第二十四話 新しい朝

 翌朝目を覚ますと、いつもと空気がちがう気がした。すっきりしていて、どこか緊張感がある、凛と張りつめた空気だ。

 顔を洗いに洗面所に行くと、お父さんがひげをそっていた。

「おはよう、トモキ」

「おはよう」

 お父さんはぼくが顔を洗いタオルで拭くあいだも、ずっと気がかりそうにぼくの顔色をうかがっていた。

「お父さん」

「なんだ?」

「白浜さんにあげるプレゼントね」

「うん」

 ぼくは嘘をついた。

「ぬり絵を作るよ。彼女ね、犬が好きなんだ。チワワを飼ってるんだって。だから、チワワの絵を描いて、ぬり絵にする」

「そうか」

「うん」

 ドア口のところで、お父さんが言った。

「トモキも犬を飼うか?」

「犬?」

「そう。知り合いに子犬が産まれた家があってな。ゴールデンレトリバーの子犬。大きくなるけど、しつければ頼りになるぞ。お母さんには、まだ相談してないんだけどな」

「いやがるんじゃない、お母さん」

「まあ、任せとけ」

 ドンと胸を叩くお父さん。ぼくはくすっと笑った。


 教室では、明日になった白浜の誕生日会の話でもちきりだった。どんな服装をしていくかで男子まで悩んでいる。

「林田、お前タキシード着て来いよ」

「え、や、やだよ」

「似合うって。なあ、白浜さん。林田はタキシード着てくるってよ」

「えええええ」

 笑い声が上がる。林田は顔を真っ赤にしていたが、会話の中にいるのが楽しいのかずっと笑っている。

「わたし、ドレス着ちゃうもんね」

 白浜はスカートの裾を持つような仕草をして、くるりと一回転した。

「去年のピアノ発表会で着ようと思って買ったんだけど、サイズが大きくて。でも、いまならぴったり。ピンクのタータンチェックに大きなリボンがついてるの」

 わあ、いいなー。誰ともなく声があがる。

 元々クラスの中心的な存在だった白浜。今日はすっかり人気アイドルのようで、ちょっとした話でも、みんな大注目して、大げさに反応する。

 白浜は隣の席なので、ぼくも自然と会話の中心にいることになった。休み時間も、すぐに白浜の周りに人が集まり、ぼくの周りも人だらけになる。

 わざわざ押しのけて抜け出す気にもなれず、ぼくもずっと誕生日会の話題を耳にすることになった。

「今井くんは」

 チャイムが鳴り、みんなが自分の席へ戻ろうと散らばったとき、白浜が小さな声で言った。

「明日、ぜったい来てね。今井くんが来てくれないと、ユメ、すこしも楽しくならないから。ね。お願いだよ?」

 ぼくは、こく、とうなずく。白浜の顔に満面の笑みが浮かんだ。

「うれしいっ。ぜったいにぜったいだよ。約束」

 小指を出してきたけど、ぼくはちょっと笑って返すだけで、指切りはしなかった。

 白浜は気分を害してはいないようで、そのあともずっとニコニコしていた。


 一日の授業が終わった。帰りの会では、担任の青山先生の口からも、白浜の誕生日会の話が出た。

「明日は白浜さんの家にみんな行くようですけど、おうちの人に迷惑をかけてはいけませんよ。プレゼントは」

「わかってます」

 白浜が声を上げる。席を立ち、ぐるっと周囲を見回す。

「みんな、プレゼントは持ってこなくていいからね。ただ、パーティーに来てくれるだけでいいの。ママとごちそうを用意してまってるから。ゲームもたくさん準備してあるの。動きやすい服で来てね!」

「オッケー」

 カズヤがいちばん大きな声を出した。他にも「わかったー」「たのしみー」の声を次々あがる。

 青山先生は、ヤレヤレといったかんじで息をついている。きっとプレゼントの内容でトラブルになることを避けるために、念のため注意したのだろう。低学年の誕生日パーティーで、そういったトラブルがあったらしいから。

 でも、白浜がああ言っても、本当にプレゼントを持っていかない子はいない。カズヤは「おれ、すっげえいいかんじのノート見つけたんだぜ」と隣の席の子に自慢していた。

 帰りのあいさつがおわり、ほとんどの人が教室を出て行ったところで、ぼくは前田の席に近づいた。前田は日直だったので、日誌を書いているところだった。カズヤは教室のドア口にいる。

「トモキー」

「うん、ちょっと待って」

 前田さん。そう声をかけると、前田は不機嫌な顔をしてぼくを見た。

 昨日も今日も、ぼくは前田と一言も言葉をかわしてなかった。前田のほうでも、ぼくに話しかけてくるそぶりを見せなかった。

「これ」

 ぼくは一冊の本を手渡した。前田は目を丸くした。

「もう読んだの?」

 前田が「ネコマタについて書いてあるから」と貸してくれた、彼女のおじいさんの本だ。ぶあつく、古い本のページは茶色に変化している。

「ううん、まだ。でも、もう必要ないから」

「え」

「あいつ、マタヲ。出て行った。だから」

「そうなの?」

 前田は椅子から立ち上がった。驚いている。

 カズヤが、「おい、セイメイ」と威嚇するような声をあげた。

「なによ」

 前田がカズヤをにらむ。

「べっつにー。トモキ、セイメイと帰るのかよ」

 むすっとした声に、ぼくは苦笑した。

「ちがうよ。本を返しただけ。じゃあね、前田さん。バイバイ」

 前田は本を抱いたまま、ただ黙ってぼくを見ている。

「セイメイ、バイバーイ。おれのこと呪わないでねー」

 カズヤがふざけた調子で言う。

 前田は顔をしかめると、がたりと音を立てて席につき、また日誌を書きはじめた。

「あいつ、明日くんのかな?」 

 下駄箱につづく階段を下りているとき、カズヤが聞いてきた。

「行かないと思うよ。誕生日会のことだろ?」

「明日といやそうと決まってんじゃん」

 最後の三段をカズヤはジャンプでいっきに飛び降りた。

「トモキ」

 こちらを向き、うしろ歩きをするカズヤ。

「なに?」

「明日、いっしょに行こうぜ、白浜んち」

「いいよ」

「んじゃ、迎えに行くわ。九時半くらいか?」

「そうだね。十時にはみんな集まってるだろうし」

「よし、九時半にお前んち行って、それから白浜んちに突撃だな!」

 うおおお、なんか緊張して来たぜ。走り出すカズヤ。ぼくも彼のあとを追った。

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