は不愉快を顕にして相手を睨みつけた。

「コンサートチューナーかなんか知らんが、随分えらそうな口をきくようになったな、……杵口君」

「周りの人々を振り回し、不幸に陥れたあんたにそんな風に言われる筋合いはないな」

「少なくとも私は君より年上だ。儒教的価値観を美徳とする日本にいるのなら、目上の人間にはもう少し敬意を払いたまえ」

 蔵野はそう言ってパチンコ台の上にある係員呼び出しボタンを押した。そしてすぐさま係員がやって来た。

「お客様、いかがなさいましたか?」

「ああ、この男がさっきから私に喧嘩をふっかけてくるんだ。つまみ出してくれないか」

「かしこまりました。……お客様、ちょっと失礼します」

 と言って、近くにいた係員と一緒に杵口を取り押さえ、外につまみ出した。杵口は振り解こうとするが、いかにも屈強そうな係員たちには敵わない。それで蔵野の方を向いて憎々しげにわめいた。

「蔵野ぉ! 北嶋先生を殺したのはあんただ! 忘れるなよ、私はあんたを絶対許さない!」

 周りの客たちは何事かと思って杵口を見やった。しかし蔵野はまるで他人事のように当たらないパチンコ台と対峙していた。


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──ニューヨーク・リーダーズミュージック本社──


 コンコン


 社長室の扉をノックする者がいた。

「入れ」

 ドアが開くと、棚に飾られた歴代ガンダムが訪問者に銃口を向ける。それに怯むことなく社長のもとに歩みよるのは、部下のヤス・オダギリだ。

「オダギリ、例の件は進んでいるか?」

「ええ、銀行の融資担当者も計画に納得してくれました。ところでもう一つ、依頼されていた調査の件なんですけど……」

「北嶋舞香のことだな。何かわかったか」

「ええ。今は歌舞伎町で水商売ピアニストですけど、母親はあの北嶋安恵だそうで、ピアニストとしてはかなりいい血筋です」

「……あのピアニストでピティフェ副会長だった故北嶋安恵のことか。それは確かにサラブレッドだな」

 ピティフェとは日本で発祥したピアノ指導者交流会(ピアノ・ティーチャーズ・フェローシップ)の略称で、同会は昨今アメリカをはじめ世界各国に支部を設立している。「そんな血筋の人間がどうして場末でくすぶっているんだ。生活環境に恵まれなかったのか?」

「彼女の父親と母親はもともと婚姻関係になく、彼女が生まれる前に父親はドイツに移住してしまったそうです。北嶋安恵はシングルマザーとして彼女を育てていたんですが、不幸にも夭折してしまいました。そこで舞香はドイツの父親のもとに引き取られたんですが……彼女がピアニストになることには反対し続けていたそうです。しかし、高校卒業を目前にしてどうしてもピアニストになりたいと言うと、反対していた父親から勘当されて日本に戻って来たそうです。それからは歌舞伎町でピアノ弾きをしながらピアノの勉強を続けているということです」

「それはひどい父親だな。どんな男なんだ、その父親というのは」

「ピアノ調律師で、蔵野江仁という名前でした。それが、先日東京本店の上村にアドバイスした調律師というのがその蔵野江仁らしいです」

 それを聞いたマーシャル・リュウの目が光った。そしてしばらく考えた後、思い立ったように言った。

「すぐに日本に行きたい。早速手配してくれ」


第4章 終わり

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