第10話

 クィが真っ直ぐに空を切り裂き、その後を、エレが追従する。最初に彼女と出会ったときもこんな風だった。もう遠い昔のような気さえする。それだけ、孤独な時間が長すぎたのだ。速度がますます上がっていく。一六〇、一八〇、二一〇……



 クィは高度を落とし、エレのほうを見た。

 エレはものすごい速度で飛びながら、光の粒子で蒼穹に直線を描く。しかしクィが急に旋回したのを見て、慌てて速度を落とした。クィはエレにハンド・サインを送り、ふたりはその場でホバリングし、静止する。



「どうしたの?」



 エレはヘッドギアのシェードをといた。クィは、エレが飛んできた空に残された痕跡を指さし、



「あなたは、あれが何なのか分かる? 何なのかとはつまり、あなたの飛行翼ブレードが――〈ゼフィルス〉が振り撒くその鱗粉が、どこから生じて、どうやって離れていくのか」

「ううん……」

「ほんとうに、美しいわよね。まるで星のよう。精密な分析器具がないから、あくまで私の仮説だけど――あなたをこの時代に飛ばしたのは、この粒子よ」

「一体、これは何なの?」



 クィは深呼吸をして、エレに告げた。



光子化フォトナイズタキオン」



 エレの半透明な翼から剥がれ落ちる、まさに鱗粉のような物質。光の形となって、その場にとどまり、溶けるように消えていくその物質――



「あなたは量子テレポートしたの」



 クィの言葉を、エレは黙って聞いていた。



「最初に現れた時も、あなたは物凄い速さで飛んでいたわ。きっと、元の時代でもそうだったんでしょう。あなたの翼から剥がれ落ちるタキオン粒子が……〈ゼフィルス〉の速度から生み出されるエネルギーと反応して可視化され、疑似的に光子と似たような性質を生み出す。そしてそれが一定以上に達したとき、二点間の量子――この場合は光子化フォトナイズタキオン――が相互に変化を及ぼし合い、状態を同期させる。あなたはそれに巻き込まれたの」

「えっと――つまり?」

「今のあなたは時空のねじれが生み出した、影法師のようなものなのかもしれない。西暦二二七一年――つまり、あなたが元いた時代の時間軸上でも、あなたは一瞬たりとも消失することなく存在していて、ここにいるあなたは時間軸を大きく飛び越えて、寄り道をしているような状態なの。量子テレポートを再び引き起こせば、あなたは元の時代に帰れる。そのためには、また、現れた時と同じように――思い切り速く、飛べばいい。確信はないけれど」



 エレは口をもごもごさせながらクィの言葉を聞いていた。

 クィは、自分で自分の考えを口にしながら、だんだん馬鹿馬鹿しくなってきた。

 タキオン粒子の概念を用いたタイムテレポート理論は、提唱されてから千年以上たってもついに実現していない。だから人類は地球から追放され、滅びの道を辿っているのだ。文字通りのオーバーテクノロジー。そんなものを、エレはどうやって手に入れたのか?



「きっと、あなたの飛行翼ブレードが〈ゼフィルス〉という名前になったとき――誰かがその機構を、あなたの飛行翼ブレードに積み込んだ」



 その何者かが、未知のテクノロジーを用いて、〈ゼフィルス〉にその機能を搭載したことは間違いないだろう。一度〈ゼフィルス〉を覗いた時の、あの未知のコードもその人物が書いたのだ。その人物自身も、それがオーバーテクノロジーであることは承知していたのだろう、だからこそ情報漏洩を防ぐために逆デコードを防ぐ細工を施した……



「でも、いったい何のために? どうやって?」

「今考えてもしょうがない」



 クィはエレに、真っ直ぐ飛ぶように促した。



「エレ――元の時代に戻りたい?」



 エレは答えなかった。俯いたまま、シェードのかかったヘッドギアで空の彼方を見ていた。



「わからない」



 エレの呟きは、ほとんど呻くような細さだった。



「元の時代に戻っても、私はセキュリティに追いかけ回されるだけ。仲間ももういない。このまま、クィとふたりでいる方が、ずっと楽しいだろうと思う。でも、このままじゃいけないとも思う。第一、クィの言ったことが正しいとして――元の時代に、元通りに帰ることなんて、出来ないかも知れないし」

「確かにね。仮に量子テレポートだとしても、それが二点間による移動とは限らないわ。第三、第四のもつれが存在するかもしれない。そこに飛ばされるかもしれない……」

「わからないよ。どうしたらいいの、クィ」

「私には……何も答えられないわ。あなたがしたいようにすればいい。でも、どうしたらいいのか分からないというのなら、私にもそれは教えられない」

「私が何をしたいか――」

「よく分かるわ。私にも、あなたくらいの歳の頃があったから。そうそう決められることじゃないってことも」

「クィなら、どうする?」



 クィは、エレではないから、その質問には答えられない、と思った。歳も、身体も、生きてきた時代も、何もかもが違う。けれど、ふたりは翼で繋がっている。

 クィの飛行翼ブレードのスラスタが、ごうっと音を上げた。



「私だったら、とりあえず、思いっきり飛んでみるかな。この時代、この星の光景を、全て感じるために。私たちの答えは、どうせ空とスピードの中にしかない気がするもの」



 エレは、ずっと黙って滞空していた。しかし、唐突に翅をひらめかせてひゅん、と上空高く飛び上がると大きく弧を描き、クィに向かってあの光の粒子をばらまくようにその場をぐるぐると回り始めた。



「クィ、この星を案内してよ」



 エレはうずうずと翅を震わせた。



「最初に会った夜のこと。覚えてる? 今まで、あなたはこの星の空を散々飛んできた、いっぱい話してくれたよね。一緒につれていってほしい。また、私と一緒に飛んでよ」

「もちろん」



 返事を聞くより前にエレは空に光の尾を引いて、さっそく飛び始めた。クィも彼女の後を追う。



 クィの飛行翼ブレードに、あの光の粒子が纏わりついて、まるで吹雪の中を飛んでいるかのようだった――その粒子のひとつひとつ、よく見れば、それは様々な光を濃縮した末の白い輝きを放っていて、まさに星のようだった。それを身体からふるい落とし、尾を引いて飛んでいくエレは、まさに流星、彗星のような存在だった。それを見失わないよう、クィも全力でスラスタを吹かした。

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