4-2 磯原刑務所
さやかは高橋を伴って磯原刑務所に赴いた。どんな条件下で開催出来るのか分からないし、そもそも刑務所側が企画を承諾してくれるのかわからない。到着してみると、ドラマや映画でよく見るようないかにも刑務所然とした建物だった。門の守衛所で要件を告げると、間もなく二人の刑務官が引率にやって来た。もちろん、事前にアポイントは取ってある。塀の中は整然としていて、学校のようであった。そして二人の刑務官は事務棟に入り、さやかたちを応接室に案内した。出された緑茶を3分の1ほど啜ったところで、二人のいかにも責任者風の男たちが入ってきた。
「お待たせしました、所長の
「法務教官の
二人は名刺を差し出しながら名刺を差し出した。多胡の名刺には法務教官の他に心理技官なんたらかんたらと長ったらしい肩書きが付いていた。井手所長は小柄で、ひょうたん型の顔型に寂しくなった頭髪、針であけたような小さな目鼻口で、どこか草食系の小動物を思わせた。一方多胡の方は堀が深く二重瞼の濃い顔で、いわゆるソース系と言うのだろうか、意志の強さを感じさせた。肩書きを見ていなければ、こっちの方が偉いのかと思ってしまう。
「実は……こちらに以前いらっしゃった長尾
一応本人と接した手前、さやかの方から話した。すると井手所長は感慨深そうに言った。
「なるほど、あの長尾さんがね……」
そしてすかさず多胡が割入った。
「実は……彼を仮釈放するに当たっては結構意見が分かれたのですよ」
「と言うと、仮釈放に反対する意見があったのですか?」
「もちろん長尾さんの人となりについては、誰も問題視しませんでした。しかし、彼自身のその後の人生を考えて……安易に刑務所から出して良いものかと懸念されたのです」
「その……長尾さんは人を殺めて懲役刑に服したとおっしゃっていましたが、ここでかなり更生されたということでしょうか? 直接お会いした印象では、とても殺人を犯すような方には見えなかったのですが……」
すると微妙に禁忌に触れたのか、井手と多胡は顔を見合わせた。
「長尾さんはもともとある地域の名士で、地元では尊敬を集める人物でした。それがあのようなことになったのは、いわば名誉の為とでも言ったほうがいいかもしれません」
「名誉の為とおっしゃっいますと?」
「すみません、具体的なことは我々の口からは……」
「……ですよね、立ち入ったことを訊いてすみません」
さやかは素直に詫びた。知りたければ自分でググればいい。
「それで、……クラシックコンサートの方なんですけど、その開催は問題ないのでしょうか?」
井手所長が答えた。
「基本的に志のある方の慰問は受けつけています。ただ、やはり刑務所ですので色々な制約はございます。そもそも慰問と申しましても、受刑者の娯楽ではなく更生教育の一環という位置づけになります。従いまして、歌の場合でしたら歌詞の内容は詳細にチェックいたしますし、一般的なライブのように客の応答を煽るような行為も禁止ということになります。クラシックの器楽曲の場合でも、曲目について更生という観点からの厳密な審査があります。当然アンコールはいけません。あと、万が一トラブルが生じた際、係員の指示に即座に応答できるようでなくてはなりません……すなわち日本人でなければ難しいということです」
「……了解しました。では、詳細が決まり次第、追ってご連絡させていただきます」
ここで解散となり、所長たちは持ち場に戻ったが、刑務官に連れられて出口へ向かうさやかたちを多胡が追いかけて来た。
「矢木さん、私としてもこの案件を実現出来ればと思っています。ただ……アーティスト探しは難航するかもしれません」
そう言って多胡は一礼して戻った。
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そうは言われたものの、さやかはアーティスト探しについては楽観視していた。ところが実際探してみると、かなり難航し、ギャラは出すと言っているにも拘らず、ことごとく断られた。あるプロダクションに理由を尋ねてみると、磯原刑務所で過去に慰問アーティストと受刑者の間にトラブルがあったらしく、それが業界ではかなり知られているとのことだった。
(いつものことだけど……今回もまた袋小路ね……)
さやかはその磯原刑務所でのトラブルというのがどんなものなのか、ネットで検索をかけてみた。だが、何らかの政治的配慮でもあったのか、いっこうにそれらしき記述は見当たらなかった。ところが、ひょんなことから依頼者である長尾肇についての記述があちこちに見られた。
それによれば、長尾はもともとM県C市にある龍山企業の専務であった。龍山企業は酒造、飲食、レジャーなど幅広い事業を手掛けた大型企業体で、C市の財政を大幅に支えている上に、同市の就業率を高めていた。バブル崩壊の不景気でも好調でいられたのは、ひとえに長尾専務の功績が大きいとされる。一方、当時の社長であった龍山祐介は言わばボンボン社長で経営手腕に乏しい上、豪遊に耽っていた。それでプライベートでは度々トラブルを起こし、その後始末をいつも長尾が請け負っていた。ところが、ある時相手側が理不尽な要求を突きつけてきて、長尾も正攻法では対処仕切れなくなった。そこで長尾は相手をやむなく殺害、地元民からは同情され情状酌量を求める声も高まったが、C地裁で無期懲役を言い渡され、長尾は控訴することなく刑に服したという。
(その長尾さんのたってのお願いか……これは叶えてあげたいわ)
そんな思いを胸に秘め、さやかはプロダクション周りを再開するために外に出た。
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