第七話 図書室が戦場になるとき

「あのさ。まだ何か用事でもあるの? さっきも言ったけど、他に借りる子が来たら」

「誰もいないじゃないの」

 ぴしゃりと前田は言い返してくる。

 たしかにカウンター近くには誰もいない。でもわからないじゃないか、本当は本を借りたい、返したいのに、前田がいるせいで近づけないだけってこともある。

 特に低学年の子は上級生がいると怖いらしく、なかなか本を返せずに泣き始める子だっているんだ。

 そういう繊細な気持ちを、このぼくはわかるが、前田のような変わり者には、ぜんぜん理解できない、考えもしないのだろう。

「ねえ、あなた妖怪が好きなの?」

 ぼくの不機嫌な顔にもくじけず、前田はちょっと口元をゆるめながらそう言った。もしかしたら笑ったんだろうか。笑ったとしても皮肉気な笑いだ。きっと幼稚ね、なんてまた言うつもりだろう。自分のことを陰陽師の生まれ変わりだの、晴明と呼べだの言い出すやつに「幼稚ね」なんて言われたくはない。

「そうだね、妖怪は好きかな。ぼく幼稚だから」

 この返答は白浜ユメばりにウイットに富んでいたと思う。

 本当はマタヲのせいで、特に好きでも嫌いでもなかった妖怪が大嫌いになりかけていたけど。ぼくはパラパラと『妖怪百科』のページをめくって、ぱっと目に入ったカッパを指さした。

「ぼく、カッパが好きなんだ。あとは天狗とか、妖狐も好きかな」

「さっきは、ネコマタのページを」

「ああ、ネコマタね。うん、ネコマタは好きじゃないね、猫アレルギーだから」

 嘘だ。こういう嘘っぱちがスラスラと口をつく。

「わたしも妖怪が好きよ」

「は?」

 前田は腕組みをして視線をそらせながら言った。

 ぼくは話の展開が読めなくて、混乱しかけている。

「わたしも好きよ、妖怪。でも妖怪は悪さをするやつもたくさんいるの。気を付けないと、ひどい目にあうわ。あなた、そういう知識がほしいのなら、わたしのところに来るといいわ」

「いや、は?」

 突然耳が遠くなった気分した。

 前田はぽかんとするぼくに、フフと肩をすくめ、口をすぼませる。

「だから、わたしに聞きたいことがあるなら、たずねてくれてもいいっていうの」

「べつに」

 一瞬、頭の中でマタヲのことが浮かぶ。聞いてみようか、『だちだちの花』を知ってるか、て? まさか。

 前田は変わり者であって、本当に妖怪に詳しいわけじゃないと思う。

 ……というか、本物のネコマタを知っているわけでも、知識があるわけでもないだろう。

 きっと妖怪の本とか、そういうのが好きで読んでいるだけだ。

「いいよ、ぼくはひとりで本を読んだりするのが好きだから」

「あら、そう」

 さあ、会話は終了だ。そういう態度をガンガン出していたはずなんだけど、前田はまだカウンター前に陣どって動かない。

「あなた、えーと、その。今井くん、わたしも妖怪が好きなの」

「うん、さっき聞いた」

「だ、だから」

「うん、よかったね、妖怪が好きで」

 意味もなくぼくはカウンター裏の整理を始める。カードを整頓して、えんぴつがとがっているか確認する。前田に背を向け、うしろにある返却ボックスの本もきれいに重ねなおした。

「い、今井くん。あの、だから」

 ぼくは聞こえないふりをした。急に返却ボックスの汚れが気になって、箱の角をしげしげとながめる。それから、また本を箱の右端によせて重ねていく。

「あの、わたし。わたし、あなたと、ともだちになってあげてもいいわよ」

 ガタ、と思わず本を落とした。

「はい?」

 無視すればよかった。聞こえなかったふりをしていれば、こんな気まずい思いはしなかったはずだ。

 前田はらしくもなく顔を赤くして、もじもじと指を交差させている。

 え、なに? ぼくと、ともだちになりたいって?

 今までの人生、こんな風に「ともだちにならないか」と口に出して言われたことはない。まあ正しくは「ともだちになってあげてもいい」だったんだけど。

 そもそも、ともだちって、こういう風に言葉に出して確認したり頼んだりするものだろうか。そういうこともあるだろうけど、ぼくの経験上、なんとなく仲良くなって遊ぶようになるものだ。そもそも「ぼくたちともだちだよね」なんて言い合ったこともない。

 とはいえ、目の前で赤面している前田に「そういうことって口に出して言うことかね」なんて言えるはずもなく、かといって「そうだね、ともだちになろう!」と握手することもできない。

 ぼくは気まずさを打ち消したくて言った。

「いや、その。ともだちはカズヤがいるし。鈴原カズヤ。前田さんは」

 女子なんだし、女子のともだちを作ったら、そう言おうと思った。

 でも、先に前田が「あー」と声をあげ、鼻にしわをよせる。

「鈴原ね。あの子、きらい。ガキなんだもの。それより、わたしと仲良くしたほうが、あなたも楽しいと思うわ」

 さっきまで顔を赤くしていたはずの前田は、いつもの調子を取り戻したのか、つんとすました顔をしている。ぼくはあっけにとられて、まばたきを忘れてた。

「あー、いや。カズヤはいいやつだよ。それに、さっき前田さんも言ったように、ぼくは『妖怪百科』を読むような幼稚な子だからね。カズヤと話がよく合うんだ」

「でも」

 前田はさっきの言葉を訂正したそうな顔をした。さっきというのは「幼稚」って言葉のことだけど。

 彼女はぼくを怒らせるつもりはなかったのかもしれない。でも幼稚なんて言われて怒らない方がどうかしているけど。

 ぼくは前田にもう一言二言、きついセリフを投げてやりたいと思った。ぼくが「幼稚」と言われて腹が立ったこと、カズヤをバカにされて不愉快だったこと、それから上から目線の態度の子と、ぼくは仲良くする気はないってことなど、そんなことを彼女にわからせてやろうと思った。

 でもそのとき、ぼくが何か言う前に、べつの声がぼくらの間に飛び込んできた。

「今井くんと前田さんって、仲が良いんだね」

 白浜ユメだ。動物の絵が描いてある本を手に持っている。

「あ、借りるの?」

 ぼくは急いで白浜のほうへ身を乗り出した。これで前田が空気を読んで去っていってくれればと願った。が、相手は前田だ。空気など読まない、または読めない。

「そうよ。わたし今井くんとともだちなの」

「そうなんだー」

 絶句するぼくの目の前で、女子ふたりは会話をする。一見なごやかで、どこか不穏な空気を漂わせて。

 白浜は視線を前田に向けたまま、「借ります」とぼくに本を差し向ける。

「はい」

 とぼくは堅い声で答えると、ひどく難しい作業をするかのように、貸出の手続きを行う。前田は腰に手を当てて反り返り、白浜の顔を見下すようにながめると、「ふん、幼稚な本を読むのね。頭がバカになりそうだわ」と言った。

「そうだね。わたし、バカだもの」

 ぺろっと白浜は舌を出すと周りに目をやった。

 白浜がひとりで図書室にくるはずがないと思ってたんだ。

 いつのまにか彼女の周りには、とりまきたちが集合していた。同じクラスの子もいれば、他のクラスの子、学年がちがう子も混ざっている。ちょっとした集団だ。その集団からクスクス笑いが起こる。

 白浜が肩をすくめると、合図のようにクスクス笑いがやむ。

「はい、もう持って行っていいよ」

 ぼくは貸出手続きを完了させた。白浜はカウンターにある本を手にとって、ピンク色の手さげかばんに本をしまった。

 とりまき女子が「バカな本大好き」と声を発した。

 またクスクスクスと笑いが起こる。白浜は口もとに手をやり、小さく笑うと、

「もう、行くよー」と明るい声を出した。

 ぼくはわかった。彼女たちのあいだで「バカ」が前田をからかう言葉になっているんだ。バカという言葉の意味を超えて、もっとずっと含みのある、トゲのある言葉として。

 ただ女子たちはかしこいから、前田を直接「バカ」なんて言わない。むしろ、「バカバカ」言っているのは前田の方だ。自分たちのことを「バカ」というふりをして、彼女たちは仲間うちで楽しんでいる。

 ぼくは前田のようすをさぐるように見た。ちょっとはショックを受けているだろうか、だったら、かわいそうだな。ぼくはそう心配していた。

 けど、前田はぼくとは精神構造がまるでちがった。

「あーら、バカがいっぱい。これからおバカさんの集会でもあるのかしら」

 ばっと白浜と、白浜を囲む集団が振り返った。

 それだけじゃなく、図書室にいる児童全員が注目した。運悪くなのか、運良くなのか、図書室の先生はちょうど準備室にいるところで、まだこの騒ぎに気付いていない。

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