第五十七幕 さよなら、さよならヤンキー
詩子と付き合ってから、確かに妙な噂の被害には遭っている。
それこそ最初の方は「英詩子は市川新太郎を奴隷のようにあつかっている」とか「市川新太郎が金を払ってやってもらってる」などなど。
けれども、今となっては、まあ先日の文化祭での一連を見てもらえばわかる通りそういうネガティブな噂は一切立たなくなっている。
が、しかし、今日。
俺は新たな妙な噂の被害に遭っている。
放課後、クラスメイトが教室を出ようとする俺にこう言ってきたのだ。
「市川、幼女が校門でお前を待ってるぞ」
一瞬にしてロリコン疑惑が加速したのだ。
それらを一蹴してその正体を考えながら教室を出た。
穣か? それでも幼女というほどの年齢ではないだろうし、クラスメイトには体育祭の一見で妹の顔は大体知られているから、わざわざ「幼女」と形容する必要はない。
ぐるぐる頭を回転させながら、時折今日は一度も通知音の鳴っていないスマホを覗いて、校門へ向かった。
そして、そこにいたのが、そう、律華だった。
「ああ、確かに幼女だ」
「何か言いましたか?」
「いや、なんでも。ところでどうした、詩子なら今日は休んでるらしいぞ」
休んでる、そう、詩子は珍しく学校を休んでいる。
もといヤンキーなのでサボっているのかもしれないけれど。
しかし律華が気に留めたのはそこではなかった。
「……らしい、ね」
らしい。話し手の相当確実な推定による表現。転じて、断定的な言い方を避け婉曲表現。
今回は前者なのでけれど、そう、俺は詩子本人から「今日休む」ということを聞いていないのだ。
高島から、「今日詩子が学校来てないのよ」と聞かされて俺は「ああ」と、知ったかぶりをしてしまったけれど、朝、いつもの時間に駅に現れず、遅刻ギリギリまで待ってみたれど現れず。
家に迎えに行くことも考えないこともなかったが、家族の事情で俺が顔を出すのはさすがに気が引けたのだ。
なんどかメッセージを送ったのち、「風邪か? 寝坊か? 先学校いってるぞ」と最後に送信してそのまま今に至る。既読はついていない。
「律華、何か知ってるのか? ってか、まだこっちにいたんだ」
「まあ、理由というか、原因くらいなら……」
その時点で、ただの風邪やサボり出ないことくらい俺にでもわかった。
背筋に妙な汗が伝うのが分かった。
「実は……」
律華が喋りだそうとしたとき、そんなおれの背を誰かが思い切り叩いた。
「何してるのよ。だれ? この女の子、穣ちゃんの知り合い?」
水月だった。
「あ、いや……」
答えに困っていると、律華が俺と水月の間にぬっと割って入り、こう切り出した。
「はじめまして! 穣ちゃんのお友達の律華です!」
「……え?」
「さ、行きましょ、穣ちゃんが呼んでるから、ね、お兄さん!」
「え、ちょ」
そう言って律華は俺の腕をグイっと引っ張り、水月に手を振りながら校門を離れた。
幼女とは思えない力に俺は身をよろけさせながらついていくことになった。
「……?」
目が点になるとはいまこの水月の表情のことを言うのだろう。
さて、校門からずるずると俺を引っ張っていった律華は、そのまま俺を黒いバンの中に放り込んだ。
あの夏、詩子と共に乗り込んだそれと同じで、運転している人もどうやら同じだったようだ。
「今度こそ拉致だぞ」
「同意の上です」
後部座席に乗り込んだ俺と律華。
車が動き出すと同時に彼女は話し始めた。
「はじめに言っておくけれど、私だってこれでも頑張ったんです」
「何をだ。前語りはいらない、結論だけ頼む」
律華が息をのみこんだのが分かる。つられて俺もゴクリ。
「お二人は。新太郎さんと姉さまは、いまのままではいられなくなります……」
「……まだ、まわりくどいぞ」
覚悟はできていないけれど、俺は真っすぐ律華を見据えて聞くことにした。
車はどこか当てもない様子で走っている。
あくまでも俺と律華が話す時間を取り繕っているだけのようだった。
「姉さまは、転校します」
はっきりと、言った。
ああ、転校ね。
今まで小学生のころから何度も味わってきた他人の転校に、今までと同じようにそう思うことはどうやら出来なかった。
「転校って、あの?」
「ほかにどの転校があるんですか」
「学校が変わるのか?」
「変わりますね。高校二年にもなって受験も近づいてるのに、編入試験のためにあれこれやらなくちゃいけないのって大変だろうなって思いますが……」
「どこに? どうして?」
「私もまだ詳しくは聞かされてないんです。家ごと引っ越し予定だとかなんとか。なにせ姉さまの家族の話ですから。親戚と言えど私は従妹なので……。って、新太郎さん、顔色大丈夫ですか……?」
ぼんやりと機械的に応答していたが、律華にそういわれてハッとした。車窓に反射する自分の顔は、白いワイシャツと同じくらいの色をしていた。
「落ち着いてくださいね。まあ、水でも飲んで……」
律華がどこから取り出したか、500ミリリットルのペットボトルに入った市販の水を手渡してくれた。
「ありがと……痛っ」
「……蓋しまってる状態で飲もうとするなんて、相当動揺してますわね……」
ジンジン響く前歯を労わりながら、蓋を開けなおし水をひと口。
自分のあらゆる意見感情と一緒に水を飲み込んで、俺は律華に尋ねる。
「それで、詩子はなんて?」
家庭の都合で転校となれば、あの詩子がそうやすやすと引き受けるはずがないだろう、と思っていた。
律華が一呼吸置いて答える。
「たぶん……一緒に引っ越して転校すると……」
ペットボトルを持つ手に力が入り、ベコリと音が上がった。
ぼっち映画中の俺の隣でヤンキー少女が号泣してるのだが 小町さかい @sakai_kidult
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