第11話
高度一二〇〇、速度は互いに二七〇ほど、ますますそれは上がっていく。上空は地上よりもはるかに激しく複雑な風が波打つようにあちこちから叩きつけ、それに呑み込まれてしまえばバランスを崩してすぐにでも海面に叩きつけられてしまうだろう。
その点、エレは
クィは何十年もこの星の空を駆けてきたが、あれだけ見事な飛行を目の前で見せられると、見惚れてしまうほかない。自分の技術には自信を持っていたが、彼女のそれはまた別次元の領域にあるような気がしたのだ。
エレの速度はついに三〇〇を越え、ますます速くなっていく。それに応じて、光の粒子の大きさは増していく。クィはここに来てようやく自分の語った理論が、少しは的を掠めているのかもしれない、と思い始めた。エレの速度に比例して、粒子の数は増していく。ここにエレの時空跳躍のメカニズムが隠されているのだとしたら……
「ついてこられる?」
エレがくすくすと笑うのが、通信越しに聞こえてきた。
「もちろんよ。あなたより何十年も長く空を飛んでいるんだから――」
クィも速度を上げた。翼を鋭く収斂させて高度をさらに上げる。スラスタ全開、風は横殴りに彼女へ叩きつけてくるが、そのわずかな間隙を狙って身体を突き刺す。エレはその間にも、ますますクィを引き離していく。距離は八〇〇、八五〇、九二〇……ますます離れていく。千年以上も前の
太陽が空高くふたりを照らしている。やがて眼下に見える海の色が、浜辺の鮮やかな青から、より深く、濃い紺色へと変わっていった。
「この真下は海溝になっているの。昔はよくここから、メタンハイドレートが産出したのよ」
「それ、私の時代でもやっているよ」
「気を付けてね。今でも時々、此処からものすごい風が吹き上げてくる――」
言うなり、海面から途方もない上昇気流が巻き上げてきた。重力が一瞬、反転したのではないかと思うほどの力を受けてクィの身体が突き上げられる。それはエレのほうも同じだった。彼女は何を思ったか翅を大きく広げ、その風に流されるまま雲の真上へと消えていく。
「エレ!」
クィは咄嗟に叫んだ。針路を上方に向け、上昇気流を背中に受けて雲の中へ突っこんでいく。見通しの効かない視界の中でも、エレの残した光の尾が、進むべき方向を示してくれた。
やがて雲を抜け、その上にある広大な蒼穹へと躍り出た。エレはそこでクィのことを待っていた。まばらな雲海に、二人の影が映る。
「このまま星になりたい」
エレは言った。
「どこまでも遠くまで飛んで、いつの間にか消えてしまいたい」
「馬鹿なことを言うものじゃないわ。宇宙空間に出たら、たちまち窒息してしまうわよ」
「この星がこんなに大きいなんて、知らなかった」
エレはまた宙に光の尾を引き始めた。クィもそれにならった。
速度はまた上がっていく。クィは、エレが残していく光の粒子をなぞるようにして同じような速度で飛んだ。エレはただ真っ直ぐ飛ぶだけではなく、時どき気まぐれに大きく旋回したり、螺旋を描いていたり、身体を左右にゆすぶったりして、ほんとうに気ままに飛び続けていた。それでいて、速度はますます上がっていく。
クィと、クィの
ついにクィはエレに追いつき、二人はほとんど同じ高さで、同じ速さで飛んでいた。時どきエレが距離をとり、クィがそれを追うと、ぐるりと大きく旋回してそれをかわす。逆に、クィが彼女を引き離そうとスラスタを吹かせば、彼女の方が逆に追いかけてくる。ほとんど追突しようとするエレを下方に避ければ、悔しそうに8の字で旋回するエレの振り撒く光の粒子が太陽にきらめいた。
「あははははっ、」
エレの楽しそうに笑う声だけが、通信だけではなく、広く、高い空にこだました。彼女は唐突に高い空の彼方を目指して飛び始めた。クィもそれを追いかけた。
「クィの
「あなたの翅ほどじゃないわ」
「そんなことない! 負けず劣らずよ!」
どこまでもどこまでもどこまでも、ふたりは飛び続ける。景色は雄大なまま、ずっと変わらない。どこまでも、空と海の青しか見えない。距離感が狂っていて気が付かなかったが、クィは速度計を見てぎょっとした。速度六〇〇――これは
「私、どこへだって行けそう」
クィは、駄目よ、行かないで、行っては駄目――と、言いそうになるのを必死にこらえた。
「クィ、私、とっても楽しい。ありがとう、ほんとうに」
「エレ、待って――」
「追いついてみなさいよ、その、きれいな翼で」
「もう精いっぱいよ!」
「ね、今、名前、付けてあげようか?」
クィは眼下の雲に映る自分の影を見て、ぎょっとした。金色や緑色が入り混じったような、この半透明な翼の影は……
「いったい、これは?」
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