2-5 騒音と紫煙
自動ドアをくぐると、とてつもない大音量がさやかの耳をつんざき、紫煙の充満した空気でむせ返った。
東京、有楽町にあるレクサスというパチンコ屋。入ってすぐに、こんなところに長居は無用とさやかは思った。
数時間前、さやかは大成警備保障に電話し、蔵野の所在を尋ねた。
「すみません、蔵野さんおられますか?」
電話口に出たのは、サービス精神のかけらも感じられない無機質ボイスの男だった。
「蔵野はまだ出社しておりませんが」
「あの……蔵野さんの行き先に心当たりはありませんか?」
「いや、それはプライバシーの問題がありますので……」
と無機質ボイス男は一旦話を切り、「もしかして、あの小学校に忍びこんだ矢木さんですか?」
小学校に忍びこんだ矢木とは随分な但し書きがついたものだが、否定は出来ない。
「はい、あの時はご迷惑おかけしました……」
「いえ、それは全然構わないんですけど、蔵野とそれなりにお親しいようですので、彼の居場所の心当たりについてお話ししても構わないかと……」
「ホントですか! どうか教えて下さいっ!」
……というわけで教わったのが、このパチンコ屋であった。耳を大切にする調律師がそんなところにいる筈がないと半信半疑で来てみたが、本人曰く現役は引退しているので関係ないかもしれない。店に入ると蔵野の姿をすぐに見つけることが出来た。隣に座っても気がつかないので、さやかは大声で呼びかけた。
「あのー、蔵野さんっ!」
やっと気がついた蔵野は思わず飛び上がった。
「なんだ君か。いきなり大声で呼ぶな。心臓に悪いではないか……」
「すみませんね。普通に呼んでも返事がなかったのでっ!」
「とりあえずここを出よう。何を言ってるのかさっぱりわからない」
蔵野はパチンコ台にハンカチをおいて席取りをし、出口に向かった。さやかはその後について行った。
蔵野はスターバックスに入り、コーヒーを頼んだ。さやかも同じものを頼む。
「何だ、私のせいでブラック企業に就職出来てしまって、どうしてくれるんだと苦情でも言いに来たのかね」
相変わらず口が悪い。せめて就職おめでとうくらい言えないのか、とさやかは心の中で毒づく。
「いいえ。おかげさまで楽しく仕事させていただいておりますので。それより、パチンコ屋なんか行って、耳が悪くならないんですか?」
すると蔵野はさやかの目も見ずに答えた。
「私の師匠はこう言ったものだ。『調律が上手くなりたければパチンコをしなさい。パチンコ屋でかかっている軍艦マーチのリズムは丁度一秒に一回。これは割振の四度の唸りと同じリズムだ。パチンコをしながら知らず知らずにこのリズムが身につくのだ』と。私は師の教えを今日に至るまで忠実に守っているわけだ」
「はあ……」
忠実の意味を履き違えていないか、とさやかは心の中でつっこんでみる。ちなみに、先程のパチンコ屋では軍艦マーチはかかっていなかった。
「それで、本当のところはどんな用件だね? まさかパチンコは耳に悪いからやめろと忠告しに来たわけではあるまい」
「もちろん違います。また調律をお願いしたいと思いまして……」
と言い終わる前に蔵野はスックと立ち上がった。
「まただと? 勘違いするな。帰国以来、私は一度だって調律していない」
そう言って足早に出口に向かう蔵野を、さやかは呼び止めた。
「待って下さい、依頼者はレナ・シュルツェという方なんですけど、何だかわけがありそうで」
「ふん、そんなジャジャ馬ピアニストは知らんな」
「知ってるじゃないですか!」
「百歩譲って知っていたとして何だね、なぜ私が調律をしなければならないのだ。前にも言った筈だ、調律師は引退したと……」
さやかはレナから受け取った茶風等を取り出し、「これ、彼女からあなたへのラブレターだそうですっ!」と差し出した。蔵野はそれを受け取ると再び席について中身を取り出した。
「何がラブレターだ。明らかに一世紀以上前の文書で、しかもファクシミリじゃないか」
「……それ、いったい何の文書なんですか?」
すると蔵野は最後のページを指し示した。
「カール・ヴュルトの手記だ。文末にサインがしてある」
「昔の詩人か何かですか?」
「カール・ヴュルトというのは言わばペンネームだ。他にもG.W.マークスというペンネームを持っているが、本名は君も良く知っている名前だ」
「私でも良く知っている……誰なんですか?」
「作曲家、ヨハネス・ブラームスだ」
「ええっ、ということは、これはブラームスが書いた手記ですか!」
「本物かどうかはわからんがな……」
ふとさやかが文面に目を凝らすと、ある部分に鉛筆で下線が引いてあるのに気がついた。
「ここには何と書いているんですか? 手書きでよく読めなくて……」
「ふむ……」
蔵野が下線部分を読み上げ、訳した。それはこのようなものだった。
『貝殻の内側のように清白で艶やかな空は、薄紫色の
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