4-4 死海からのメッセージ

 さやかは会社に戻って、ムジークヴェルト誌のバックナンバーをチェックした。そして、マイが言っていたヨセフ・カミンスキのインタビュー記事を見つけた。

「あった! これだわ。どれどれ……」


[Ich hoffe, irgendwann vor Gefangenen spielen zu können, die schwer bestraft werden(私はいつか、重刑に服する人たちの前で演奏したいと思っている)]


 さやかは、こんな重要な記述を見落としていたことに忸怩たる思いを抱きながら、前田課長にカミンスキのインタビュー記事を見せた。

「おいおい、いくらなんでも世界のカミンスキを日本の小田舎の刑務所で弾かせるのか? そりゃあ役不足というものだろう」

「……課長、の使い方間違ってませんか?」

「何言ってるんだ、君は本当に大学出て来たのか? 一般には間違った使い方が浸透しているが、本来は役者に対して役の方が格下の場合に使うんだ」

「そうでしたか、、勉強不足でした。でも、カミンスキは刑務所で弾きたいとコメントしてるんですよ。お話だけでも持って行って差し上げた方が親切じゃないですか?」

 前田課長はハリウッド俳優のように肩をすくめて首を振った。

「あのなぁ……持って行くって簡単に言うけど、カミンスキはイスラエルのテルアビブ在住だぞ。それに、グレイス・ニューイェンのような駆け出しの新星とは報酬の桁が違うんだ。カミンスキレベルの巨匠ともなれば、一回のコンサートで何百万円も払わなければならん。いくら依頼主の懐に余裕があるといっても、さすがにそこまでは出せんだろう」

「じゃあ……長尾さんに直接訊いてみますっ!」

「って……おい!」

 と前田課長が止めるのもきかず、さやかは受話器を取って長尾に電話をかけた。


「はい、長尾です」

「お世話になります、堂島エージェンシーの矢木です」

「ああ矢木さん、いや、こちらの方こそ本当にお世話になっております」

 長尾の声は紳士的で優しい。先程まで前田課長からダメ出しされ続けてきたので、オアシスのように心地良く聞こえる。

「恐れ入ります。実は……磯原刑務所の慰問の件なんですが、ヨセフ・カミンスキというユダヤ人のピアニストを考えておりまして……」

「ほう、随分一流の方をお考えなんですね」

「ええ。でも、やはりそうなりますと報酬の方は……」

 と言いかけたところで長尾がすかさず返答した。

「お金のことなら気になさらんで下さい。矢木さんがお考えになる最高のコンサートを企画して下さい。もちろん、交渉に向かうための旅費もこちらで負担させていただきます」

「そんな……」

 そんなに払って大丈夫なんですか? と訊こうとして慌てて口を噤む。

「矢木さん。私の残された人生にとって、豊かな財産はあまり意味がないのです。ですからそれに意味づけ出来ればそれに越したことはないのです」

 常にお金が欲しくてたまらないさやかには俄に理解しがたかったが、長尾の言葉に嘘はないことは分かった。

「では……長尾さまからお預かりした財産、有効に生かさせていただきますっ!」

「よろしくお願いします」

 そこで電話は切れた。前田課長にドヤ顔を向けようとした時、さやかの携帯が鳴った。一条寺若菜のSNS投稿を知らせるメッセージだった。その投稿を開いてみると、若菜がまたまた大胆な水着姿で、プカプカ海に浮いている画像が現れた。

(えっ、こんな季節に海水浴!?)

 そう思って見ると、こんなメッセージが添えられていた。

「シャローム、みんな元気? 私は今、世界一塩分の濃い死海に来ています! 泳げない私でもこんなふうに、ちゃんと浮かぶんだよ!」

 死海……イスラエル! おお神よ、何というグッドタイミング! さやかは速攻で返信した。

「若菜、待ってて! 私もそっちに行く!」

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