あしたからは夜です

白瀬青

あしたからは夜です

 お星祭りが近づくと、「彼氏が欲しい」しかしゃべらなくなる。

 最初はひっそりとしたジンクスだったのに、ざわざわざわざわと人の口を 通るたびに声が大きくなって、今や彼氏がほしくない女の子は変人みたいだ。

 「誰とうまくいきそう」「いかなさそう」「もう無理」「あと一ヶ月なのに」「この期に及んで別れちゃうなんて責任感なさすぎじゃない」「なにそれ酷い。無いわぁ」――教室の話題はすっかり恋の相談一辺倒。

 ついていけないあたしがため息をつきながら机に伸びていると、隣で同じように伸びている琴子と目が合った。あたしたちは顔を見合わせて苦笑した。


 それからなんとなく気が合ってしまったあたしたちは、お星祭りを一緒にすごす約束をしている。

 寂しい子同士で馴れ合って、と揶揄する人もいるけど、琴子のことはあたしと一緒にしちゃいけないと思う。幼馴染の琴子の好きな人はずっとずっと田中さんなのだから。

 こんなお星祭りの季節に「あたし田中さんが好きだから」というだけで大抵の女子生徒は優しくなってしまう。

 だってひとつ先輩の田中さんはすごい。特に顔がいいわけではないのだけれど同年代の男子よりぐっと落ち着いている。話し方にも仕種にもいちいち良い人柄がにじみ出していて、だからそれはもう、モテすぎるくらいにモテてしまうのだ。唯一の欠点は、誰が告白しても優しく断ってしまうこと。

 それでもお星祭りのチャンスを狙って一時期は告白ラッシュが起こっていたのだけれど、最近は年上の彼女と微笑み合っているところを見たという噂が持ち上がって、それきりみんなばったりとあきらめてしまった。

 なにせみんなの憧れの田中さんだから、噂の「恋人」にも尾ひれがつく。最終的には「恋人」の目撃情報とやらも、本当にそんな人間が実在するのかしないのか、実在しているとしたらまさしく現実が小説より奇妙な完璧超人スーパーハニーLv99というレベルまでインフレしてしまって、以来、真相がまったく解らないままみんなの集団妄想というハードルに守られている田中さんである。

 そんな田中さんのことを入学したときから好きな琴子のことだから、お星祭りのジンクスにこだわるクラスメイトはみんな、琴子のことは同情の目で見ていた。田中さんが好きなら仕方ない。と。

 お星祭りには恋人と過ごしたい年頃だけど、一途に好きな人がいるから一人の「夜」を過ごしますというのは、わびしい青春のうちに入らない。下世話なあたしたちだって、そのくらいのロマンスは持っている。

 で。じゃあさ。そうしたらさ、その琴子とつるんでいるあたしに絡むのはなんなのよ。皮肉の矛先、実質ピンポイントじゃないの。あーあ。あーあ。

 さっきすれ違いざま同じ部活のゆんこからダーツくらいの軽さで投げられた冗談が、思ったより深いところに刺さってしまって、あたしは教室の窓枠にずるずると脱力してしまう。ああ、お日様が、まぶしい。青空きれい。

 そのまま窓枠にずるずるもたれたまま琴子を待っていると、窓の下のグラウンドから幼い歌声が聞こえてきた。

 太鼓の音が、だらりと伸びた腕に響く。明日からのお星祭りのために、近所の幼稚園のこどもたちが練習に来ているのだ。


「――夜がないのはなぜでしょう。これは恋するおひさまふたりのものがたり」

 ひらひらとした薄絹を巻いたこどもたちが、たどたどしく合唱する。

 くるりくるりと手を合わせて踊っていた薄紅色の布のこどもたちと蒼色の布のこどもたちが、ぱっと色ごとのチームに分かれて手を挙げる。色とりどりの花びらが舞い上がる。

 その間をひときわ顔のはっきりした15歳くらいの男女が歩いていく。双子のプリンシパルの渋谷兄妹だ。

「いちばんお空をてらすのは うるわしひめのシェリ星さま 守るきしさま リア星さま」

 どこからともなく飛ぶ声に合わせ、皆が声を揃える。

「シェリさまリアさま」

「リアさまシェリさま」

 手を取り合った二人は、片やたっぷりとした袖を引きずり長くトレーンを引いた白いドレス、片や白い騎士の軍服を纏い、後方に続く機械のうまに指揮を送っている。

 二人は仲睦まじく、息の合った舞はまるで見えない糸で引き合わされるよう。幼少の児童の声に応えてハグしたりそのまま華麗なターンを披露したりしていたが、やがて二人が抱き合うたび、機械のうまが変調をきたしていくのに気づく。ぐねぐねと練り歩いたり前足を上げていなないたり。最初は違和感程度だった動きや声は少しづつ大きくなってこどもたちを戸惑わせる。太鼓の音と歌も不調和になり、次第に不安を掻き立てていった。

「リアさま想うはシェリさまひとり」

「シェリさま想うはリアさまひとり」

「リアさまシェリさま いとおしすぎて」

「空のまもりはおざなりに」

「リアさまのうま あばれほうだい」

「うまのいななき 雷になり 地上は雨におそわれ続け」

 ひときわ高いいななきが響き、演技を忘れて泣いてしまうこどもと、それでも淡々と踊りを続けるこどもとで列はいびつに崩れていく。

「かみさまふたりをおいかりになり ふたりはついにはなればなれ いつでもその日のあちらとこちら シェリさまおきればリアさまねむり リアさまがおきればシェリさまねむり こいしいふたりの追いかけ合いで ちきゅうはいつもおひさまのした ちきゅうに夜はなくなりました」

 泣いているこどもを抱き起こすこども。うずくまってしまった年少のこどもに、手で波打つ仕種をするだけの簡単な今、ここからもう一度演技に入ればいいよと振りを教えるこども。

 歌っているうちに少しづつこどもの踊りは戻ってきて、揺れるからだが大きな波になる。

 波は大きく揺らぎ、手を伸ばし嘆き合うシェリ様とリア様を巻き込みながらグラウンドの端と端へと分かれて走り出し、かと思えば、次は再び中央に向かい勢いよく駆け出した。

 手に、手に、広げたピンクと蒼の薄絹がふわりと交錯し、再び手を繋ぎ合おうと駆け出すシェリ様とリア様が紫の海に沈む。

「そうして今日、まちにまったくらやみがやってきます。こいびとたちのくらやみです。シェリさまとリアさまが、136年ぶりに会える夜です」

 再び、輝く恋人役のふたりが手を取り合って華麗なダンスを見せる。

 「夜」を思わせる紫のヴェールの中で。愛しそうに。



 当たり前の話だけど、おひさまはふたつだ。

 でも昔々、あたしたちの先祖が別の星に住んでいた頃、おじいちゃんおばあちゃんが逃げてきた故郷の星――あたしたちはそれを「元地球」と呼んだりするのだけど――そこにはおひさまがひとつしかなかったんだって。一日の半分、おひさまは空にいなかったという。

 今、この地球にはおひさまが二つあって、お姫様と騎士に喩えられるそれらが、リレーのように昇ったり沈んだりする。だからあたしたちは、本当の暗闇を知らない。

 暗い夜は136年に一度だけ訪れる。

 片方の太陽が沈むとき、もう片方の太陽が日蝕に入る。一時間くらいの皆既日食なら珍しくはないけれど、それが続く「夜」は特別な天体現象だ。この地球とおひさまとの中間地点を少しづつずれながら回っている衛星のひとつの、その軌道が完全におひさまと被ってしまうのだ。日蝕は三日間続き、その間、一日の半分は闇に沈んで星が瞬く。


 本物の「夜」が来る。

 恒星間移民船育ちのあたしたちのお父さんお母さんだって知らなくて、お

じいちゃんおばあちゃんの世代が創った映画でしか見たことがなかった、「夜」が。


 夜がある間は「お星祭り」。灯りを備えていないおうちも多いし、だいいちみんなが灯りをつけたら発電供給量がパンクしてしまうので、学校はみんなお休みだ。ゆっくり寝て休んだら、みんなで校庭やその近くの河川敷に集まって星を見上げて火を焚き、歌い踊る。都会の商業施設なら照明設備と自家発電装置が設けられているはずだからある程度普通に過ごすことができるけど、首都から車で二時間離れた片田舎じゃお祭りもなんだか原始的だ。

 あと、大事なジンクスもある。元地球の習慣に則り、恋人と一緒に暗闇の中をすごすんだって。夜を越えた恋人同士は必ず結ばれるんだって。だからみんな必死で彼氏を欲しがっている。

 星空の下でキスをするなんて、恋愛映画のエンディングだけだと思ってた。あれが本当にできるの!?

 みんなが色めき立っている。

 そうして長い日蝕の終わりに除夜の鐘が打ち鳴らされ、あたしたちはまた、おひさまの下で普通の暮らしを送るのだ。


 ぼんやりと子どもたちの舞を眺めているうちに山際は朱色に染まり、それが水色のカンバスに滲み出す。空一面が薄紅色の空に変わると、やがて空気までも染まり始める。 蜜柑色の目映い夕闇が足許へと忍びよる。

 教室の中で窓枠にもたれながら、部屋の中はもう鮮やかなオレンジだ。うつむくあたしの影は垂れ下がるように長く、この綺麗な色の空気に押しつぶされてしまいそう。

 とても暖かな色をしているのに重い影から足へと這い上がる温度はゆっくりゆっくりと冷え込んでいって、それが訳のわからない寂寥を煽るのだった。

 まるで水に溺れるみたいに。じわりじわりと上る冷たさが空に垂れ下がったあたしの指まで侵し始めたそのとき。不意に教室のドアが開いて、琴子がうれしそうにあたしを呼ぶ。

「ね」

 振り向くと、琴子が紺色のトレンチコートを着てたたずんでいた。ベルトは横縞模様のベロアで、それをリボンのように大きく結んでいた。

「見て」

 首がうもれるほどのふわふわのファーは深いブルーで、金色のラメが飾られている。まるで絵に描いた夜空だ。

 あたしの感嘆にうれしそうに笑った琴子が、くるんとターンする。モデルみたいな動きを意識したのだろうけど、照れて早く回ったから、どちらかといえばバレエみたいなターンだった。おかげで翻る裾がとても優雅に見える。なんだかあたしまでうれしくなって思わず抱きつく。

「かわいい!」

「かわいい?」

「うん、かわいい」

 コートに憧れていた。

 毎日が昼間で温暖化してしまったあたしたちの星、一日の気温の変動が少なくなったあたしたちの生活に、厚手のアウターは普段着じゃなくなっていた。夜のない星で、コートはお姫様のようなドレスよりも贅沢なおしゃれだ。

 だからね、みんな「夜」が来たら着てみたいと思っている。昔の本で見るおしゃれなコート、織り糸を凝らしたツイードの厚い生地やふわっふわのファーや光が波打つベロアのリボン、デザインを凝らした個性豊かな大ぶりのボタン。たっぷりプリーツを取って可憐に翻るワンピースみたいなドレスコートにスカーフを合わせるのもいいし、足首まで覆うようなシンプルな黒のロングトレンチもかっこいい。もちろんショートコートだってブルゾンだって。大きめの袖や襟、パーカーはあっても可愛いし無くても可愛い。木と紐の組み合わせがどうやったって可愛いダッフルボタン。半身が綿毛に埋もれるようなファーコート。北国の民族衣装みたいなムートンコート。身体を繭で包むようなダウンジャケット。――一生に一回着れるか着れないかの贅沢だというのに、どれを選んだって可愛いのだった。

「そういえば、」

「うん?」

 セーラー服にカーディガンを羽織っただけのあたしを見て、琴子が言う。

「真宵、コートは?」

 あー……、と、あたしはあいまいに答えて目を逸らす。

 夜はとても寒いから。

 そういう理由でみんなコートを買っている。あたしも便乗しておしゃれなコートが欲しい。なのにお母さんには「要らないでしょ。彼氏もいないのにお星祭りのためだけの高いお洋服なんて」と鼻で笑われてしまった。

 ふーんだふーんだ、みんなが彼氏のためにコートを着るわけじゃないの防寒のためなの。全然解ってないくせに。そ、そりゃあ一番の目的は着てみたい……だけなんだけど。

 もちろん要らないことを言うお母さんなんか放っておいて、おこづかいを貯めて自分で買っちゃえばいいのだ。っていうか貯めてあったのだ。だけど、買ったら買ったでクリーニングも要るものだしずっとこっそり保管しておけるものではない。そう思うと「要らないでしょ、彼氏もいないのに」という言葉が重くのしかかっていた。考えると傷つくから考えないことにした。

 部屋から暖かい色の空気がすっと抜け落ちていく。空はもう半分夜の色が落ちて藍と薄紅がせめぎあい、ゆっくりと色を変えていく。

「ねえ、お化粧直してもいい?」

 琴子が唐突に言う。

「コート、買いに行こうよ」

 それはあたしがずっとコートを買うためのお金を貯めていたことを知っている琴子だからできる、強引なおせっかいだった。


 神様を招く巫女のようなこどもたちの喧騒も消え去り、あたしたちは暮れていく空を眺めながら化粧を直す。

 窓の外でゆっくりと消えていく夕暮れの色を粉にして閉じ込めたようなフェイスパウダーが、あたしの指を染めている。最近チークの入れ方がよく解んなくなってさー、という琴子の頬をオレンジ色の指先で撫でる。

「まーひがみ半分なんだけどさー」

 琴子が言う。

「ちょっと盛り上がりすぎだし、世界が完全に真っ暗になるだけのことがそ

んなに面白いもんかねって思ってたけど――、こりゃあ確かに綺麗なもんだ

ね」

 星空ばかりがクローズアップされるけど、今、目の前にある夕焼けの、世界が燃え落ちるような茜はそれを越える圧巻だ。

「うーん、正直あんまり期待してなかったんだよねえ。現役で夜を知ってる

おばあちゃんなんかは、あんまりロマンティックって感じでは喜んでなかったし」

 よくよく考えればそうだよねえ、とはあたしも思う。かつてこのあたり一帯の星の名前は、元地球がここを見つけたときの探査機の名前に連番を添えた無機質なもので、地球からの移民が始まるまでは昔々の神話をなぞらえてすらもらえなかったのだ。

 シェリ様とリア様の神話はどこから来たのだろう。みんながときめいている話の腰を折るような厄介な人にはなりたくないからいつも疑問は心の底に封じ込めてしまうけど、お星祭りってなんだか不思議だ。たかだか数十年の間にできた神話を、あたしたちは古来からの習わしのようにありがたがっている。

 神妙な顔をしているあたしに、琴子がぱんっと手を合わせて笑う。

「あっ、夜がめでたくないってわけじゃ、ないんだよ! 明るいと寝られないんだって。だから生きてぐっすり眠れるときがもう一度くるなんて思わなかった! ありがたやありがたや! ……とは、言ってる」

 おばあちゃんが神棚に拝む仕種を真似しているらしい。あたしも笑った。

「私たち別に、明るいから眠れないとかないもんな」

「あったら毎日遅刻してないでしょ」

 寝坊がちなあたしをからかう琴子に、あたしは裏手でツッコむ。

「違うし! 毎日じゃないし!!」

 他愛もない話をしていると、廊下をすっと細い光の筋が走った。大人達の笑い声が聞こえてくる。先生達が点検しながらすべての教室に灯りを点しに回っているのだった。

 あたしは琴子の顎を撫でるように持ち上げる。頬に差した紅色のふんわり感にうなずいて立ち上がる。

「さ、行こ。もう牛後リア九時だわ」


 百貨店は大変な混雑だった。しかし中に入ってしまえば、そのほとんどが食品売り場の地階へと流れていく。

 お祭りの盛り上がりを当て込んで百貨店はお星祭りの間だけ二十四時間営業になっていたけど、期待外れかまだみんな仮眠中なのか、思いの外買い物を楽しむ客はまだ少なくて、詰めかけた人のほとんどがお惣菜と非常食を買いに走っている。お仕事帰りのどこかのお母さん達が、夜が近づいてみたら思いの外暗くて料理に困ったので、当面の食事を確保しに走っているのだ。

「こんなに暗いなんて予想外よね」

「そうよ、これじゃ怖くて火なんか使えないもの」

「しばらく夕飯は出来合いのおかずでなんとかしてもらうしか」

 奥様達のため息の横をすり抜け、あたし達はまっすぐに二階のお洋服売り場に向かう。

 まず目に入ったのは赤だった。

 鮮やかな赤のコートに目が奪われて、あ、決まっちゃった、とあたしは思う。

 スタンドカラーのワンピース風の胸元には二列につやつやと黒く大きなボタンが並び、腰元から裾がドレスのようにふわりと広がる。

 どきどきしながら手を伸ばしたそのとき、

「真宵ー!」

 大きな声にびくりとして、あたしはそれを棚の上に突っ込む。別に悪いことをしているわけじゃないんだけど。なんだか柄じゃない。無意識にそう思ってしまったあたしはまるで不審者だ。

「ど、どうしたの?」

 振り向くと、琴子の手に握られているのはかっこいい黒のコートだった。

「真宵に似合いそうと思って」

 ひらりと広げ、自分で軽く羽織ってみせる。大きなドルマンスリーブの脇からAラインのシルエットがすっと落ちる、モードで大人なロングコート。ただでさえスタイルの良い琴子が何割り増しかでかっこよく見えた。

 瞬間、あたしは「言わなくてよかった」と思ってしまう。かっこいいけど。好きなデザインだけど。やっぱりあたしに可愛い赤は柄じゃないよね。

 うなずいたあたしは、さっきまで別のコートに心惹かれていたことなんか気取られないようしどろもどろで笑顔を取り繕う。

「それ、着てみようかな」

 黒いコートに手を伸ばしたあたしを、琴子はしばらくじっと見ていて、それからはたりと棚の上に視線を向けた。

「やっぱり待って」

 琴子が手に取ったのは、さっきあたしが隠すように置いた真紅のコートだ。

どっと気まずい気持ちがあふれる挙動不審なあたしに対し、琴子はあっけらかんとした笑顔で赤いコートを広げてみせるのだった。

「ね、これ、すっごく可愛くない?」


 琴子はめちゃくちゃ聞き上手だった。お洋服屋さんの悪魔だ。おすすめした服をうーんと言ってもいいし、逆にあたしが気になってるお洋服はどーんと背中を押してくれる。

 今となれば、自分の好みを通せば「こんなの似合わない」「琴子に笑われる」と思っていたことすら琴子に失礼だ。

 で、結果。

(か、買えちゃった……!)

 あふれる感慨が形になったような大きなショップバッグを抱きしめ、あたしは心の中で何度もつぶやく。

 買えちゃった。買えちゃった。コート。

 しかも、すでにお星祭も始まってしまう宵、大半のコートは半額で投げ売られていたので、その分普段使いもできる少し厚手のニットやスカートなども買えてしまった。琴子が見繕ってくれる服はどれも可愛かったし、はしゃぎすぎた感はある。でも後悔はしていない。

「さ、握り締めててももったいないよ。着てみて。せっかくだから一緒に写真撮ろう」

 琴子が携帯を構える。

 あたしは琴子の腰掛けたベンチの横に荷物を預け、ゆっくりとコートを広げてみる。

 初めて触れるなめらかなウールの温かみ。鮮やかな赤に鼓動が早まる。ああ、頬ずりしちゃいたい!

 鏡の前でだって何度も試着して確認したのに、自分のものになってから袖を通す高揚感は全然違う。琴子も自分のことのように喜んで褒めてくれる。

 顔をよせて画面の中に収まる。シャッターの音にシャキッとする。わくわくと覗き込んで確認するけれど、残念、一枚として鮮明に写っている写真はなかった。首を傾げながら、携帯を交換してもう一回。やはりピントや色合いが微妙すぎる。

「写らないねぇ……」

 琴子がため息をつく。

 そういえばSNSでも言っていた。夜は写真がぶれやすいから気をつけましょう、携帯のカメラでは厳しいかもしれません、シャッタースピードの速いカメラを買うのがいいと思います。へえ、夜ってそんなに写真が難しいんだって思ってはいたのだけど、本当にこんな、ブレブレになるものだとは。

確かに特殊なカメラもアプリも三脚も使ってないけど、しっかり構えてたのに。昼間ならドンピシャでピントが合うのに。

 暗いからダメ、というなら、明るいところで撮ればいいのだ。でも違うよねえ、とあたしたちは顔を見合わせる。百貨店の中にも星をモチーフにしたフォトスポットは設営されていたけど、そういうのじゃないんだ。本物の夜を撮りたいんだ。

「……お祭り、行く?」

 あたしはうなずいた。

 お祭りならイルミネーションがあふれているし、どこかに写真を撮れる場所もあるかもしれない。


 河川敷を歩く。映る屋台の提灯が水面に揺れている。時計は間もなく牛前シェリに差し掛かる。堤防の上から見下ろす学校はすべての教室に灯りがともって、毎日来ているところなのに初めて見る異世界の建物に見える。

歌声が聞こえている。昼間練習していたこどもたちの声だ。

「明日は星空上映会があるんだって」

「星空上映会?」

「校庭に大きなスクリーンを出して映画を見るの。夜、外で宇宙や星が綺麗な映画を見ていると、星空がスクリーンからあふれだしたみたいに見えるんだって」

 川沿いには燈篭が並べられ、揺らぐ光で真昼よりもかえって水の流れを感じる。まるで違う景色。幻想的な雰囲気に圧倒されて、ひねくれ者のあたしも「夜」っていいなという気持ちになりかけている。

 みんな色とりどりのコートを着ている。声を張り上げて屋台のおじさんが人を呼ぶ。行き交う人々はお互いに何か笑い合っていておじさんの言うことなんか聞いていないのに、それより風に吹かれてくる卵やソースの焼けるこんがり芳醇な香りにおなかを空かせてひとりでに列を伸ばしていく。

「真宵、何食べる?」

 テントの屋根には食べ物の名前が書かれている。綿菓子、カステラ、クレープ、円盤焼き――それが内側から照らされて赤緑黄色とにぎやかに浮かび上がっている。横の屋台を覗けば、色とりどりのシロップをソーダに溶かしてきらきら金の粉をひとふり、今夜見える星の名前になぞらえている。

「そうだねぇ……星のソーダも鉱石風りんごあめも綺麗だけどお祭りって感じじゃないし、後でおうちへのお土産にして、何かあったかいものを……」

 言いかけてあたしの動きは止まった。

 隣を、男の子の一群が通り過ぎていく。茶色い髪が視界の端をよぎる。冗談を言い合いながら爆笑している声のひとつに聞き覚えがあった。

(田中さん)

 叫びそうになる口を押さえる。

(田中さんだ。絶対田中さんだ)

 え、と。いや、でもまさか。

 振り向く。

 茶色い髪が揺れる。笑っている。

 やっぱり――、田中先輩がいる。

 彼女ではなく、男友達と屋台を指差してうなずきながら。

「……」

 これは。

 いや、もちろんお祭りは三日間続くわけだし、その間すべてのカップルがずっと離れず傍にいるわけじゃない。でもでももし彼女がいるとしたら。やっぱりこの時間は特別なんじゃないの? だって初めての夜だもの。

 はッと琴子の顔を見た。

 そうだ、これはチャンスだ。田中先輩に彼女がいないとしたら。今からだって。琴子だって。

 勢い込んで琴子の手を掴んだあたしは、そのまま止まってしまった。

「どうしたの真宵?」

(じゃああたしは?)

 不意に心に響いた意地の悪い声に、あたしはぼうぜんとしている。

 足を、引っ張りたいわけじゃない、のに。あたしは何をためらっているのだろう。

「田中先輩! いるよ!」

 振り切るように言った言葉は自分でもびっくりするほど大声で肩を押す力は強すぎて、周りの人がなんだ喧嘩かとばかりに避けていく。

 琴子はこれ以上見開けないだろうってほど目を丸くしてあたしを見つめていたけど。

「あー……、」

 ふっと笑うと、困ったように頭をかきながら言う。

「なんだろう、正直、そうなると別に、そんなに彼氏が欲しかったわけじゃないのかもねぇ」

 バツの悪そうな歯切れの悪いつぶやきに、今度はあたしが目を丸くする。

「え」

「正直。流されてたよね。お星祭りはロマンティックなもの。恋をしなきゃソンソンって」

 琴子の言葉は、あたしの本音そのものだった。

「だけど、初めて世界が本当の暗闇になるなんてどう考えても怖いイベント、なんでみんな急ごしらえの彼氏でチャラになるのかしら。普通に怖すぎでしょ」

 言葉に表し難い不安を捕まえるように指を動かせば、爪先は死んでしまうみたいに冷たくて、じんと痺れる感覚がする。

 空気は触れたこともないほど凍てついている。きっと天空はもう暗闇だ。

「何が楽しいんだか解りゃしないわって拗ねてたときに、あんたとすごせてよかった。世界が嘘みたいな真っ赤な色をしていたって、不安になるほど寒くたって、なんか楽しくなってきた。ああ、いける。いけるわ。怖いものには、ぽっと出の彼氏じゃない。こんな状況でもふざけられる友達だって」

 琴子があたしの手を強く引く。

 暗闇から何も捕らえられないまま凍えていく指に、不意にあたたかい体温が流れ込む。

「行こ。もうすぐ花火だって!」


 そのとき初めて、夜の空が目に飛びこんできた。

 白い息がふっと止まり、あたしは正直に魅入られている。

 深い深い藍色に光の粉を散りばめたような天盤の上、星は真珠貝や金銀の砂や珊瑚やラピス、そんな美しいものをすべて砕いて散りばめたようで、ときおり赤みがかった黒雲が鬱蒼と揺らいでいく。どこかの街の灯を映しているのだろうかそれともシェリ様の残照だろうか、山際だけがオレンジ色に燃えていた。

 ここはほとんど灯りのない世界。

 そこに垂れ込める「夜」は元地球の記録映像よりもどんな映画よりも重く綺羅綺羅しく、おそるおそる伸ばした指の先に今にも触れそうな重さであたしに迫る。


 圧巻の美しさを認めたそのとき。

 あたし、怖かったんだ。あたしは思った。

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あしたからは夜です 白瀬青 @aphorismhal

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