第二十三話 ぼくはここにいる

「トモキ。お父さんも昔、おばあちゃんとケンカしたことがあってな」

 昔話をしようとするお父さん。

 ぼくは体を起こした。ベッドの上でひざを抱えて座る。

「いいよ、そういう話は。明日、お母さんにはあやまるから」

「そうか」

「うん。でもぼくは二人に文句を言ったんじゃないよ。あっちいけって言ったのは」

 ちらとマタヲを見た。大きくうなずいている。

「言ったのは、マタヲにだよ」

「マタヲ?」

「そう」

 しん、と静まり返る。ごほっとお父さんが咳をした。

「マタヲ、とはなんだ?」

「猫」

「ネコマタですよ、パパさん」

 マタヲはトコトコとお父さんの目の前まで歩いていき、後ろ足二本で立ち上がった。

「ごあいさつが遅くなりました。ぼくはネコマタ協会正会員のマタヲいいます。このたびトモキくんのパートナーになりまして、このうちにしばらくごやっかいになります。お父さん、トモキくんのことは、ぼくに任せて下さい。立派な大人に育て上げますさかい、何も心配することはありません」

「いま、お父さんの目の前にいるのがマタヲ」

「目の前?」

 まばたきをしている。お父さんの緊張感がぼくにまで伝わってきた。

 きっと、ぼくの頭がおかしくなったと思っている。

「その、マタヲというのは」

「はい。なにかお知りになりたいことがあるなら、何でも聞いてください。もちらん、ネコマタの掟に関する話はできません。けど、それ以外なら、ぼくの過去だってお話ししますよって」

 マタヲが話す間も、お父さんは気まずそうな表情をかくせないでいた。

「ここに、お父さんの目の前にマタヲという子がいるんだな? トモキのともだちかい?」

「ともだちじゃないよ」

「ともだちです」

 ぼくとマタヲの声が重なる。

「ぼく、妖怪が見えるんだ」

「そう、ぼくは妖怪のネコマタです」

「お父さんには見えないよね、わかってる。でも、ここにいるんだ。いま、お父さんにずっと話しかけてた。声も聞こえないよね。でも、いるんだよ」

「います。ぼくはお父さんの目の前に。ずっとこのうちにいました」

「あそこ、段ボール箱あるでしょ?」

 ぼくは部屋のすみにある段ボール箱を指さした。

「あれがマタヲのベッド」

「元ベッドです。いまはトモキくんに添い寝してます」

「……うそだろ?」

「ほんとや。きみが寝たあと、もぐりこんでんねんで。あったかかったやろ」

「あせもができた」

「わかった。マタちゃん特製なんでも秘薬をやる。軟膏でええか。パウダーにもできるで」

「ト、トモキ」

「なに?」

 お父さんはぼくの目をじっと見てくる。

「妖怪だと言ったな? マタ子という妖怪が」

「マタヲ」

「マタヲです、パパさん。マタ子はぼくが女装したときの源氏名です」

「マタヲ、か。その子はトモキのともだちで」

「ともだちじゃなくて」

「親友です」答えるマタヲに、

「ちがう」ぼくは鋭く声を上げて立ち上がった。

 お父さんはびっくりしてベッドでのけぞっている。

「ここに、この場所に」

 ぼくはマタヲを持ち上げて、お父さんの目の前に突きつけた。

「ちょっ、近いはトモキくん。ぐふっ、ちょパパさん、動かんといて。くすぐったいて」

 マタヲの毛もじゃのお腹をお父さんの顔に押し付けてグリグリした。でもお父さんはくしゃみをひとつしただけで、ぽかんとしている。

「トモキ。すまないがお父さんには、その、マタヲは見えない。たぶん、お母さんも見えないと思う」

「見えないよ。ぼくと」

 前田さん、と口に出かかったがやめる。お父さんがぼくの話を信じていないのは、その表情からも明らかだった。ぼくの心を傷つけないようにしながら、現実もわからせてやろうとしているのか、笑ったような、戸惑ったような、そんな顔をしている。

 ぼくがここで前田の名前を出したら、彼女に迷惑をかける。元々クラスで浮いていて、ちょっと変わり者だと思われているんだ。お父さんたちも転校生がどういう子なのか、親同士の連絡網で知っているだろう。

 前田の影響で、ぼくがおかしなことを言うようになったと、お父さんたちに思われたくない。たしかに、ぼくはいもしない妖怪のことを見える言い、そいつが勝手に住みつき、おこづかいを使いはたし、いまもここで話していると言い出した、へんな子に見えるだろう。

 でも、マタヲはいる。ここに、ちゃんといる。

 だから、ぼくにとっては、見えないと信じているお父さんのほうがへんだ。

 鼻先にいて、お父さんの鼻息でお腹の毛を震わせているマタヲがいるのに、「ちょっ、抱っこすんなら、おしりもささえてーな。脇だけ持ってプラーンしたらしんどいわ」と文句を言っているのも聞こえない。

「トモキ。昔からお前は想像力がゆたかで」

 お父さんが聖母の目をしている。労わり、同情、理解を示そうとする目。しかし、本音も透けている。お父さんはぼくの話を信じていない。信じようともしていない。

「いいよ」

 ぼくはマタヲをつかんでいた手をはなした。

「ちょっ、いきなりなんや」

 マタヲはシュタと見事に着地したが、「乱暴や!」と抗議する。

「ぼくはへんなことは言ってない」

 ぼくはお父さんの目を見つめ返した。

「でも、へんなことを言っているのはわかってる。お父さんたちがぼくをどう思っているかも。さっき『あっち行け』て言ったことを、マタヲのせいにして言い逃れようとしていると思ってんでしょう。困ったこと、都合の悪いことは、全部マタヲのせいにして逃げているって」

「トモキ」

「そういう風にお父さんが思うのも当然だと思うよ。小学五年生にもなって、妖怪が見えるなんて言って、都合の悪いことはそいつのせいにして、自分は悪くないってだだをこねているんだ、そう思っているんでしょう」

「いや、そんなことは」

「もういい」

 ぼくはお父さんの腕をつかんだ。

「もう言わない。マタヲの話はしないし、この話はなかったことにする。もう二度とへんなことは言い出さない。だから、出てって。おやすみ。明日も仕事でしょ」

「トモキ、あのな」

 また涙が出そうになった。ひんやりとした孤独をかんじた。鼻の奥がつんと痛くなる。目をしばたき、お父さんの背中をドアへと押し出した。それからお父さんに背を向ける。と、窓辺のそれに目がとまった。

 『だちだちの花』がある。ビンに入ったそれは窓辺に置いてあり、かたく閉じたつぼみをつけていた。

 いっしゅん、「あのビンが見える?」とお父さんにたずねようとした。

 でも、あきらめた。

 見えても、見えなくても。それは何の助けにもならない。

「おやすみ」

 ぼくはもう一度言った。お父さんは「ああ、おやすみ」と元気のない声で答えた。

 それから、パタンと静かにドアが閉まった。

「トモキくん」

 マタヲは残念がっていた。いつもピンと張っているひげが、へにゃりとたれ下がっている。

「きっとお父さんはびっくりしたんよ。また丁寧に説明したらわかってくれる。時間はかかるやろうけど、ぼくだってお父さんたちに声を届けたい思うときがある。せやから、ゆっくりちょっとずつわかってもらって」

「出ていけ」

「ん、わかった。今日はリビングで寝るわな。そんで、また明日、お父さんたちのことは考えよ。プレゼントのこともあるし、ぼくもきみに紹介したい人もおるから」

「お前の彼女なんかに興味はない」

「せ、せやけど、トモキくんはあの人のことを誤解して」

「前は興味あったよ。お前が見えるっていうから。でも、もうどうだっていい。ぼくには関係ない」

「でもな」

「マタヲ」

「ん?」

「出てって」

「わかった。ほな、おやすみ」

 ドアを開け、出て行こうとするマタヲに、ぼくは声をかけた。

「二度と、戻るなよ」

「え」

「二度と、帰って来るな。お前なんか嫌いだ。大嫌いだ」

「トモキくん」

「お前のせいでぼくは不幸になった。周りから頭がおかしいと思われて、悔しい思いばかりしてる。お前の姿なんか、もう二度と見たくない。声も聞きたくない」

「トモキくん……」

「出てけ。ぼくの人生を邪魔するな。お前なんか気持ちの悪い妖怪だ。消えちまえっ!」

 枕を投げつける。マタヲはよけなかった。ばふ、と顔面に当たる。

「トモキくん」

 マタヲは枕を持ってトコトコと歩いてきた。ぼくはそっぽを向いた。マタヲは「ここに置いとくからね。ちょっとぼくの毛がついたかも」と枕をベッドに置き、毛を払う仕草をする。

「消えろ、妖怪」

「わかった」

「お前なんか、二度と」

「でもね、トモキくん」

 マタヲはドアまで行くと、廊下に一歩だけ出て振り向いた。

「ぼくのパートナーはきみやねん。それは一生変わらんねん」

 そして、マタヲはドアを閉じた。

 階段を下りるドスドスドスの音が、やがて遠くなり聞こえなくなった。

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