第十七話 呪文はコロコロ

「あのね、呪文があるのよ。そのあとに願い事をすると叶えてくれるんだって」

「へー」

 ぼくはあまりこのお地蔵さんの力を信じる気にはなれなかった。正直、しょぼいというか、お地蔵さんはお地蔵さんだけど、かさ地蔵じゃあるまいし、花をそなえて手を合わせたところでどうもなりゃしないと思った。

 このお地蔵さんが願い事を聞いてくれるということを、前田は駐輪所のおじいさんに聞いたみたいだけど、そのおじいさんも冗談で、昔は妖怪が見えたっていうのも、前田を喜ばせようと嘘をついたのかも。

 とはいえ、何もやらないよりは何かしたい気分なのは本当だし、前田は真剣な顔をして取り組んでいる。

「いい、呪文はね」

 と、じっとこちらも見てくる顔に、ふざけている気配はない。

 せっかくぼくのために一生懸命になってくれているんだから、文句は言わずに、ぼくも真剣な顔を作ってみる。

「呪文は『オンコロコロ・ニャントカセンカ・ソワカ』よ」

「オンコロコロ・ニャントカナルサ・センター?」

「どういう耳してるのよ。いい? 『オンコロコロ・ニャントカセンカ・ソワカ』」

「オンコロコロ・ニャントカセンカ・ソワカ」

 ぼくは呪文をくり返した。前田は納得したように大きくうなずく。

「オッケーよ。で、そのあとに願い事をいうの。いい、じゃあ始めましょう」

 ぼくらは小さなお地蔵さんの前に並んでしゃがみ、手を合わせて目を閉じた。

「オンコロコロ・ニャントカセンカ・ソワカ。マタヲを見えなくして。声も聞こえないように!」

 十秒間くらい、そのままのポーズでいた。前田が「いいわ」と言ったので、目を開ける。ぼくは立ち上がる前に、もう一度お地蔵さんに向かって心の中で頼んでおいた。マタヲを消して! それからぐいっと背伸びをして、周囲に目をやった。

 そこで、あの女に気づいた。

 スーパー近くの信号機で会った、白いつば広帽子にサングラスをかけた女だ。

 いまも同じ格好でカメラを手に持っている。線路のほうを見ているのか、ぼくらには気づいていないみたいだけど、ちょっとこちらのほうに目をやったら、すぐに見つかる。

「前田さん」

 ぼくは小ビンにさした花をいじっていた前田の肩に軽くふれた。

「な、なによ。気安くさわらないでちょうだい」

「しっ。声小さくして。黙ったまま向こうまで行こう。来て」

 ぼくは状況が飲み込めていない前田の手をつかんで、この場からはなれた。

「え、ちょっと」

 前田はびっくりしていたけど、声は押さえている。

 ぼくは背丈ほどに伸びた植木があるところまで行き、そのかげに隠れた。花は咲いてないけど、たぶんツバキの木だと思う。うちにもあるから見たことがある。

「あの人、わかる? 白い帽子の女の人。カメラ持ってる」

「え、ああ、あの人のこと?」

 ぼくらはツバキの葉の隙間から、女を見やった。怪しい女はカメラに手をやっているけど、さわっているだけで写そうとはしていない。

「あの人、変質者だよ。子どもの写真を撮ってネットにバラまいてるんだ。ぼくも写真を撮られそうになった」

「え、本当に?」

 マタヲに尾行を頼んだのに。ぼくはツバキから離れて、あの女に気づかれないように注意しながら周囲を見た。あの人以外誰もいないし、猫もいない。マタヲのやつ、どこ行ったんだろ。もううちに帰ったんだろうか。

「ねえ、本当にあの女の人、そんなことしてるの?」

 ツバキまで戻ると、前田がそう聞いてきた。ぼくは大きくうなずいた。

「そうだよ。前田さんも気を付けて。あの人に見つからないように、うちに帰らないと。盗撮されるよ」

「そう、なのかなあ?」

「そうだよ。あのサングラス、絶対怪しい。それに今どきあんな大きなレンズのカメラなんて、プロカメラマンか変質者のどっちかだ」

 鼻息荒いぼくに、前田は「それは言いすぎよ」と困った顔をしている。

「わたしのパパも写真が趣味でああいう望遠レンズがついたカメラを持っているわよ。あの人もきっと電車を撮ろうとしてるのよ」

「こんなときだけお人好しになるんだから。ぼくも撮られそうになったって言ったろう? そのときポストのちかくにいたけどさ、ポストじゃなく、ぼくを見てた。その前からずっとぼくをじいっと見てて、襲ってきそうになったんだから」

 ぼくは、あの女が横断歩道を無言で渡って近づいてきたときのことを思い出して、ぞくっと背筋が冷たくなった。

「だから気を付けて。前田さん、普通の顔してるときはかわいいからさ。変態には気を付けないと危ないよ」

「か、かわいい!?」

「つんつんしてないときはね。白浜さんといい勝負だと」

 顔を赤らめて目を見開いていた前田が、白浜の名前が出たとたん、ギランと目つきを変えた。

「なによ、白浜白浜って。あの子が好きなのはわかってるけど、わたしと比べるなんて最低よ」

「比べたわけじゃ」

「比べたじゃない。もういい、わたし帰る。願い事が叶うといいね。じゃっ」

 前田はふんっとそっぽを向くと、背を向けて一度も振り返ることなく自宅へと戻って行った。ぼくは「なんだよ」とぼやいたあと、あの女を見ようと顔を向けた。でもさっきまでいた場所にはもういなくて、電車が線路をちょうと通過していくところだった。

「ほら、電車なんか撮ってないんだ。子どもを物色してたんだ」

 ぼくはひとり納得して、マタヲが何か証拠をつかんだかどうか、すぐに家に戻って確かめることにした。

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