4-3 フラペチーノ

 意気揚々と街を闊歩していると、さやかお気に入りのカフェの前を通りかかった。ウィンドウには新作フラペチーノ発売を報せるポスターが貼ってあり、彼女の視線は自然と惹きつけられた。

「うーん、休憩にはまだ早いけど、いいよね。これからいっぱい頭使うんだから、糖分の補給も必要よっ!」

 自分自身に弁解するようにつぶやきながら、さやかは吸い寄せられるようにカフェの中に入った。レジで新作フラペチーノを注文している時、ふと客席を見るとマイが座っているのが見えた。二人は目を合わせると、互いに手を振りあった。

「「おひさしぶりです」」

 さやかは特に断りもなくマイの対面に座った。マイもそれに異存はないようだった。

「さやかさん、お仕事の途中?」

「ええ、新作フラペチーノのポスター見て、ちょっとおさぼりです。マイさんは?」

「この辺に借りているスタジオがあって、昼間はそこでずっと練習しているんです。昼は練習、夜はお店の二重生活」

「そうなんですね……でも、この辺のスタジオって借り賃高くないですか?」

「もちろん、すごく高いです。だから住んでいるのは昭和の漫画に出てくるようなボロアパート。もっと郊外に住めば安く済むんでしょうけど、都心の方が色々とチャンスも巡っ来る気がして」

「チャンスって、プロのコンサートピアニストの?」

「ええ、恥ずかしながら。本当は……例の鶴見さんも、そろそろメジャーデビューに向けて動いた方がいいとお勧めして下さってるんだけど、自分ではまだ時期尚早な気がして……」

 さやかはヨントリーホールで彼女が鶴見とシャンパングラスを交わしていたのを思い出した。

「そう言えば……この前、グレイス・ニューイェンさんのリサイタルの時、鶴見さんとご一緒でしたよね?」

「一緒と言うか、たまたま会っただけですけど、……もしかしてさやかさん、私達が特別な関係とか思ってます?」

「え? いやいや、その……」

 半分くらいはそうかなと思っていた。

、あの方のお相手は私だけではないですよ」

 マイはいたずらっぽく笑った。

「え、それはなんですか?」

「鶴見さんは新人発掘に熱心で、埋もれている才能がないか探し回るのが趣味なんだそうです。そして見つけては掘り起こす……自分はスコッパーだとおっしゃっていました」

「あはは、なるほど、そう言う意味なんですね」

 なんか振り回されるなぁ……さやかは自分のペースを取り戻そうとするが、マイも案外良くしゃべる。

「そう言えば、そのグレイス・ニューイェンさんのリサイタル、とても好評ですよね。ライブ盤の発売も計画されているとか……さやかさんも随分お忙しくなったんじゃないですか?」

「それがですね、あれ以来ヒットがなくて、ようやく舞い込んだ仕事というのが……」

 さやかは刑務所慰問の件について話した。そしてアーティストがなかなか見つからないことも。「そうだ、マイさんが弾いていただけませんか?」

「私ですか? いや、お話を伺うと、今の私では少し荷が勝ちすぎているように思います。それよりも……さやかさん、ムジークヴェルト誌に目を通されているって言ってましたよね」

「はい、企画探しのために毎号確認していますけど……」

「何月号か忘れましたけど、ヨセフ・カミンスキのインタビュー記事がありましたよね。覚えておられますか?」

「ええと、……そうですね、たしかにありました」

 ヨセフ・カミンスキ……19世紀ロマンティズムを継承する最後の巨匠と謳われ、80歳を優に超える高齢でありながら、テクニックもパワーも未だ衰えを見せない現役のピアニストだ。「でも、何か特別なことでも書いてましたっけ?」

「インタビューアが『今後やりたいことはありますか?』と尋ねた時、カミンスキはたしか、『重刑に服する人たちの前で演奏したい』と答えていました。その理由については書かれていませんでしたが……」

 さやかは何度か目を通した筈だが、記憶がなかった。

「マイさん、もしかしてカミンスキを招聘することを勧めてます? いやいや、いくらなんでもあの巨匠カミンスキですよ。それに……刑務所側が日本人でなければいけないと言ってるんです」

「それはどうして?」

「催事中に何かトラブルが起こった時、演者が係員の指示に即座に従えるようでなくてはならないんです。通訳を通してたら手遅れなんてことにもなりかねませんから……」

「それだったら……多分問題ないと思います」

「え……どういうことですか?」

「カミンスキは子供の頃、日本にいたんです。今でも流暢に日本語を話せるそうですよ」

 マイの話にさやかは色めき立ったが、同時に戸惑いも感じる。何しろ、世界の一流ピアニストを刑務所の慰問のために招聘しようと言うのだから……。

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