第二十八話 だからぼくはネコマタになった

 弥平はテーブルの上にあるジュースの入ったグラスを手に取り、くちばしの口でごくごくと飲んだ。

 前田とぼくも、話が長くなりそうなので、ソファに座る。時計を見ると、そろそろカズヤが来てもいい頃合いだった。

 ソワソワしていると、前田も「鈴原くんには弥平の姿は見えないわよね?」と耳打ちしてくる。

「たぶんね。妖怪が見えないはずのきみがなぜカッパは見えるのか不思議だけど」

 つっぱねると、前田はしゅんと肩を落とす。それを見た弥平が、

「トモキ殿の話を信じたから見えるのです。リン殿はトモキ殿とマタヲ殿の話を聞き、妖怪がいることを心から信じた。それに、霊力は伝わりやすく、互いに影響するものなのです。トモキ殿と仲良くなったことで、リン殿の霊力も妖怪が見えるように変化したのです」

「そういうもん?」

 腑に落ちないのが顔が出ていたのか、弥平は「そういうものです!」ときっぱり言った。

「ですから、妖怪は信ずるものには見えるのです」

「ぼくは信じてなかったけど」

 マタヲは突然やって来た。

 それまでぼくは妖怪なんか信じていなかったのに。

「マタヲ殿とトモキ殿は、パートナー契約を結んでおりますから、また話はべつなのですよ。まあ、とにかく。マタヲ殿がトモキ殿を思う気持ちはそんじょそこらのネコマタたちとはちがうということは、よくわからないといけません」

「そう、かな」

「そうなのです。『だちだちの花』をこのようにあなたが自由に扱える場所に置いていることも、その証拠なのです。いいですか、マタヲ殿はかつてはノラ猫だったのです。それがあの日、マタヲ殿は火事に巻き込また」

「火事?」

 そんな話は初耳だ。マタヲの過去なんでどうでもいいはずなのに、ぼくはつい興味を引かれて、身を乗り出した。

「火事で死んでネコマタになったの?」

「ちがいます」

 弥平はぐっと眉間にしわをよせる。

「火事の中、マタヲ殿は死を覚悟しました。そこへ、あの方は現れたのです」

 いまにも屋根が落ち、燃え盛る火の中、焼かれながら生き埋めになる寸前だった猫。それを助けたのは町人の男だった。

「彼はマタヲ殿の知り合いではありませんでした。ただ、崩れ行く建物の中、猫の鳴き声を聞いた気がしたそうです。そんな不確かな情報の中、彼は火に飛び込み、マタヲ殿を助けました」

 しかし、猫は息も絶え絶え、助け出した町人の男も大やけどを負った。

「マタヲ殿は数日ぐったりしていたそうですが、やがて回復しました。しかし、町人の男はダメでした」

「それって」前田が息を飲む。

「亡くなりました。妻と小さな子どもを残して。周りの人たちは言ったそうです。あんな不吉な猫のために死んだのだと。当時ハチワレ柄の猫は嫌われておりました」

 ハチワレは鉢割れを意味していて、鉢を割る、不吉というイメージがあった。とくに白黒のハチワレで尻尾が長かったマタヲは、助け出した人間を死なせたとして、周りからはひどく不気味がられた。

「それでも、男の家族はマタヲ殿を大切にしました。夫や父親を奪った猫だとは一言も言わず、家族のように扱い、周りからいじめられていると心から怒り、守ったのです」

 食べ物が少ないときも、マタヲは家族の食事から魚やかぼちゃを分けてもらった。冬は布団でいっしょに丸くなり、夏は日陰で涼み、うちわをあおいでもらった。

「マタヲ殿は当時の猫としては長生きしました。子どもたちも大人になり、それぞれ独り立ちするころ、マタヲ殿はひっそり息を引き取りました。そして、天に登るとき、マタヲ殿は強く願ったのです。『いつか必ず、ご恩返しをしたい。人間の言葉を話せるようになって、もっと役に立つことをしたい』と」

 その願いはネコマタ協会に届く。マタヲは妖怪ネコマタとして第二の人生を歩むことになった。長い長い修行の末、人語を会得、二足歩行も可能になった。

「それでも昨今のネコマタ事情は厳しいものがあります。時代が変わりました。せっかく結んだネコマタのパートナー契約も、相手の人間の拒絶にあえばどうしようもありません。突然現れたネコマタに驚き、『だちだちの花』のビンをすぐに割る輩もいるのです。ですから、ネコマタたちは用心に用心を重ねるのです」

 ぼくはテーブルの上にある、『だちだちの花』に目をやった。マタヲがダッちゃんと呼び、大切にしていたビン。

 ぼくがこいつを人質にとって脅した時、なぜあれほど怯えたのか、いまではよくわかる。ぼくはあのとき、マタヲを殺そうとしていたのだ。それもランドセルが傷つくのがイヤだという理由で。

「この花、まだ元気そうだけど」

 ぼくは『だちだちの花』から弥平に視線を移した。

「枯れかかっているときは、マタヲがピンチのときってこと?」

「そうです。ですから、まだマタヲ殿は健康であられる。しかし、いまどこにおられるのか」

 弥平は力なく首を振る。

「弥平さんの子どもって、そんなに具合が悪いの?」

 ぼくはたずねた。弥平は息子の病気を治療してもらうために、マタヲを探していると言った。前に、マタヲは『マタちゃん特製なんでも秘薬』で何でも治療できると豪語していたけど、本当に効果のある薬を作ることができるのだろうか。

「息子は息も絶え絶え、皿はひび割れ、甲羅は反り返っております。皮ふも乾燥でめくれておるのを、ユキノシタとドクダミをすりつぶして作った軟膏をぬり、看病しているところです」

「そんな」

 前田は弥平のそばへいき、肩を抱く。

 ぼくはソファによりかかる弥平を見て、汚れる、なまぐさい、と気にしていた。前田はあのぬるっとした体を抱き、顔を近づけてなぐさめている。

 ぼくはさっき前田のことを最低だとののしった。嘘つきだと、みんなに嫌われて当然だと、彼女を否定して傷つけた。

 その前田は、カッパの弥平のことを心から心配している。

 弥平は言っていた。妖怪を見たことがなかった前田が、弥平の姿が見えるようになったのは、ぼくの話を信じたからだと。

 ネコマタが見えるというぼくの話を信じ、困っているというぼくのために、お地蔵さんに願い事までしてくれた。そのあともおじいさんが大切にしていた本をぼくに貸してくれて、助けてくれようとした。

 最低なのはどっちだろう。ぼくか、前田か。

 答えは簡単だった。

 前田は最低ではない。そして、ぼくだって最低にはならない。

「マタヲを探しに行こう」

 ぼくは立ち上がった。向かいに座る二人がぼくを見上げる。

「行こう。大丈夫、この街のどこかにはいるよ」

「でも」

 前田が心配そうな目でぼくを見る。

「誕生日会に行くんでしょ。もうすぐ鈴原くんもここへ来るって」

「いいよ。プレゼントも用意できなかったし、カズヤも遅れているみたいだしね」

 時計を見ると、九時半を過ぎていた。カズヤはいつも時間に遅れて来るとはいえ、家を出るなら早いほうがいい。

「さ、急ごう。今日中にマタヲを探さなくちゃ」

 ぼくはリュックに『だちだちの花』が入ったビンをしまうと、背中にしょってリビングを出た。ぺたぺたという足音と前田の軽い足音があとにつづく。

 玄関前で、お母さんとはちあわせた。

「あら、カズヤくんは?」

「遅れてるみたいなんだ。カズヤんちのほうをまわって行くよ。もし入れちがいになったら、お母さん、もうぼくが出たって話しといて」

「わかったわ。いってらっしゃい。ご迷惑にならないようにね」

 お母さんは、ぼくと、それから前田に向かってほほ笑んだ。前田はぺこりと会釈している。横では弥平が「べっぴんな母上ですなあ」とお世辞を言っていた。

 お母さんは、すんっと鼻をならして臭いをかぎ、

「あら、なんだかドブ臭いわね。いやだわ、下駄箱がにおうのかしら」

 弥平は絶句していた。

「わ、わわわ、もしかして、わ、わたくしが」

「行こう」

 ぼくは前田の手を引き、前田は弥平の腕をぐいと引いた。お母さんの、おやおやって視線をかんじたけど、ぼくは無視して玄関を出た。

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