4-9 マーシャル・リュウ

 刑務所でピアノコンサートを開くにあたって問題となるのは、楽器の調達である。他の楽器やカラオケ設備と比べて、持ち運びが困難である。またレンタルサービスを利用するにしても、良い楽器が来るかどうかは運次第という面もある。


「それならリーダーズミュージックで頼んでみたらいかがでしょうか?」

 マイ……すなわち、北嶋舞香は、フラペチーノ越しのさやかに助言した。二人は件のカフェで度々会うようになっていた。

「リーダーズミュージック?」

「ええ、香港系アメリカ人のマーシャル・リュウが経営する楽器店チェーンで、最近日本にも進出して話題になっています。東京のショウルームにはレンタル用の楽器も展示してあって、あらかじめ試弾も出来るんですよ。スタインウェイなど、なかなか良い楽器が揃っていますよ」

「うわぁ、その話、早く聞きたかったです……先回はヨントリーホールのピアノが駄目になって、代わりの楽器を探すのに苦労しましたから……」

「ごめんなさい。とは言え、さすがにD型まであるかわかりませんけど……でも今回はコンサート用の大ホールではないので、フルコンサートピアノである必要はないと思います。きっと刑務所の環境にあったベストな楽器が見つかると思います。もしよかったら、私が一緒に試弾に行きましょうか?」

「ぜひ、お願いしますっ!」


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 リーダーズミュージック東京本店は、小田急経堂駅から近いところにあった。ショウルームにはスタインウェイの他、グロトリアン、ベヒシュタイン、ブリュートナーなどヨーロッパの名器が並ぶ。マイが指慣らしを兼ねてそれらを試弾していると、奥から店員がやって来た。ピアノには「試弾の際は係員にお尋ね下さい」と書かれた札が置いてあったので、何か注意されるかと思い、さやかはヒヤヒヤした。ところが、やって来た店員はにこやかに出迎えた。

「いらっしゃいませ、何かお探しですか?」

「実は……今度刑務所で慰問コンサートが行われるのですが、そのピアノを探しています」

 とマイが答えた。本来なら立場的にはさやかが話すべきであろうが、成り行き上、自然にそういう流れとなった。

「慰問コンサートというと、どのような方がお弾きになるのですか? 音大の学生さんでしょうか、それともプロのピアニストですか?」

「実は……ピアニストのヨセフ・カミンスキさんにお越しいただくことになりまして……」

 店員の顔が変わった。からかわれていると思ったのか、若干不愉快そうな顔色だ。

「それは、あの有名なヨセフ・カミンスキのことですよね……?」

 どうも信用されていないようなので、さやかは今回の企画書を出して見せた。すると店員はさらに顔面蒼白となり、「失礼しました、少々お待ち下さい」と言って奥に引っ込んだ。替わりに出てきたのは、いかにも位の高そうな紳士然とした男だった。多分店長だろう。……そう思いながら、差し出された名刺を見て腰を抜かしそうになった。

──Leaders Music co.ltd Chief Executive Officer Marshall Liu──

「私が本社社長のマーシャル・リュウです。ヨセフ・カミンスキのピアノをお探しとか」

 驚いたことに、かなり日本語が達者だ。

「ええ……でもまさか本社の社長さんが直々にここにいらっしゃるとは思いませんでした。それに日本語がとてもお上手で……」

「日本進出には特に思い入れがあります。と言うのも、私は幼少の頃に日本にいたことがありまして、日本語もその時に覚えました。それで楽器よりもガンダムについて語る方が楽しいくらいです」

「そ、そうですか……」

 ガンダムの話などされてはかなわんと思い、さやかは本題を切り出した。「それで、貸出用のピアノを見せていただいてよろしいでしょうか?」

「ええ、もちろんです。でも、もし会場の見取り図などがあれば、見せていただけますか?」

 さやかは資料の束の中から会場の見取り図を取り出してリュウ社長に渡した。リュウ社長はそれをじっくりと見つめた。

「この規模でしたら……2メートル以下の楽器が良いでしょうね。丁度良いものがあります」

 リュウ社長はさやかたちをそのピアノのところに案内した。それはヤマハのグランドピアノだった。確かに2メートルもない感じだ。

「これはヤマハのS400E、1993年製です。特器工場内の専門チームによって生産されていた頃の逸品です。ヨセフ・カミンスキのような巨匠にふさわしい名器です」

 マイはそのピアノを弾いてみた。側にいると、彼女がいかにピアノに魅せられて弾いているかが良くわかる。最初はサラッと弾くつもりが、どんどんのめり込んでいる。ピアノはこれでキマリだ、さやかはそう思った。しかしその時、リュウ社長が強い執心の目をマイに向けていたことに、さやかは気がつかなかった。

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