第三十一話 友情に泣け

「あそこが敵のアジトだ」

「いるんですね、あそこに」

「ああ。気を付けて弥平さん。あなたには家族がいる。ぼくたちが出てくるまで、ここで待っていてください」

「やめましょう、トモキ殿」

 弥平はぼくの手を強くにぎった。

「わたくしも行きます。我々の運命はひとつ。たとえそこが地獄でも、けっしてはなれはしません」

「弥平さん」

 ぼくはこぼれかけた涙を拭った。弥平も「へへ」とくちばしをかく。

 ぼくらはツバキのかげに身をかくしていた。前にお地蔵さんに願い事をしたときに怪しい女を見つけ、とっさに身をかくした、あのツバキだ。

 以前、ここにかくれたときには気づかなかったが、駐輪所は目と鼻の先。わずか数メートルの距離である。

 ここに駐輪所をかまえているおじいさん――いや、悪のリーダーは手広い商売をしていて、駅前だけでなく、裏側にも、駐輪所を所有し、多くの十代から小銭を巻き上げている。電車通学をする高校生たちは、みな、ここに駐輪する。ぼくも高校生になったら、きっとここに金を納めることになるだろう。

 いや、そうはならない。

 なぜなら、今日。悪の組織は壊滅する。

 ぼくらの手によって!

「あのさ。盛り上がっているところ悪いんだけど、はやくマタヲがいないか見に行きましょうよ」

 前田さんが背後からぬっと顔を出した。

 ぼくは信じられない思いで、彼女の無知な顔を見やる。

「ダメだ。まずはお地蔵さんにお願いしに行かないと。無事にマタヲを助けられるように、うんと心を込めてお願いするんだ」

「いいですね。お地蔵さまはきっと力をかしてくださいます」

 弥平と手を取り合い、お地蔵さまへと向おうとすると、ぐいと首根っこをつかまれた。

「もういいって。行くの、行かないの? わたし、ひとりでも行くけど?」

「行く、行くからはなして。息がっ」

「もうっ」

 前田の手がはなれた、そのとき、

「やいやいやい。てめー、やっぱり本性を現したな。おれはずっとおめーが悪の生まれ変わりだと知っていたぜ。きさま、その正体は魔王だな。おれが成敗してやる」

 ぶんっと棒のようなものが、ぼくと前田のあいだに振り落とされた。

「カズヤ!」

「おう、助けに来たぜ、親友よ」

 親指を立ててポーズを決めるカズヤ。手にはどっから引き抜いてきたのか、畑につきさしてある緑色のいぼいぼ支柱を持っている。

「前田、いやセイメイ、いやいや、その本性は魔王。おれにはわかっていたぜ。トモキを洗脳して仲間に引きずり込むつもりだな」

「ちがうって!」

 ぼくが大声で否定すると、カズヤは「え」とたじろぐ。

「だってさ、さっきお前のこといじめてたから」

「ちがうよ。いいか、敵は前田さんじゃなくて、あっち!」

 ぼくは駐輪所を指さした。

 カズヤは「ああ、あそこね」と言って、こっちにパッと笑顔を向けたが、急に「ひっ」と声を上げて腰を抜かした。

「で、出たっ。も、ももも、モンスター!!」

「おや、もしかしてわたくしのことで?」

「しゃべった。トモキ、気を付けろ。こいつは人語を話す緑のモンスターだ。うっ、臭い。腐った魚のような臭いがするっ。毒ガスだ。かぐな、みんな。くそ、こんなことでやられてたまるかああああああ」

 勢いよく立ち上がり、棒を振り上げるカズヤを前田といっしょに押しとどめる。

 弥平は「ひっ」とツバキの後ろにかくれた。

「ね、ちょっと。もしかして」

「うん、見えてるね、カズヤも」

 ぼくらは顔を見あわせて、同時にふきだした。

「カズヤ。緑のモンスターはカッパの弥平さんだよ」

「そうよ。モンスターじゃなくて妖怪よ」

「妖怪もモンスターじゃないの?」

「あら、ちがうわよ」

「おいおいおい。ちょっと待ってくれ」

 カズヤが菜園用のいぼいぼ支柱を地面にかつんと打ちつける。

「あれがカッパの弥吉か?」

「弥平です。弥吉は息子です」

 おずおずとツバキから顔を出す弥平。割られたらかなわんと頭の皿を手でガードしている。

「あんたがカッパの弥平?」

「そうです。病気の息子のため奮闘する父親、カッパの弥平です」

 すっとカズヤは右手を弥平に差し出した。弥平はぽかんとしている。

「悪かった。握手だ」

「あ、はい」

「うわっ、ぬるっとして……いや、これでおれたちは仲間だな」

 カズヤはこっそりズボンで手を拭うと、支柱を肩にかつぐように持った。

「で、敵のアジトはあそこか。トモキ、おれはいつでも先陣をきれるぜ」

「カズヤ、ぼくの話を信じてくれたんだね」

「おうよ。だってよ」

 カズヤは太陽をバックにきらんと良い顔する。

「親友だろ」

 あまりのカッコ良さに、前田がカズヤに恋したと思った。

 が、前田は「ねえ、本当にいつまで、そのおふざけをつづけるつもり?」と冷ややかだった。

「いつまでってなんだよ」

「そうだよ。ぼくらはいつだって本気だ。さて、カズヤ。マタヲはあの家のどこかに囚われているはずなんだ。相手は怪しい女ひとりだけど、油断は禁物。おじいさんがどこに潜んでいるかもわからないし、他の仲間もいるだろう」

「なるほどな。その猫はネコマタだと言ったな? デカさは?」

「普通の猫くらいだよ。毛が長いから大きく見えるけどね」

「モフモフか」

「モフモフさ」

「トモキ」

「なに?」

「マタヲと言ったな」

「うん。ネコマタのマタヲ」

「おれにも見えるだろうか」

「見えるさ、ぼくの話を信じてくれるなら」

「ふっ」

 カズヤは照れたように鼻をこする。

「もしよ、マタヲを助け出せたら」

「うん。助け出せたら?」

「そいつをモフってもいいか。おれ、実は猫好きだ」

「オッケー。ぞんぶんにモフれよ。やつはヨーロピアンホワイトローズのシャンプーを愛用しているからな。匂いの良さは保証する」

 カズヤはまた「ふっ」と笑った。

 ぼくはますますカズヤに惚れかけていたが、前田はぼくらをおいてすでに敵のアジトに踏み込もうとしていた。

「すみませーん。ノゾミさんに会いたいんですけど」

 駐輪所は倉庫のようなつくりで、いまはシャッターが開き、中に止めてある自転車の列が外からでも見えるようになっている。入口のすぐそばにレジのような場所があり、そこで利用料を払うことになっていた。

 レジの受付にはおじいさんがいるはずだが、いないときはそのすぐ奥にある、一段上にあがった場所にあるガラスの引き戸の向こうで、テレビを見ていることが多い。そこは和室になっていて、そのまま住居へとつながっている。

 ぼくは駐輪所の中へ入ったことはなかったが、カズヤは何度か利用していたし、前田は近所に住んでいることもあって、おじいさんと仲良く、和室に入ってお菓子を食べたこともあるという。

 だからなのか、いまもぜんぜん躊躇なく、ずんずん中へと進んでいく。

「おいおい、なんて危険なことを」

 カズヤが目を見開く。

 すると前田が、「行くの、行かないの?」と駐輪所からひょこっと顔を出した。

「行きましょう」

 弥平が覚悟を決めた顔で前に出る。

「おれたちも行くか」

「カズヤ」

 ぼくはカズヤを引き留めた。前田が「すみませーん」とまた大きな声をあげている。

「まったく、とんだベイビーだぜ。おれたちも早く行こう」

 フー、ヤレヤレとカズヤ。大人の余裕を見せている。

「あのさ。誕生日会、本当にいいのか?」

 それが心配だった。あんなに楽しみにしていたのに。いまでは、めかしこんでいた服はどこでつけたのか汚れており、シャツはしわしわ、なでつけてあった髪もボサボサだ。

「白浜さんの誕生日会だぞ、いまからでも」

「行ったよ」

「え」

 ぼくは驚いてカズヤをまじまじと見る。カズヤはすっと視線を外して空を見上げた。

「プレゼントは渡してきた。大丈夫だ、お前と共同で買ったことにした」

「そんなこと」

「いいんだ、おれがそうしたかった」

 カズヤの視線がぼくに戻る。うっすらと笑う顔は哀愁に満ちていた。

「プレゼントだけ渡して、ここへ駆けつけて来た。詳しい事情は話してない」

「白浜さん、怒ってたか?」

「どうだろうな。ま、それは明日になればわかるさ」

「明日」

「だろ、おれたちは無事に戻る。覚悟しとけ、トモキ。明日教室で、おれたちはざんざん言われるだろーぜ」

 パチとカズヤはウインクした。不器用なウインクだが、ぼくには痺れるほどイカしていた。

「カズヤ、ぼく」

「おっと、泣き虫トモキのおもどりか?」

「ち、ちがうよ」

「へっ、明日、泣くんじゃねーぞ」

「泣くもんか」

「教室で女子たちに囲まれてもか?」

「うん」

「白浜さんは怒ってるだろうな。どうしてもお前に来てほしそうにしてたからな」

「行くって約束しちゃったしね」

「けっ、お前。すっかり悪い男になりやがって。明日、学校で」

「明日は日曜日よ!」

 前田の的確なツッコミに、ぼくらは言葉を失った。

 が、カズヤの復活は早い。

「よーし、行くぞ! こうなったら正面突破だ。おーい、じいさん出てこおおおい、金払わずに自転車置いていくぞおおお」

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