第十八話 マタヲの彼女

「マタヲ、いる?」

 リビングをのぞくと、マタヲがソファでスルメをかじっていた。

「お、やっと帰ったんか。トモキくん、寄り道してたやろ。ぼくずっと待っとったんやで」

「なんだよ、そのスルメ。また冷蔵庫から盗んだな」

 前にお父さんがつまみに買っておいたチーズをマタヲが全部食べたことがある。そのときも、ぼくが黙って盗み食いしたと思われて、「トモキは自分のお菓子を勝手に他人が食べたらどう思うか」について長々と話をするはめになった。

「ちゃうわ。これはな、彼女にもらってん。酢昆布と黒糖アメもあんで」

 マタヲはガサゴソとビニール袋から酢昆布とアメを取り出した。

「欲しかったらあげるわ。それともスルメがええか。ここにまだ一本残って」

 おしりの下から、マタヲはひょろっとしたスルメを出してくる。

「ちいと毛がついてるけど、フーしとけば大丈夫や。よう噛んであご鍛え」

 ん、とぼくにスルメを向ける。

「いらないよ。何が彼女だ。盗んできたのか」

「バカ言いなや。彼女や、かーのーじょっ。ガールフレンドができてん。トモキくんにもまた紹介してあげるわ」

 ニャフッとマタヲは鼻の下を伸ばす。猫でもスケベ顔ができるらしい。それなりに照れているのか、腕やお腹をせっせと毛づくろいしている。

「ま、いつかはトモキくんも彼女できるよ」

「べつに」

「大丈夫やて。トモキくんはかっこいいもん。あとはその口の悪さをどうにかしたら彼女なんて一発や。告白するときは練習を手伝ったる。それともいますぐやろか? ほな、始めよう。ぼくが好きな子や思うて、告白してみ」

 マタヲはどんと重たい音を立ててソファから下りると、二本足で立った。

「うふ、マタ子よ。なによ、トモキ。あたしをこんなところに呼び出してさ」

 くねっとしなを作る。

「早くしてよね。あたし、忙しいんだから」

「……そういう遊びをしている気分じゃない。それより、尾行はどうなった?」

「なんやねん、ノリの悪いやっちゃ。尾行か? あー、アレは無意味やったわ」

 マタヲはヤレヤレとため息をつくと、またソファに飛び乗り、おっさん座りでスルメをかじりはじめた。

「怪しいとこなんてない。トモキくんの勘違いや。あの人はいい人。この街は安全です。だいたいな、ネコマタのぼくが毎日パトロールして結界を張っとるんや。悪いやつが入ってくるかいな」

「結界?」

「せや。あら、言うてなかった? ネコマタは街の治安を守るのも仕事なんや。毎日歩いて結界を張っておるんや。ただの猫のパトロールとはちがうねん。すごいやろ。ええ、ええ、そんな感謝せんでも。仕事やさかい、ただ勤めを果たしとるだけです。ええですから、そんな、もう、尊敬せんてエエんやて」

 シラケた目をしているのに、マタヲは「ええーええー」言いながら、スルメを振り回している。

 あきれた。結局尾行に失敗して、あの女の人を見失ったか、そもそもあのあと見つけられなかったんだろう。

「お前の彼女、人間か?」

「そやで。才能のある子や。立派な仕事をしとる。今度な、市民会館でミュージカルすんねんて。ぼく観に行こう思って」

「いくつの人だよ。おばあちゃんか? そんな、スルメに酢昆布なんか盗んできて。駄菓子屋でも行ったのかよ。万引きは犯罪だぞ」

「せやから、もらった言うとるやろ。彼女からのプレゼントなんや」

「あーそうかよ。母さんが帰って来る前に食べるか隠すかしといてくれよな」

 上に行って宿題をしよう、そう思って階段に足を向けたとき、ハッとした。

「マタヲ!」

「なんや、いま酢昆布食べてんねん。欲しいゆうても、もうやらんで」

「そのおばあさん、お前のこと見えたのか?」

「おばあさんて、失礼やな。ピッチピチのレディーや。ま、ぼくにしたら百歳でもすっごい年下やけどな。なんせ、ぼくが生まれたのは、まだ人間がちょんまげをして」

「見えるのか、その人? お前のことが見えるんだな?」

「あ? せやで。ばっちりや。ぼくのプリチーな体を抱きしめて、モッフモフや……あ、ごめんトモキくん。子どもの前でエッチやったな。もう言わんから、秘密や、ウフフ」

「見えるんだ。すごい!」

 ぼくは興奮していた。まったく誰もマタヲが見えないと思っていたのに、二人も見つかるなんて。前田とおばあさん……、いや、本当におばあさんか?

「マタヲ、その人いくつくらいって言ったっけ。ぼくと同じくらいか?」

 マタヲの言っている彼女とは、もしかして前田ではないかと思ったのだ。

 でもマタヲは、すぐに「もー、やめてーな。ぼくは大人の女性が好きやで」と前足を振って否定する。

「彼女はノゾミさんいうて人に感動を与える仕事をしてん。仕事熱心な彼女が、プリチーなぼくに気づいて話しかけて来てん。なんやぼくに興味あるゆーてな。せやから、もうぼくもたくさん話して、あっという間に仲良くなってん」

「そっか、ノゾミか」

 前田はリンて名前だから、べつの人だ。やっぱり二人もマタヲが見える人がこの町にいるんだ。

「なあ、その人に会わせてくれよ。もしよかったら、お前を引き取ってもらうから、いっしょに住め」

「なんや、同棲なんて早いてー」

「でもその人は、お前を気に入ってるんだろ?」

「もー、なにをむくれてんの。ぼくはトモキくんのうちにおりますよ。嫉妬なんかせんと、安心したらいいの。彼女がいても、トモキくんはぼくのパートナーやよ」

 マタヲは「もう、この子ったら、すぐヤキモチやいて」と近づいてくると、足にすりよってきた。モフモフの体をぼくの足にこすりつける。二又になった尻尾がからみつくようにクネクネしていた。

「心配いらんよ、トモキくん。ぼくはきみを一番に思うてるから。もー、ほな、宿題しよか。今日はなんや、算数か、国語か? ぼくはそろばん得意やからね、算数もわかるし、中国に修行に出たこともあるから、漢字にも詳しいで。なに、歴史のプリント? そんなんいっちゃん得意やんか。なんせ、長生きしてまっからなー。ぼく、西郷さんも見たことあんねんで。ものっすごい遠くからやけどな。ニャハハハ」

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