第二十五話 珍客

 土曜日。

 ぼくは白浜に渡すプレゼントをリュックに詰めるとファスナーをしめた。

 こんなものを彼女が欲しがるかわからないけど、ぼくの部屋にあっていちばんプレゼントにふさわしそうなものは、これしか思いつかなかった。

 まあ、そもそも渡せるかどうかもわからないけど。

 ぼくはリュックの重みをたしかめると時計を見上げた。

 午前九時のすこし前だ。

 と、チャイムの音がした。カズヤがもう来たんだろうか。

 下からお母さんが「トモキー」と呼んでいる。

「いま行く」

 ぼくはリュックを手に階段を下りた。

 カズヤのやつ、誕生日会に行けると興奮して、ずいぶんはやく家を出たんだな。遠足みたいに「きのう寝れなかったぜー」なんて笑う彼の姿が思い浮かぶ。

 でも、リビングのソファに座っていたのは、カズヤではなかった。

「前田さん」

 前田リンがいた。お母さんがローテーブルにジュースの入ったグラスを置いている。前田は「すみません」と頭をさげた。

「前田さんもお誕生日会にいくのよね?」

 お母さんの言葉に、前田はいっしゅん、きょとんと目をしばたいた。それから、「あ、そうです」と大きくうなずく。

「カズヤくんも、そろそろ来るんじゃないかしら。三人で行くのね」

 ぼくのほうを向き、お母さんは言った。ぼくは「そうだよ」と短く答えると、前田のとなりに腰を下ろした。お母さんは「トモキもジュースが欲しかったら冷蔵庫にあるわよ」と言ってリビングを出て行った。

 お母さんの姿が見えなくなると、前田は「大変なの!」とぼくの腕をつかんだ。

「どうしたんだよ」

 ぼくは驚いた。前田はあせっているのか頬を紅潮させている。

「ネコマタはどこにいるの? 困ったことになって」

「は、マタヲ? いないよ。言っただろ、あいつ出て行ったんだ」

「そんな、ダメよ」

 前田はソファから立ち上がった。

「探さないと。ねえ、本当に出て行ったの? あのね、わたし」

 と言うと前田は掃き出し窓まで歩いていき、閉まっていた窓を開けた。ぼくがぽかんとしていると、前田は顔だけ庭先に出して、「こっち」と誰かを手招く。

「残念だけど、やっぱりネコマタはいないんだって」

「そうですか。それでは『だちだちの花』もなくなったんですね?」

 聞き覚えのない大人の声だ。誰と話しているのか気になって、ぼくも掃き出し窓に近づくと、そいつはぬっと姿を現した。

 背丈はぼくたちと同じくらいか、少し低い。緑色の皮ふで、手足は細くて、水かきがついた平べったい形をしている。お腹はぽっこり出ていて、背中にはカメのような甲羅があった。

 そいつは黄色いくちばしを開くと、頭の皿に手をやりながら、弱った声を出した。

「『だちだちの花』も消えているのでしたら、マタヲ殿はこの家からはなれたのでしょう。あれはネコマタの命にも等しいものですから」

「ねえ、今井くん。前に言ってたわよね、ビンに入った花があるって。それ、いまはどこにあるの?」

「これのこと?」

 ぼくは目の前の初めて見る物体に驚きながら、リュックを開け、『だちだちの花』のビンを取り出した。

「白浜さんにあげようと思って。花だし。まだつぼみだけどさ、きれいかなって」

「え」

「なんとっ」

 前田は、信じられないという顔をしている。その横で、緑色の物体は感激したのか、目をうるませながら水かきがついた手を伸ばしてきた。

「これはまちがいなく『だちだちの花』。つまり、マタヲ殿はまだご在宅ということですね?」

「あの、こいつ……」

 ぼくはビンをその手から遠ざけて、守るように抱えた。

「もしかして、カッパ?」

「そうよ」

「はい、わたくしはカッパの弥平と申します」

 ぺこ、とカッパの弥平とかいう物体は頭を下げる。皿がつるりと光った。

「このたびはトモキ殿のうちに、ネコマタのマタヲ殿がいらっしゃると、こちらのリン殿からお聞きしまして。実は息子が病にかかり、その薬を求めてこうして突然参ったしだいなのです。どうか、マタヲ殿に薬の調合を頼んでは頂けないでしょうか。息子はまだ幼く、甲羅もやわらかいのです。はやく治療しないと、命にかかわるのです。ああ、どうかわたくしの幼い息子を助けてはいただけないでしょうか。もちろん、お礼はいたします。わたくしもカッパ。泳ぎに関して誰にも負けぬと自負しておりますゆえ、ぜひ、トモキ殿にはわたくしたちカッパに伝わる秘伝の」

「あ、あの!」

 ぼくはぺらぺら話し始めるカッパにストップをかける。

「病気は気の毒だけど、マタヲは本当にいないんだ。昨日から見てない。本当だよ。あいつ、出て行ったんだ」

「まさか」

 カッパは納得がいかない顔をする。

「そんなはずはありません。ネコマタが命にも等しい『だちだちの花』を置いて、失踪するなどあり得ないのです」

「でも」

「もしかして!」

 前田が声をあげた。「どうしよう」と頭を抱えている。

「どうしたのさ」

「どうなさった、リン殿」

 ぼくとカッパが声をかけると、前田は「願いが叶ってしまったのよ」と目を見開く。

「願い? ああ、『消えてくれ』ていう?」

「そう、駅裏のお地蔵さんに頼んだじゃない。きっと効果が出たのよ」

 前田はカッパに申し訳なさそうな視線をなげかける。

「ごめんなさい、弥平さん。わたしたちにはマタヲの姿が見えないんだわ。でも、あなただったら」

「いったい、願いとは何です?」

 首をかしげるカッパに、前田はぼくたちがやったお祓いについて説明した。お祓いといっても駅裏にあるお地蔵さんに庭に咲いた花をお供えして、呪文を言ったあと願い事をしただけのものだが、マタヲが見えなくなった以上、それで効果があったのだろう。

 でも、話を聞いたカッパは「そんなはずはありません」ときっぱり否定した。

「そのお地蔵さまは存じております。あの方は元々水子さんでしたが、いまは地域の子どもたちを見守っておられるのです。危険から身を守ってくれることはありましょう。ですが、そのような願い事を叶えるとは思えません」

「でも、今井くんは」

 前田はちらとぼくに視線をやる。たしかにぼくはマタヲが見えなくなった、いや、マタヲを見かけていないのだ。つまり。

「お地蔵さんの力じゃないなら、やっぱり出て行ったんだよ。実はおとといの夜、ケンカしたんだ。それからあいつのことは見てない」

「ケンカ?」

 前田は鼻にしわをよせる。

「どうしてケンカなんてしたの?」

「べつにいいだろ。あいつ、うざいんだよ。出て行ってせいせいしてる」

 ふんっと鼻息あらくすると、カッパは「そんなはずありません」とまたぼくの言うことを否定した。

「そんなことあるよ。あんた、マタヲを知らないんだよ。いつも騒がしくて」

「マタヲ殿のことはよく存じ上げております。たしかに、以前お会いしたのは、マタヲ殿が大陸に渡られる前でした。しかし、その後もお噂はかねがね耳にしております。それに」

 カッパはずいっとぼくのほうへ身を乗り出してくる。ぷうんと生臭いにおいが漂ってくる。にごった池のようなにおいだ。

「ネコマタが『だちだちの花』を置いて消えるなんてありえないのです」

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