第十五話 前田の家
「うち、お母さんいなくて、おばあちゃんと住んでるんだけど」
前田は丸机の上にグラスの入った麦茶を置いた。
神社を出たぼくらは、これからの計画のため、作戦会議を開くことにした。
計画とは、もちろん「マタヲ討伐」の計画だ。
前田の家は駅前ちかくにある日本家屋の広いうちだった。
前田は、母親が三年前に病気で亡くなったこと、四年生まではお父さんと二人暮らしをしていたけど、仕事が忙しくなってきたので、母方のおばあちゃんといっしょに住むことになったことを話してくれた。
「おじいちゃんはわたしが小さい頃に亡くなってるんだけど、妖怪が好きな人でいろんな面白い話をしてくれたの。いまでもよく覚えてるわ」
話の中には実際に体験した妖怪ばなしもあって、おじいちゃんは子供の頃、一度だけ妖怪を見たことがあるらしい。
「カッパを見たんだって。川で遊んでいるときに、おぼれかけたことがあるそうなの。そのとき、カッパがおじいちゃんの腕を引っぱって助けてくれたって」
「いたずらしたんじゃなくて?」
「うん、ちがうの。わたしもカッパは人を驚かせたり、川に引きずり込むものだと思ったけど、おじいちゃんが会ったカッパは、とても親切で、いっしょに遊んでくれたんだって」
「そっか」
麦茶に口をつけると、前田は上目づかいでこちらを見た。
「信じるの、この話」
「うん」
「そ、そう」
ごく、と麦茶を飲む音が響く。前田はうつむいて、ちょっとモジモジしていた。
「あ、あのね。おばあちゃんはいま体操クラブに行ってていないんだけど、もうすぐ帰って来ると思う」
「うん」
「でね。その、もし」
「なに?」
前田は肩で大きく息をつくと、ぐいっと麦茶を一気飲みした。がたんと丸机に空になったグラスを置く。
「おばあちゃんに、今井くんを『ともだち』て紹介してもいい?」
「いいよ。べつに」
かまやしないだろう。というか、家に遊びに来ていて「ともだちじゃありません」と、人んちのおばあちゃんに向かって言うわけない。
「ほんとに?」
前田はうれしそうだった。ぱっと顔色が良くなり、花びらが飛ぶみたいにキラキラの表情をする。こうやって向かい合ってよく見ると、前田はかわいい顔をしていた。いつもむっつりして人を小バカにしてくるので気づかなかったけど、整った顔をしていて黒い目がきれいだ。
つい無意識に、白浜ユメと前田を比べていた。白浜はかわいくて当然だけど、さっき前田が言った「チワワ」が頭にこびりついていて、チワワとダブるようになった。たしかに目は大きいし、どちらかというと小柄で声も高い。
前田リンは犬より猫だろうか。いや、猫もちがうかな。鳥っぽいかも。鳥に似ている顔じゃないけど、イメージが何か孤高ワシみたいな。それかキツツキ。鋭いくちばしで人のことつついて面白がるのが似合う。
ぼーと顔を見ながら考えていると、前田は「な、なによ」と顔を赤くした。
「前田さんて、すぐ赤くなるよね」
「ならないわよ」
「そうかな。ま、いいんだけど」
「よくないわよ。わたし、赤くなったりしないんだからね」
「わかったよ。ぜんぜん赤くないよ」
わかればいいのよ、とやけに顔色にこだわる前田だが、ぼくにとってはもはやこの意味不明なしつこさも些細なことだ。前田は見えている。妖怪が見えているんだ。それもマタヲを知っている!
「それで、マタヲのことだけど」
「ああ、そうね。ネコマタに付きまとわれているのよね?」
「そうなんだ。今日も」
ぼくは丸机の上に、スーパーで買ったキャットフードを広げた。
「ほら、こんなにも買わされたんだ。買わないと駄々をこねて、ものすごく騒ぐ。頭が痛くなったよ。他にも物を壊したり、冷蔵庫の中のものを勝手に食べたり。それ、全部こっちのせいになるんだよ。母さんたちには見えないから」
「それは困るわね」
「だろ? すごく困ってる。カズヤもマタヲは見えないし。おれ、自分だけが見えてるんだと思うとしんどくてさ。頭おかしいと思われるだろ、何もいないところで話してたりすると。でもあいつ、すごくおしゃべりだろ? 毎回無視するのも大変で」
「そ、そうね。ものすごくおしゃべりだった」
「そんなんだよ。なんだー、マタヲのやつ、何も言わなかったけど、前田さんと知り合ってたのか。あのさ、おれ悪いけど、前田さんのことへんなやつだと思ってたんだ」
「でしょうね」
「うん。だって陰陽師とか、生まれ変わりとか、やっぱおかしいと思うから。でもいまは信じてるよ。おれ、前田さんだけが頼りなんだ。どうかマタヲを追っ払ってください!」
両手を合わせて頭を下げると、前田は「お、陰陽師は、その…」と目をそらす。
「その、安倍晴明の話は大げさに言ったの。ごめんなさい、みんな知っている名前を出したくて」
「じゃ、全部嘘?」
ドキッとして問うと、前田は「全部じゃないわ」と慌てて否定する。
「妖怪が好きなのと、陰陽師の本を読むのが好きなの」
「生まれ変わりの話は?」
「う、そうだったら面白いなって想像の話」
ごめんなさい、と前田は肩を落とす。
「転校初日、どうやったらみんなが面白がるかと思って。それで」
「面白がらせようとして、あんなこと言ったわけ?」
びっくりして声が裏返ってしまった。前田は「そうなの」とつぶやく。
「ジョークのつもりだったの。わたしはただ妖怪好きをアピールしたくて。そういう話が好きな子とともだちになりたかったから」
「いや、あれがジョークって……」
言葉に詰まる。
前田も「失敗したとは思ったけど。誰も笑わないし」と肩をますます落とす。
「それでつい、きついことも言っちゃって。恥ずかしかったから。白浜さんにも悪いこと言ったなって思ったんだけど。休み時間に、あやまろうと思って近づいたら、すごく」
冷たい態度で拒絶されたらしい。それからというもの、自己アピールに失敗した前田の学校生活は完全に歯車が狂って、現在の地位が確立したようだ。
「今井くんは好きみたいだけど、わたし、やっぱり白浜さんのことは好きになれない」
「いいんじゃない、べつに。それより、マタヲのことだけど」
ぼくの頭の中はマタヲ討伐でいっぱいだった。今まではぼく一人で戦っていたけど、これからは前田がいる。陰陽師の生まれ変わりは下手なジョークだったらしいけど、妖怪には詳しいようだし、退治する方法も何か知っているかもと期待する。
「今井くんは、その」
「なに?」
「白浜さんとわたし、どっちが好きなわけ?」
「は?」
前田はまた顔を赤くしていた。でもここでそれを指摘すると、また怒るだろうから、黙っていた。
「だって、さっきわたしのこと好きって言ったじゃない」
「言ったっけ?」
ぽかんとすると、前田がキッと鋭くにらむ。
「言ったじゃない。『前田好きだ』って。もう忘れたの」
「あー、言った。言ったよ。だって、前田さんもマタヲが見えるんだもん。うれしいよ。最高。おれたち特別な絆で結ばれているんだよ」
「と、特別!」
「だって他に見えるやついないんだから。だからさ、それで聞きたいんだけど、妖怪退治できるって言ったよな? もしかして、それもつい言った嘘なのか?」
「そ、それは、その」
「嘘?」
がっがりして暗い声が出た。すると前田は、「知ってることは知ってるわ」と言った。
「完ぺきな方法かどうかはわからないの。試したことがないから。でも有名な方法だし、何もやらないよりは効果があると」
「どんな方法?」
かぶせ気味に話にくいつくと、前田は「そ、それは」と頼りなげな声を出す。
「あまり期待しないでね。これは退治といってもお祓いというより、おまじないとか、願掛けみたいなことで」
「うん、とにかくやってみるから教えて」
丸机を挟んでいるのもじれったくて、ぼくは前田の横に移動した。前田は「ちょっと」とぼくを押し返したけど、さわった程度の力加減で、なんだか急にへにょへにょしはじめる。ここからが大事なのに、気分が悪くなったんだろうか。顔を赤いし、タコ女みたいだ。
「なあ、大丈夫か?」
「なにが」
「いや、平気ならいいけど」
「平気に決まってるでしょ。わたしがどうして今井くんが隣にきたくらいで困らなくちゃいけないの。すっかり調子に乗っているようね。いいこと、あなたがどう思ってようと、わたしは今井くんのことなんて」
「あのさ」
「なによ」
「すぐできること? おれ、いますぐ試すよ。何か準備するものでもあるのか?」
「準備ってなんのことよ?」
「マタヲ討伐だよ」
「あ。え、と。方法は簡単よ」
前田が教えてくれた方法に、ぼくはちょっとばかりテンションが下がった。けど、それでも何もやらないよりはマシだ。
「わかった。じゃあ、行こう」
ぼくは前田の手を引いて、立ち上がらせた。前田は「さわらないでちょうだい」とかみつくように言ったけど、顔は面白いくらいに赤かった。
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