07:彼女と僕
「なんか、疲れた……」
カフェからの帰り道、僕は溜息混じりに言った。
「色々ありましたね」
彼女はそう言いながら、僕の数歩後ろを歩いている。
これが通常だ。
人間とバイオロイドが一緒に歩く際は、バイオロイドが数歩後ろを歩く。
これはバイオロイドにインプットされた行動パターンで、人間と肩を並べて歩く事はない。
所有者が許可すれば並んで歩くだろうが、そんな所を目撃されればロイコンと呼ばれ嘲笑されるのは必死だ。
バイオロイドに対する差別意識は、この数時間で僕の中から消えつつある。
しかし、社会がそれを許していない以上、従わなければ社会不適合者のレッテルを貼られる。
それでも今日の一件から、色々と話はしたいのでお互いにイヤホンマイクを装着してみた。
髪の長い彼女は耳が隠れているし、僕が装着していても誰と通話しているのかは分からない。
我ながら賢いと思った。
「大変だな、君たちも……」
再び溜息混じりに僕が漏らす。
「いえ、大変なのはご主人様ではありませんか?」
「え?」
彼女の返答は意外なものだった。
「ですから、大変なのはご主人様の方です」
「だから、どうして?」
「私達バイオロイドにとって、今の状況が当然であり、そのように教育もされています。私達の現状を憂いているのはご主人様です。苦しんでいるのは私達ではなく、ご主人様です」
なるほど、確かにそうだ。
バイオロイド達は、自分たちへの扱いに対して、何ら疑問や反感を持っていない。
それが当然の形だからであり、その為に製造されたのが彼女たちのなのだ。
その境遇を同情し、憐れみ、嘆いているのは人間側の勝手な感想なのだ。
それこそ、おこがましいのかもしれない。
「並んで歩きたいと思ってるのは僕だけで、君はそんな事、微塵も思ってないって事か……」
自分で言って情けなくなった。
やはり、勝手に盛り上がっていたのは僕の方で、彼女は特に何も感じず、ただいつも通りだった訳か。
「そうではありません……」
「え?」
「私も、ご主人様と並んで歩きたいです。笑いながら、一緒にお食事もしたいです。今の私で気に入って頂いているのが気になりますし、もっと気に入って頂くにはどのようにしたらよいのか。私はいつもそんな事を考えています」
意外な答えだった。
それは、僕に対しての感情なのだろうか?
それとも僕の家族に対しての感情なのだろうか?
「犬や猫が飼い主に気に入られるために頑張ってる様な感じなのか?」
「私は犬や猫ではありませんので分かりかねます……」
そりゃそうだ。
まず、感情を希薄にデザインされている時点で、感情に対する理解度が低いのだ。
それで説明しろと言うのも酷だろう。
「まぁ、家族愛的な意味でも好きだって言われたのは嬉しいからいいか」
ゴチャゴチャと考えるのが面倒になってきた。
僕は彼女の事が好きだ。
家族愛的な意味でも、もちろん恋愛感情としてもだ。
それが今は彼女に伝わらなくても、いつか届くかもしれない。
それでいいと思えた。
「ハハ、立派なロイコンじゃねーか」
認めてしまったら逆に楽になった。
「ご主人様?」
急に明るくなった僕に少し戸惑っているらしい。
冷静沈着に見えて、意外とそうでもないという事が分かってきた。
そう言う風に取り繕っている様に見えてきて、なんだか彼女がとても人間臭く思える。
「ホント、人と変わんないな」
「え?」
「いや、何でもない。俺は君の事が好きだよ」
「はい、私もお慕い申し上げております」
ん?
それはちょっと引っ掛かる。
僕は携帯端末を取り出し、意味を調べてみた。
『慕うこと、思慕すること、などの意味の表現。尊敬の念や恋心などの意味合いで用いられる。』
『恋心』だと……。
いや、尊敬の意味だろう。
尊敬されるような事をした覚えもないのだが……。
「どうなさいました?ご主人様?」
「君の言う『お慕い』ってどっちの意味なんだろうって思って。まぁ、どっちでもいいや」
そんな事言いていたら自宅に着いた。
鍵を開けて中に入る。
電気が点いていない所を見ると、姉はまだ帰ってきていないようだ。
「はぁ~」
僕はリビングのソファに腰掛け、全体重を預けた。
「ご主人様」
彼女が僕を呼ぶ。
そう言えば夕食を作ってもらっている途中で飛び出したのだった。
しかし、夕食ならカフェで済ませた、彼女も一緒にだ。
「うん?ご飯はカフェで食べたからいいよ。ってか、一緒に食べたじゃん」
「いえ、その事ではなく……」
何か言いにくそうだ。
「どうした?」
「いえ、先程ご主人様が『どっちの意味なんだろう』と仰った事です」
「あぁ、気にしないで」
僕はヒラヒラと手を振った。
「ご主人様に質問してもよろしいでしょうか?」
「いいけど、何?」
「私の、この『好き』と言う感情は、家族愛としてのものなのでしょうか?」
いや、僕に聞かれても困る。
「僕に聞かれてもな……」
「愛情にはいくつか種類がある事は、知識としては知っています。しかし、私が抱いているものがどれなのかが分からないのです」
「う~ん、きっとその内分かるようになるよ」
「そうでしょうか……?」
「焦らなくていいんじゃない?」
同じ感情を感じ続ければ、きっとバイオロイドでも脳内のシナプスが強化される。
その内、自分でも説明出来るようになるはずだ。
「私はこのもやもやが何なのか気になって仕方ないのです」
「う~ん……」
自分の『好き』が恋愛感情なのかどうか確かめる方法がある。
そう言えば、そんな事を親友が言っていた。
僕は親友の言っていた事をそのまま彼女に言った。
「『好きだと思っている相手が、自分以外の相手とセックスしている所を想像して、不快感を感じたら、それは恋愛感情だ』とか言ってたな、アイツ……」
僕の言葉を聞いた途端、彼女は静かに震え出した。
何かマズイ事を言ってしまったようだ。
「嫌です……」
「え?」
「ご主人様が私以外の誰かと性行為をするなんて嫌です」
「え、ちょっと待って」
彼女は涙を浮かべていた。
僕が思っている以上に彼女の感情は成長しているのかもしれない。
いや、そんな事より、彼女言っている好きって……。
「恋愛感情として、好きって事……?」
「ご主人様が仰った理論でしたら」
急に心臓が激しく暴れ出した。
「ご主人様の『好き』は、私の抱いている『好き』とは違うものなのでしょうか……?」
何だかもうよく分からない。
けど、これだけは自信を持って言えた。
「愛してるよ。今まで気付かない振りをしてたけど、前からそうだ。愛してる」
「愛……してる……」
顔を赤らめた彼女の頭を撫でる。
「愛しています……」
僕は彼女と唇を重ねた。
世間から見れば僕はロイコンだ。
そんな事はもうどうでもいい。
彼女は既にしっかりとした感情を手に入れている。
もう人間と変わりない。
僕はこのバイオロイドの女性が好きだ。
彼女も僕を愛してくれている。
それだけでいい。
もっと時代が進めば、しっかりとした感情を獲得したバイオロイドも増え、人権が与えられる日が来るかもしれない。
それまではロイコンと呼ばれるだろうが、もうどうでもいい。
あのカフェにまた行こう。
あそこなら気兼ねなく彼女と過ごせるから。
後に、僕がバイオロイド人権運動の先頭に立つことになるのだが、それはまだずっと先の話。
Humanoid Identity———end...
Humanoid Identity Soh.Su-K(ソースケ) @Soh_Su-K
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