妹と小さな世界の全て
スカイレイク
第1話
大戦から数年の後、その丘には大きなサイドカー付バイクとテントがあった。
「ふぁあ……寝みぃ」
朝が来ているのがテントに入ってくる光で分かる、今日も朝が来てしまった……明日も朝が来るのだろうか? 俺にはその保証はできない。
テントから出ると妹が朝のコーヒーを煎れていた。
「お兄ちゃん……やっとお目覚めですか?」
俺は寝ぼけた頭で頷く。
しかし俺がいつ目覚めようとこの世界にはもう人類がほとんど居ない、だったら今更寝坊を気にすることもないだろう。
「おやすみ……ハート」
妹の名前を呼んで再び眠りにつこうとするがそうは問屋が卸さない。
「お兄ちゃん! 誰も居ないからって二度寝はダメですよ! 私が居るんですから!」
そう、妹のハートは確かに居る、じゃあ俺は?
俺は明日もコイツの側に居られるのだろうか?
いつ誰が死んでもおかしくない世界で俺たちは暮らしている。
「ほらほら、そろそろ食料を調達しないとヤバいんですよ、お兄ちゃんしかバイクの運転できないんですからしっかりしてください」
大戦から逃げに逃げてはや数年、世界の地形が変わって――もしそんな人がまだ居るなら――地図は随分と書き換えられているだろう。
人間同士の戦争から逃げた俺の名前が「アーク」なのはなんともぴったりだろう。
しっかりと人類として生き残っているのが何よりの証拠だ。
俺はしぶしぶテントを出てお湯を沸かしているハートの隣に座る。
一面の緑は気分を良くしてくれる、もしかしたらここは世が世なら観光名所になったかもしれない。
「お兄ちゃん、砂糖とミルクは?」
「どっちも無しで」
貴重な砂糖を俺が使うのもあまり歓迎されることではないだろう。
ハートは三個ほど角砂糖をマグカップに放り込んでいる。
「計画的に使えよ、いつ手に入るか分かんないんだからな」
この丘に来る直前に立ち寄った町で偶然砂糖を一袋見つけたので多少は大丈夫だがな。
俺は鈍色のマグカップを手に取り、コーヒーの熱を感じて今日も生きているという実感を取り戻す。
真っ黒なコーヒーを飲むとカフェインで脳が刺激されようやく目が覚めてくる。
少し口に含むと苦味があるが、今まで煮沸した川の水のような味のない物しか飲んでいなかったので味のある液体は新鮮に感じる。
コーヒーも砂糖も前の町で手に入れたものだ、どうせもう使う人も居ないのだから多少の拝借は許されるだろう。
そんなわけでバイクの収納には多めのコーヒー豆と砂糖が余ったスペースに詰められている。
少し……いやかなり多めに拝借したがそれを咎める者が居ないのだからいいのだろう……多分……
「お兄ちゃん、私たちは今日も生きてますね……」
「そうだな」
大戦で使われた兵器で人間はあらかた消されてしまった、生き残りもこの過酷な環境でどんどん減りつつあるようだ、ソースは俺の日記。
日記に出会った人のことをかくようにしているが、旅を始めてから今まで、立ち寄った町や村に生き残っている人は明らかに減少している。少なくとも偶然とは呼べないくらいに出会った人は少なくなっている。
大戦後すぐはどの町にもそれなりに人が居て、苦労話などを分かち合ったものだが、最近訪れた場所では一つの町に両手で数え切れないほど居ればレアケースと言っていい。
今飲んでいるコーヒー豆をいただいた町に至っては一人も人が居なかった、おかげさまで旅の補給は存分にできたわけだが。
今日生きているからといって明日もそうだとは限らない。
世界の破綻後、人は殺したり殺されたりしながら順調に衰えている、もう兵器なんてものは必要ないだろう、放っておいても人類は滅びる、滅ぼすのは他ならぬ人間だ。
俺は保存用のパンを口に入れてコーヒーで流し込む、ボソボソしているので液体がないと喉が詰まりそうだ。
もっともそんなものだからこそ略奪に遭わず俺たちが簡単に手に入れられたのだろうが……
美味しそうな果物や痛みやすい肉や魚は初期の略奪でごっそり奪われていた、そんな中で心強く残っていてくれたのがコイツだ。
食料が大量にあったということで俺とハートは大はしゃぎして、少し贅沢な夕食が食べられると期待して包装を剥がした、結果がコイツだったのでテンションはダダ下がりした。
そうはいっても食べられるだけありがたいとしか言えない環境なので手に入った物は責任を持っていただいておいた。
「はぁ……」
俺がため息をつくとハートが俺の顔をのぞき込んでくる。
「お兄ちゃん、ため息は幸せが逃げますよ?」
「考えても見ろよ、この後は荒野が続いてるんだぞ、町どころか村も見えやしない」
見渡す限り広がる荒野、ここまでが草原で俺たちの向かう方向は草すら生えていない。
「まあ、物は考えようじゃないですか? きっとこの荒野が過ぎたら綺麗な景色が広がってますよ、ご馳走の前に不味いものを食べるようなものです」
気楽なハートに俺は少しナーバスになっていた。
「なあ? なんでそんなに気楽なんだ?」
俺の問いかけに当たり前のように返す。
「だって世界が終わるところまで行ったってお兄ちゃんが隣にいるんですよ? それだけで十分私は幸せです」
当たり前のような回答、俺がそれに応えるほど立派な人間ではない気がするが……
ブルル……
バイクを暖機運転させる、まあ五分も負荷していればこの天気なら十分だろう。
俺はその少しの時間で食事の後片付けをする、来たときよりも綺麗に、昔誰かに聞いたことがあることが習慣になっている。
きっとここに来る人間は俺たちが最後なんだろうけれど……
エンジンも暖まったところで俺はバイクに乗る、ハートは側車に乗り込む。
そうして俺たちはそこそこの旅荷物と二人を乗せたバイクで荒野に向けて走って行った。
暫く走っていると小型自動車が見えた。
話しかけるか? 略奪者の可能性は……
「お兄ちゃん、何か困ってるみたいですよ?」
「ああ、でもそう見せかけてるだけかも……」
すぐに走り出せるようにエンジンはかけたままクラッチを切って少し近寄る。
少女が自動車にもたれかかってへばっていた。
「本気で困ってるみたいだな……」
「女ですか……」
ハートは何やら思うところもあるようだが、向こうに抵抗する気もなさそうなことが分かるとバイクを自動車に近づけて止めた。
「もしもし、生きてますか?」
「ほら! お兄ちゃんが慈悲を与えてくれてるんですよ! さっさと起きるんです!」
コイツは女に厳しいところがある、特にそれが年頃だとあからさまだ。
「ふぇ……天使様か悪魔さんですかね……いよいよお迎えが……」
体調がヤバそうなのでバイクの荷物から水を取り出しコップに注いで少女に渡す。
焦点の定まらない目で水を見た後ごくごくと飲んだ。
数分後
「いやぁ! ヤバかったですね! 本気で死ぬかと思いましたよ!」
「それはまた運が良かったな、どうした? 故障か?」
俺たちにもバイクの荷物を大量に捨てて少女を連れて、どこにあるかも分からない町まで運ぶほどギャンブラーではない。
「いやーガス欠でさあ……よかったらわけてくれない? お礼はするよ?」
ガス欠か……次の町までの距離が不明ならガソリンはとても重要だ、この鉄の塊を動かす血液とも言えるものを安易にわけるわけには……
「お礼ってなに?」
ハートが直球を投げた、まあいい。どのみち避けて通れない話だ。
「私の来た町への地図ってのはどう?」
「距離は?」
ガソリンをわけてちゃんとたどり着ける距離なんだろうな……
「うーん……そんなに遠くないよ、道さえ分かればそのバイクのタンクがリザーブになる前につくんじゃないかな?」
ふむ……道が分かるというのは非常に大きなメリットだ、大戦で破壊されたせいで、道らしいものが無い地区もある、この先に道があるのかは不明だが……取引材料に使うならあまり期待はできないのだろう。
「オーケー、取引成立だ、俺たちが来た町までいけるくらいのガソリンでいいか?」
「十分だよ! じゃあ地図を書くから待っててね!」
取引成立、荒事をすることもなく旅を続けられる、悪い話じゃない。
「お兄ちゃん! 大丈夫なんですか? デタラメを渡されたりその町に燃料がないかも……」
小声でハートが聞いてくる。
「大丈夫だろう、ここでデタラメな地図を渡す理由がないし……なにより」
「なにより?」
「コイツガどこから来たのであれ人の住む場所から来たのは確かだ、ガソリンもコレを動かすくらいにはあったんだろう」
俺は自動車を指さした。
「まあ……大丈夫でしょうね……」
納得した様子なので俺は予備の燃料タンクを取り外して自動車の給油口と繋ぐ。
「地図は書けたか?」
「できたよー! じゃあ燃料よろしく!」
少女は俺に四つ折りの紙を渡す。俺はそれを受け取り燃料を注ぎ込む。
サーサーとガソリンが自動車に入っていく。
「よし、これで俺たちが来た町くらいまではお釣りが出るぞ」
「ありがとね!」
「お互い様だろう?」
「そだね! あ! そういえば名前聞いてなかったね? 差し支えなければ教えて欲しいかな? 私はヘカテだよ!」
「俺はアーク、こっちは妹の」
「ハートです、もう会うこともないでしょうけどよろしくお願いします」
刺々しさはなくならないがこれきりということでハートもちゃんと挨拶をした。
俺は紙を広げて眺める……え?
「なあ、この距離なら引き返せたんじゃ……」
地図にはすぐ近くの場所が記されていた、燃料系があるなら絶対に引き返したであろう距離だ。
「んー……まあいろいろあってね……」
「その町でお前の名前は出さない方がいいか?」
このご時世お尋ね者という可能性もある、とはいえ罪を追及する機関はとうに崩壊しているので問題ないのだが……
「べつにいーよ! もう戻る気もないしね!」
「お兄ちゃんお兄ちゃん……」
ハートが俺の腹を小突いてくる。
「ワケありなんでしょ……聞かない方がいいですよ……」
小声でそう言うとそっぽを向いた。
「あ……気を使わせちゃったかな……? 別に犯罪者ってわけでもないし気にしないで!」
そう言うからには信じるしかない、この世界は今では人間同士の信頼という危ういものの上に成り立っている、この町でも信じていたと言えば追求もされないだろう。
「おう……元気でな!」
「お元気で……」
ヘカテはにへらと笑って私たちにピースをした。
「ありがとねー! この先でも親切な兄妹に助けられたって宣伝しとくよ!」
誰向けなのやら……
ブロロ……
エンジンがかかった自動車は燃費の良さそうな速度で走り去っていった。
「お兄ちゃんもお人好しですねえ……」
呆れた風にハートが言う。
「ま、裏切られたらその時はその時だし……なにより……」
「なんですか?」
俺は少し恥ずかしくなったがこの選択をした責任があるのでハートに言う。
「どこに行こうと俺たちは一緒なんだろ?」
ハートはぱあっと顔を輝かせて頷く。
「そうですねっ!」
そうして俺たちは地図の町へと向けてエンジンをかけた。
――
その町は……何というか……廃村だった。
かつては他所の人は居たのだろうが大戦でとどめを刺されなくてもいずれ無くなっていたのではないかというくらい寂れていた。
幸いガソリンスタンドは全国に設置されていたので簡単に見つかった。ユニバーサルサービス様々だな……
俺たちのバイクのエンジン音を聞いて老婆が走り出てきた。
「こらぁ! このバカ娘がっ!……ってなんだいあんたら……?」
俺たちは旅をしていることを伝え、できれば食料がないかと、雨風をしのげる建物がないかを聞いてみる。
「いや……失礼したね……ちょっと一悶着会ってね……食料なら貯蔵庫があるよ、好きに持ってきな、どうせ老人に食い切れない量の不味いものがあるだけだからね」
運のいいことにこの町は物流の拠点として使われていたらしく、軍用食料なら事欠かないということだった。
「ところでおばあさん……何かあったんですか?」
ハートはいつもストレートな質問をする、たしなめようかとも思ったが老婆は事情を話してくれた。
「孫娘がね……こんなところで一生を終えるのは嫌だなんてバカなことを言いだしてね……飛び出してったのさ……まったく、この時代はどこも『こんなところ』になってるっていうのに……」
つまるところそういうことだ……アイツがこの村に帰らなかった理由、引き留められるからって事だろう。
「あの……そのお孫さんはヘカテって言う名前ですか?」
俺が名前を出すと老婆は食い気味に質問してきた。
「あの子を知ってるのかい!? どこに行ったんだい? まさか死んじゃいないだろうね!?」
ガクガクと揺さぶられながら俺は答える。
「い、いえ、ここに来る途中でガソリンをわけたんです……案内したのも安全な道なので少なくとも町までは平気かと」
老婆は泣きながら離してくれた。
「あんた達に礼を言うべきなんだろうね……ありがとうね……しかし本気で旅に出るとは……」
どうしていいのか分からずに困っているとハートが老婆に言った。
「心配だったら追いかければいいじゃないですか? あそこにあるのはモックアップじゃないでしょう?」
ハートが指さした先にはなんとか動きそうな自動車が一台あった。
「ここのガソリンも私たちは積めるだけ積みましたし後はおばあさんの自由に使っていいですよ?」
「無茶を言いなさんな……このご老体にどこまでできるって言うんだい……」
ハートは事もなげに言う。
「でもここにはもう誰も居ないんでしょう? 引き留める人だって居ないんですよ? それに……」
一呼吸おいてこう言った。
「人生の終わりなんて明日か百年後か分かんないんですから好きに生きればいいんですよ? 明日が終わりになった人がたくさん居たでしょう?」
望まず命を落とした人間、それは今生きている人間の両手の指を全部使っても数え切れないくらいいた、例外の俺とハートの方が珍しいくらいだ。
「わたしゃ車を運転した事なんて……」
「シンプルですよ? アクセルを踏んだら走る、ブレーキを踏んだら止まる、見たとこオートマですしそれだけ分かっとけばいいでしょう? どうせ交通違反なんて取り締まる人は居ないでしょう?」
突き放すようにハートは言う。
人生がいつ終わるかは分からない、でもどう生きるかは選択できる。
「しょうがないねぇ……まったくあの子は、どこまでも手間がかかるんだから」
そう言うおばあさんの顔は少し笑っていた。
「あの子の行く町までの地図をくれるかい? あんた達が来た道を案内したんだろう?」
俺はヘカテが立ち往生していた場所からの地図を渡し、そこから町までの地図を書いて渡した。
情報くらいは食料と燃料に比べたら安いものだ。
「さあて……いくかねぇ……」
「え? ちょっとくらい準備をした方が……」
老婆はなにを言ってるのかという顔で言う。
「どうせあたしの最後がいつになるかなんて分からないんだ、百年後って事はないだろうが、明日かもしれないんだ。わたしゃあのバカ孫をひっぱたくまで生きなきゃならんのさ」
そう言うとガソリンスタンドから燃料タンクをいくつか拝借してそこにガソリンを入れていた。
「食いもんはどの位必要だい?」
「飽きないくらいに積んどくといいですよ?」
「そいつぁ結構なことだ……食べた途端に開きそうな門敷かないがね……」
ハートと老婆はいくつかやりとりをした後俺のところに来て言った。
「あのおばあさんがヘカテに作っておいた料理は食べていいそうですよ? どうせまた作るんだからかまやしないそうです」
コミュ強だなコイツは……
こうして俺たちは出会いと別れを繰り返しながら生きていく。
明日があるかも分からない世界で希望があると信じながら、世界の果てを目指して兄妹二人はどこまでも行くのだった。
妹と小さな世界の全て スカイレイク @Clarkdale
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