第二十六話 許せない冗談

 それは、とカッパはビンを尖った爪で指さした。

「ネコマタの命なのです。『だちだちの花』が枯れたとき、持ち主のネコマタも」

「知ってるよ。花が咲いたとき、ネコマタとしてレベルアップするんだろ? 枯れたらもうチャンスがなくなるって。花はこのひとつしかもらえないからって」

 マタヲは『だちだちの花』が咲いたとき、ネコマタとしてレベルアップするのだと、何度も言っていた。だから大切にして、いつか花を咲くのをぼくといっしょに見るのだと。

「レベルアップはあきらめたんだよ。あいつ、いまごろノラネコマタになってるんじゃないの。それか彼女のところに行ったんだ」

 自分で口にして、きっとそうだと思った。マタヲはガールフレンドのおばあさんのところにいるんだ。

「マタヲの彼女はね、スルメをくれる人なんだよ、あと酢昆布とか。たぶん、お年寄りだよ。ただ、わかるのはそれだけなんだ。どこに住んでいるかは」

「ちがいます!」

 カッパが大声を出す。

「たしかに『だちだちの花』が咲いたとき、ネコマタのくらいが上がります。しかし、それだけではないのです。その花はネコマタの魂とつながっているのです。その花が枯れたとき、ネコマタの魂も終わる。つまりこの世から消えてしまうのです!」

「え」

 ぼくは『だちだちの花』を見つめた。緑色のつやのある葉に、ひとつだけ固くとじたつぼみがついている。

「じゃ、じゃあ、こいつが枯れたら、マタヲも死ぬの?」

「妖怪として第二の死を迎えるというのなら、そのとおりです。この世からは消え、新たな魂となって生まれ変わることになります」

 カッパはきびしい顔つきをしている。とても冗談を言っているとは思えない。

「その、カッパさん」

「弥平と申します」

「弥平さん。マタヲがこのビンを置いて行くってことは、つまり何を意味するの? そもそも、マタヲはいつもこれをぼくの部屋の窓辺に置いてたんだ。大切にはしてたけど、ぼくが捨てようと思えばいつでも捨てられたし、ビンを割ることだって」

「信頼の証です。ネコマタはパートナーに命を預けるのです。特にマタヲ殿は、その思いが強かったのでしょう。あの方はトモキ殿のご先祖に深く感謝しておられましたから」

「ご先祖って」

 たしかマタヲの飼い主だったと聞いた。ものすごく世話になったから、ご恩返しにぼくの世話をするんだと。

「でもさ、先祖っていっても、すごく昔の話でしょ。ぼく、いままで猫を大事にしていた先祖がいたなんてさ、聞いたことがないよ」

「それはそうでしょう」

 カッパの弥平さんは深くうなずいている。

「人間と妖怪では時間の感覚がちがいます。トモキ殿にとっては名も知らぬご先祖でしょうが、マタヲ殿にとっては忘れられない相手なのです。その子孫と縁を持てたこと。マタヲ殿はとても喜んでいたことでしょう」

「まあ、やる気には満ちてたかな」

 ぼくを立派な大人にしてやるとかなんとか。猫のくせに教育に燃えていたのは事実だ。

「ネコマタは、霊力との相性が良いパートナーと結ばれるものです。しかしそれでも、自由に相手が選べるわけではなく、ネコマタ協会のほうであいている担当区域を指定して、その中から相性の良い人間を選ぶのです。ですから、トモキ殿との出会いは偶然であり、また運命だった。きっとご先祖さまが引き合わせたのですよ」

「は、はあ」

 妖怪というのは熱くなりやすい性質なのだろうか。弥平もマタヲに似て、熱っぽい力の入ったしゃべり方をする。前田はこの話に興味を引かれたのか、「すごいことね」と感動している。

「ご先祖の話はわかったけど」

 ぼくが話題を変えようとすると、弥平は「過去を知っておられるか?」とさらに体をよせて来た。いまではリビングに入り込み、ぺたぺたと湿った足音をさせてフローリングの床を汚している。

「あのさ。その、濡れてるよね。あと、ごめん、ちょっと臭う。シャワー浴びる?」

 ぼくがおずおず言うと、弥平は「くわっぱ!」と声をあげる。

「わたくしが臭うですと! 濡れているですと!!」

「や、その失礼だとは思うけど。母さんが見たらなんというか。それにもうすぐカズヤも来るだろうし」

「あ、誕生日会」

 前田が気づく。

「そ。ぼく予定があるんだよね。このビンは」

 ぼくは弥平に『だちだちの花』が入ったビンを押し付けた。

「白浜さんにプレゼントしようと思ったけど、何か重いいわくつきだからやめるよ」

「いけませんっ。これはマタヲ殿の命ですぞ。簡単に他人に渡すなど、してはなりません」

 弥平がずいっとビンを押し戻す。

「わ、わかったよ。ここに置いとく」

 ぼくはローテーブルにビンを置いた。

「あのさ、弥平さんの姿って他の人にも見える? この足あとも?」

 あまり大声で騒いでいると、お母さんがリビングをのぞきにくるかもしれない。けど、弥平は「普通の人間には見えませんから安心してください」とツンとくちばしをあげた。

「妖怪の見える人間はすくないのです。ますます少なくなっています。リン殿に会えたのは幸運でした。しかも、リン殿は昔遊んだ少年のお孫さんと聞きましたよ。まさに運命、妖怪と人間の絆は運命で結ばれているのです」

「お、おじいちゃんが見たカッパは弥平さんのことだったらしいのよ」

 前田が言った。

「河川敷を散歩していたら、道端に座っているカッパがいて。わたし、びっくりした」

「妖怪はよく見かけるんじゃ」

 あまりに驚いた顔をする前田に、ぼくが不思議がると、

「いや、あの」と前田は慌てる。

「そ、そうなの。妖怪に会うのは日常茶飯事よ。でもカッパが初めてだったの」

「おや、リン殿は『本当に妖怪っているんだ!』と感激しておられたはずでは?」

 首をひねる弥平に、ぼくは「どういうこと?」とつめよる。

 前田がびくっと肩を震わせた。

「リン殿は言ったのです。『初めて妖怪を見た!』と。ですから」

「前田」

 ぼくがにらむと、前田はあとずさりした。

「ご、ごめんなさい。冗談だったの。本当は妖怪は見たことなかった。その」

 前田はごくりとのどをならす。

「マタヲのことも見たことが、な、なかったの。今井くんが、自分もネコマタが見えるって言い出すからわたし」

「なにだよそれ。おれがマタヲの話をしたから、嘘ついて自分も見えるふりしたってことかよ。じゃあ、腹ん中じゃ、おれのことバカにしてたんだ。『うわー、こいつ妖怪見えるとか言ってるよ』ってさ!」

 あの日、神社で自分以外にマタヲが見える子がいると知って、ぼくは本当にうれしかった。うれしくてうれしくて、前田のことを悪く思っていた自分を恥じた。

 でも、その前田はいま、あれは嘘だったと言っている。冗談だったと。

 怒りとショックで目の前がチカチカした。

「嘘じゃなくて」

「冗談だったって? 陰陽師や生まれ変わりの話といっしょで、冗談のつもりだったってわけか。あのな、笑えない冗談はただの嘘と悪口だからな。お前、みんなに嫌われて当然だよ。最低なやつだもん。二度と話かけるな。教室でも、外でも、もうお前の顔も見たくない。うちにも二度と来るな!」

 同じ場所にいたくなくて、ぼくは二階の自分の部屋に行こうと体の向きを変えた。そのとき、足がローテーブルに当たって、置いてあった『だちだちの花』のビンがガタと音を立てて転がった。テーブルの端まで転がり、そのまま落ちる、となったところで、水かきがついた手が伸びて拾い上げる。

「そうやって」

 弥平は首を大きく横に振った。

「マタヲ殿のことも追い出したのですか」

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