3-11 連絡

 それから月日が流れた。牛丼屋で別れる際、蔵野はスケジュールと会場や演目などについて質問した後、「後はこちらから連絡があるまで待ちたまえ」とだけ言い残して去った。しかし……あれから何の連絡もない。うんともすんとも言ってこない。

 その間にも「グレイス・ニューイェン・ピアノリサイタル」の企画は、どしどし進められて行った。

 会場であるヨントリーホールとの打ち合わせ、チラシの作成、ギャラ交渉をはじめとするGLSアーティスト社とのやりとり等々、さやかは目まぐるしく動き回り、息をつく暇さえなかった。そのような状況で、蔵野から連絡がないことはさやかを苛立たせた。会社側にはその件については大丈夫と念を押していたが、そう言うさやか自身は心配で仕方がない。

(蔵野さん、本当にちゃんとしてくれるのかな、依頼のこと忘れていないかな……)

 仕事の進捗状況について前田課長は時折チェックする

「座席予約システムの整備はどうなっている?」

「はいっ、もう出来上がっていますっ!」

「スポンサーへの挨拶は?」

「全部回りましたっ!」

「損益計算書は?」

「まもなく仕上がりますっ!」

「蔵野江仁の方は?」

「…………ハイ」

 蚊の泣くような返答に、前田課長はため息をつく。

「なんだ、蔵野関連の話になるといつも歯切れが悪いな。向こうから連絡はあったのか?」

「…………イエ」

「ボヤボヤしてても始まらんぞ、こっちから確認しろ」

「…………ワカリマシタ」


 もちろん、さやかはこれまでに蔵野との連絡を試みていた。しかし、レクサスへ行っても、大成警備保障へ行っても、さやかが行く時はなぜか不在なのだ。何かしようとすればするほど徒労感が募るので、待つより他ないと諦めモードになっていた。とは言え、上司に命じられれば何らかのアクションを起こさざるを得ない。

 就業時間が終わると、さやかは無駄足になりそうな予感を抱きつつ、大成警備保障に向かった。だが案の定……

「蔵野は現場に出ておりまして、本日は直帰の予定です」

 との返事。どちらにおられますかと聞きたいところだが、警備員の行き先などおいそれと教えてもらえるものでもなかろう。しかしこのまま帰る気にもなれない。とその時、さやかは尿意を催し始めた。そうだ、これはチャンスだと思い、

「すみません、お手洗いお借りしてもよろしいでしょうか?」

 と、いかにも我慢出来ないという顔つきで言った。

「ああどうぞ、こちらです」

 と従業員はトイレに案内した。その途中に行動予定表と書かれたホワイトボードがあった。さやかはさり気なく蔵野の予定欄を盗み見る。すると、◯◯小学校と書かれていた。

(◯◯小学校かぁ……)

 そこは蔵野との記念すべき出会いの場……すなわち、さやかが不法侵入した小学校である。


 さやかは大成警備保障を後にすると、早速◯◯小学校に向かった。

(本当は二度と行きたくなかったのに……)

 しかし、そんなことも言ってられない。無意味なことだと思っても、上司を納得させることも会社勤めの立派な仕事の一つだ。さやかは勇んでくだんの小学校に突き進む。だが、いざ到着してみると門はかたく閉ざされている。当然だ。「御用の方はインターホンで職員室にお知らせ下さい」と(なぜか〝インターホン〟だけ赤字で)書かれたプラカードが門に掛けられているが、これまでのでは、夜中にこのボタンを押しても返答はない。ならばやはり、塀を越えての侵入!? いやいや、今やもう立派な会社員。小さなことでも反社会的な行動などもってのほかである。

(でも、どうしたらいいのかな……)

 とその時、巡回中の若い警備員がやって来た。すかさずさやかは声を掛ける。

「あのー、すみませーん!」

 若き警備員は暗がりを覗き込むようにさやかの顔を見る。すると、指を差して叫んだ。

「あっ、あんたあの時の……!」

 言われてさやかはハッとなった。以前侵入した時に自分を捕まえた、金髪オン・ザ・ロークオリティブレインの筋肉系警備員だった。よりによってこんな時に……と嘆く気持ちに活を入れてさやかは用件を伝える。

「こちらに蔵野さんおられますよねっ!? お話ししたいんですけど」

「なんで俺が当番の時に来るかなぁ……規則で部外者入れちゃいけないんすよ」

「あなた携帯持ってるでしょう!? ここでいいですから繋いで下さいっ!」

 金髪警備員はいかにも面倒くさそうに、しかし抗うほどの勇気もなく仕方なしに携帯を取り出した。

「あ、もしもし、金田っすけど。……なんか蔵野さんと話したいって人が来てるんです。……ええ、若くて無駄に元気のいい女の人……そうっす、あの不法侵入の……ええ? 一昨日来いと伝えろって? 蔵野さん、それおかしいっしょ。一昨日に来れるわけが……あ、モノのたとえ?」

 金髪がウダウダやっているので、さやかは溜まりかねて、腕を伸ばして金髪の携帯をとりあけた。

「蔵野さんっ! どうしてひとことも連絡して来ないんですかっ!

がないだけでそのとは恐れ入るが、今のところ知らせるべきことがないのだよ」

「それでも、途中経過くらいは報告すべきでしょうよ! 私を安心させようとは思わないんですかっ!」

「別に思わんな。安心したければ良く寝ることだ。果報は寝て待て、ということわざの通りだ。君にするべきことがあればその時は連絡する。……もういいか? こっちは仕事なんだ」

 蔵野は一方的に通話を切った。さやかはブチ切れて、携帯を金田に投げ返した。

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