第六話 ネコマタの弱点

 その変わり者、前田リンが、いま。目の前でぼくにケンカを売ってきているのだ。直前に、親切にも次に本を貸してあげるとまで言って、優しくしてあげたのに。

 それともなんだ、次じゃなく、いますぐ読みたくて、彼女はへそを曲げたのか。

 そりゃあ、ぼくだって知りたいことはネコマタのことだけ、素早く読んでしまえば、いますぐ前田にこの本を貸してあげてもいい。

 でも、「幼稚ね」なんて言われて、「でも面白いよ。ぼくはすぐに読み終わるから待ってて。はい、どうぞ」と返事できるほど、ぼくはジェントルマンではないんだ。相手が白浜ユメならカッコつける価値はあるけど、前田だろ? ぼくの返事はこうだ。

「あっそ。じゃ、どけてくれる。前田さんが立ってると、他のひとが本返せないから」

「返すだけじゃなくて、貸すのも仕事じゃないの?」

「他の人が本を借りられないから、あっちに行くか、教室に戻るかしたら?」

 ムカッムカしたが、ぼくの声はそうトゲトゲしくはなかった。

 それは前田に気をつかってではなく、注目を浴びたくなかったからだ。ケンカしてるぞ、ってなったら、周りにいる子たちが聞き耳をたてるにきまってる。中には「やれやれー」なんて言い出すあほうもいるかもしれない。

 ぼくはもう会話は終了といわんばかりに『妖怪百科』に目を戻して熱中しているふりをした。さっきからネコマタのページを開いたまま、文字だけは追ったが、内容はぜんぜん頭に入ってこない。ぐるぐると思い浮かぶのは、前田のにくたらしい態度と、マタヲのにくたらしい態度の両方だ。思いっきり本をバンバン叩いてうっ憤をはらしたくなる。

 でも、もちろんそんなことはやらず、ただじいっと文字を追いながら、もうネコマタの弱点なんて知らなくてもいいか、とも思いはじめていた。


 昨日は最悪の夜だったんだけど、実はひとつだけいいことがあった。

 マタヲの弱点を見つけた。それは『だちだちの花』だったんだ。

 花が入っているビンを割ろうとしたときのマタヲの怯えように、ぼくは何かありそうだと思って、しくこくマタヲにたずねた。

 マタヲは「もうっ、ビンは割ったらあかん。それだけや、トモキくん。それだけわかってくれたらええんや。ほかの詳しいことは、もっときみのことを信頼できるようになってから」とプリプリと怒っていた。

 ぼくはベッドに座り、マタヲはぼくが用意した段ボール箱に入ろうとしているところだった。段ボール箱にはふかふかのタオルを敷いてあったんだけど、マタヲは「段ボールて。ぼくは捨て猫かいなっ」と文句ばかり。でも、ぼくのベッドで寝ることは禁じたので、しぶしぶ段ボール箱で寝ている。

「どっこいせぃ」

 マタヲはまるで風呂にはいるおっさんのように「うひー、ぶふー」と息を吐く。「もう寝るわー。今日もつかれたわー」と丸くなった。そこへぼくが、

「あのビンさー」

 と窓辺に置いてある『だちだちの花』が入ったビンを見て言った。

「うっかり割ったら、その、なんだっけ。ネコマタ協会? そこへ行って新しいのをもらってくるわけ? それとも、すっごい怒られて協会から追い出されるの?」

「ええか、トモキくん」

 マタヲはやけに真剣な顔をしてぼくを見た。

「『だちだちの花』はとても大切な花なんや。枯れたら次、いうわけにはいかんの。ぼくの『だちだちの花』はあのひとつだけなんや。ワンモアチャンスはないの。オンリーチャンスやの」

「そっか」

 だからあんなに大事にしているのか。『だちだちの花』が咲いたとき、マタヲはネコマタとしてレベルアップする。もし、ビンが割れて花が枯れると、マタヲのネコマタ人生がショボイものになるというわけか。

「そっかー」

 ぼくはニヤリとした。あのビンはいい人質になる。もしまたマタヲがムカつくことしたら、あいつを手に「割るぞ」と言っておどしてやればいい。

「トモキくんよ」

 ぼくの考えに気づいたのか、マタヲは低い声を出す。

「きみがあんなに悪い子やとは思わなんだで。けどな、ぼくはまだトモキくんを信じてるよ。きみには良い子の心も、ちゃーんとあるって。せやから、ダッちゃんに手を出したらいかん」

 そうして、段ボール箱から身を乗り出してつづける。

「ええか、ぼくはきみを信じて、窓辺にあのままダッちゃんを飾っとく。友情と信頼の証や。ぼくとしてはきみといっしょにあの花の成長を見守りたい。友情パワーが満タンになると、あの花は咲くんや。な、そう説明したやろ?」

「そうだっけ。でもそれだったら、一生、花は咲かないと思うけど」

「ぼくのパートナーはきみや」

 マタヲはきっぱりと言う。

「もちろん、ネコマタの掟では、パートナー変更は認められた権利やけど。でもな、ぼくはきみといっしょに成長しようと決めたんや。その信頼をむだにしてほしくない。わかったか、トモキくん」

「う、うんわかったって。そんな怖い顔すんなよ。夢に出そうだ」

「そうか、じゃ、寝るで。おやすみ、トモキくん。夢ん中でも遊ぼうなあ」

 マタヲは段ボール箱で丸くなると、すぐに、ぐがーぐがーといきびをかきはじめた。それから、「うにゃむにゃ。ええやん、ええやん、にゃふふ」と気色悪い寝言も言い始める。

 マタヲは猫だけによく寝る。すぐに目を覚ます浅い眠りもあるけど、ぐっすり寝ているときは、耳をスコティッシュフォールドみたいに折り曲げたり、口をめくって歯並びを確認したりしても目を覚まさない。寝言を言っているときは、ぐっすり眠っている証拠だ。

 だからぼくは、ベッドから抜け出して『だちだちの花』が入ったビンをいますぐ割ってもよかった。割らなくても、花をビンから取り出すだけでも効果があったかもしれない。

 でも、ビンの口は小さく、やっぱり割る方がてっとり早い。

 ガシャーンと割って、飛び起きるマタヲに、

「残念だったな、ネコマタめ。ぼくは悪い子だったのさ、ハーハハハハ」

 と高笑いする。気分がよさそうだ。

 でも、ぼくはそうしなかった。

 マタヲのためじゃない。

 こいつのネコマタ人生と自分の小学生人生をてんびんにかけたら、自分の人生のほうがぜったい大事だもの。

 マタヲのせいでお母さんには怒られてばかりだし、お父さんには、マタヲに話しかけているところを見られて、「空想のお友達かい?」なんて生温かい目で見られた。

 小五にもなって空想のお友達と会話していると誤解されたんじゃたまらない。お母さんは「もう、トモキったら」と困った顔をするし、「まあいいじゃないか」とお父さんは、物乞いの子を見る聖母みたいな顔でほほ笑むんだから、ぼくは暴れ回りたくなる。

 でもだからといって、

「ここに猫がいるんだ、ネコマタのマタヲ! 見えないだろうけど、ここにいて、いつもぼくの邪魔をするんだ!!」

 なんて話したところで、やっぱりお母さんは「もう、トモキったら」と困り、お父さんは聖母になるだろう。

 二人にはマタヲは見えない。カズヤだってそうだ。ぼくの周りにいる人は、誰もマタヲの存在に気づかない。

 だからぼくの平和な人生のためには、マタヲには出て行ってもらうのがいちばんなのだ。

『だちだちの花』のビンを割って、花を枯らしたら、マタヲはぼくのパートナーをやめるだろう。次の花はもらえないっていっているけど、ぼくがわざと割った場合なら、もしかしたらネコマタ協会だってワンモアチャンスをくれるかも。

 チャンスゼロでも、花を枯らすような子のそばに、マタヲだっていたくないはずだ。だからきっと出て行く。

 マタヲを追い出すためには、『だちだちの花』を枯らすのがいちばんてっとり早い。

 けど、ぼくはベッドからビンをながめるだけで、立ち上がることはなかった。

 横になって目を閉じた。マタヲの「ぎゅがが、にゃはー」と意味不明な寝言を聞きながら眠る。

 なにもいますぐ追い出さなくてもいい。それよりも、ネチネチとビンを人質にとっておどしていくほうがおもしろそうだ。

 ぼくは復讐したい。わずかな期間で、すでに一生分の恨みがたまっている。

 時間をかけてその恨みをマタヲにぶつけてやる。

 だからぼくは、ビンを割ることはやめ、『割っちゃうよ枯れちゃうよ作戦』に切りかえることにした。マタヲよ、お前の弱点はわかっているんだ。


 そんな昨夜の決意があったので、他に新たな弱点を探す必要はなくなっていた。『妖怪百科』には『ネコマタは水に弱い』と、それ普通の猫の弱点では? という目新しさゼロの情報しかのってなかったけど、さほどがっかりもしない。

 本を閉じ、あとは家でゆっくり他のページも読もう、そう思って顔をあげると、なんと、前田リンがまだカウンターの前に立っていた。本の文字を追ううちに冷静になっていったぼくは、すっかり前田へのいら立ちを忘れていたのだけど、目の前にある、むっつり顔に、再びイライラとしてきていた。

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