第二十二話 マタヲの優しさと覚悟

 そっとドアが開く。隙間からマタヲのハチワレ柄の頭がのぞく。

「トモキくん。あんな」

「うるさい。出ていけ」

 あのあと、ぼくはリビングで久しぶりに泣いた。涙を流したのはいつぶりだろう、しかも両親の前で。

 お父さんが「ほら」と五百円玉をぼくに渡そうとしたけど、ぼくは無視した。コツンと音がしたから、テーブルかどこかに置いたのだろう。見ていないのでわからない。お母さんは疲れた顔をして黙っていた。二人ともきっとあきれていた。

 ぼくはリビングから飛び出して自分の部屋に引きこもった。ドアをノックする音が三回したけど、無視していたら声をかけてくることはなかった。家中が静かになった。ぼくはベッドで丸くなり、枕に顔を押しつけて涙を止めた。

「トモキくん」

 マタヲは、しばらくぼくをひとりにしてくれていたけど、そっと部屋に入って来て、「トモキくん、宿題は?」と言った。こちらのようすをうかがうように、遠慮がちな声だったけど、ぼくはムッとした。

「やった。もう寝る。話しかけるな」

「まだ起きててもええ時間やよ。もし、プレゼントにポエムを書くんやったら」

「書かない」

「絵にするか? 色えんぴつやったらここに」

 ガタガタと音がする。

 布団のすきまからのぞくと、マタヲが机の引き出しをごそごそしていた。

「やめろ。散らかるだろ」

「ちゃんと戻すから心配せんでもええよ。あ、色えんぴつやなく、絵の具にするか? 水墨画いう手もあるで。ぼく、昔、すんごい有名な絵師の家で、しばらくごやっかいになっとったことがあってな。そんときに見たんは、まるで生きとるかのような」

「描かない。いいから出てけよ」

「そ、そうか? ほな……あ、そや!」

 ポンと前足を打ちならすと、マタヲは黄色の目を輝かせた。

「フェルト人形や。白浜ちゃんはきっと好きや。トモキくん、ぼくの毛を使って人形を作るといいよ。そいなんが手芸ではやっとるんやろ、針で刺して形つくんねんて。せやせや、ぼくちょうど脇の下んところの毛がからまっててん。ブラッシングしてーな。そんで毛を集めたらいい。ブラシだけで足らんのやったら……ええいっ、マタヲもネコマタや。トモキくんのためやったら、バリカンで丸刈りにしてくれてもいい! 毛は伸びるけど、恋は一発勝負や。トモキくん、プレゼントで感激作戦、恋も友情もあっちっちや!」

「いらない」

「よし、まずは道具を準備せな……は?」

「いらない、お前の毛なんて」

「かまわん、トモキくんのためなら、このマタヲ。ツルツルになる覚悟はある」

「ちがうよ」

「なんやねんな。うまく人形作られへん心配なら、ぼくが手つどうたるから、心配せんでもええって。ぼく、こんな手しとるけど、器用やで。なんでもできんねんから、美的センスも任せてくれてええねん。よし、もうさっそく今からやろう。土曜までに立派なマタちゃんフェルト人形を作って、白浜ちゃんにプレゼントや!」

 マタヲははりきっていた。白いところと黒いところの毛はべつべつに集めんねんで、とさっさくブラシでゴシゴシしている。

「ほら、もうこんなに集もうた。バリカンはパパさんが持ってたかなあ。ちと、洗面所見てくるわ」

「お前さ」

「なんや。ええねん、トモキくん。たしかにぼくもキャットフードをねだりすぎた。反省してる。ついテンション上がってん。限定言われたら買いたなんねん。メーカーの思うつぼや。これからは財布のひもは固く結んでおきます。それに、お父さんお母さんにもごあいさつできてへんから、失礼なことしとる思うとったの。手紙を書くさかい、きみが代読してくれたらええんやけど」

「あのさ」

「ええねん。トモキくん、ぼくたちパートナーやろ?」

 ニカッと笑うマタヲ。ぼくは「はっ」と乾いた笑いが出た。

「そうじゃなくて。たとえばお前の姿はほとんどの人間には見えないよな」

「ん、せやね。トモキくんと、ま、まあ、ぼくの、ぼくのハニーくらいやなあ」

 マタヲはポッと恥じらう。ぼくはそれにかまわずにつづけた。

「だったら毛もダメだろ。たとえば人形が完成したとして、白浜さんには見えるのか、その人形?」

「ハッ!!!」

 マタヲはひざから崩れ落ちた。

「せやった……、見えへん」

「だろ?」

「なんてこったや。なんてこったやで、トモキくん。ぼくのこの覚悟はどこへ行ったらいいんでしょう。近々デートに行く約束があんのに、ツルツルに剃り上げると腹くくったぼくの勇気はどうしたらええのん」

「知るかよ」

「なんでや。なんでみんなぼくが見えへんねん。見ろや、自分ら。ここにおんねん、ぼくはここにおんねんぞ。ネコマタはこの世におるんやんか!」

 ダンダンダンと床を叩くマタヲ。

 すると、「トモキ?」とお父さんの声がドアの向こうからした。

「トモキ、入ってもいいか? お父さんと話をしよう。な、二人だけで腹割って話そう。お母さんだって、もう怒ってないんだぞ。トモキのこと、大事に思っているからな。すごく心配しているよ」

「マタヲ」

「なんや。ああ、わかった。もちろんぼくは部屋を出ていくよ。パパさんと二人で親子の会話をしいや。邪魔はせん。な?」

「ちがう。だいたいな、お父さんに『ある日、ネコマタがやって来て、うちにかってに住みつき始めたんだ。おこづかいがなくなったのも、そいつに脅されてキャットフードを買ったせいなんだよ。いまもぼくが床を叩いたんじゃない。そのネコマタがやったんだ。どうしよう、どうしたら、ネコマタから解放されるかな。お父さん、ぼく、ネコマタに憑りつかれているんだ』って相談して、信じてもらえると思うか?」

 マタヲは「ちょっと語弊があるんとちがう?」と不満げな顔をする。

「ま、きみの言いたいことはわかる。でも息子の言うことや。パパさんかて、最初は驚くやろうけど、信じてくれるわ」

「そんなわけ」

「あるて」

 マタヲはドアノブに飛びつき、ドアを開けた。

 お父さんはぼくが開けたと思って喜んだ顔をしていたが、奥のベッドにいるのを見て、いっしゅんだけ不思議そうな顔をする。

 でも、すぐにその疑問を打ち消したらしく、部屋にはいってくると、ベッドに腰かけ、ぼくに笑顔を向けた。

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