第6話
星が瞬いている。空はすっかり暗くなり、波が砂をさらう心地よい音が耳をくすぐる。
エレは話を聞き疲れたのだろう、〈ゼフィルス〉の翼を広げて、ソファに背中を預けるようにして眠っている。時どき、むずむず口を動かして寝言を言ったり、びくっと指が震えたりする。夢を見ている証拠だ。義体であるクィには決して起こりえない現象だ。
身体を一部でも機械に置き換え、義体化した人間は、なぜか「夢」というものを喪失する。義体化した人間の睡眠は、完全な無だ。眠気に負けて目を閉じれば、次の瞬間にはもう目が覚めている。全身を機械に置き換えたクィにとっても、それは例外ではなかった。
クィは火を絶やさないように、時どき枝を折っては火に投げ入れながら、赤い光に照らされたエレの寝顔を見ていた。こんな状況でも眠れるとは、大した図太さだと感心した。もっとも生身の人間なら、眠らなくてはまともな活動もできないだろう。
クィは、これからエレをどうするかを考えていた。
――自分とエレでは何もかもが違う。活動時間、食事や生理的な現象の有無……例えばクィは、その気になれば数十時間も休憩せずに空を飛び続けることができる。だが、ただの生身の人間である彼女にそんなことが可能かどうか、分からない。クィにとってエレは、テクノロジーをある程度共有しているとはいえ、千年以上の時を隔てた未知の生命体に等しいのだ。
イデオロギーや生きてきた時代のことも違う。過ごしていく環境が違う。
また、枝を折って火にくべながら、クィは呆然と溜息をついた。
エレは数時間後、まだ夜明けが来る前に目を覚ました。ちょうど空が白み始めたころだった。彼女は大きく伸びをした後、クィに「おはよう」といった。
「よく眠っていたわね」
「クィは? 寝ていなかったの?」
「ええ。サイボーグは、そんなに眠らなくても平気なの」
「夢を見たよ。海の中を飛んでいる夢」
「海の中?」
「そう。周りが水ばっかりで、身体がとっても重いのに、なぜかすいすい飛んでいるの。軽やかに。魚よりずっと早く。水面がきらきら光ってて、揺れていた。周りが一面、真っ青だった。とってもきれいだった……」
そう言うなり、エレは〈ゼフィルス〉の身体を開いた。両手と両足を見る間に乗せていき、風を巻き起こして翼を広げると、そのまま浮かび上がる。
「どこに行くの?」
クィは不安になって咄嗟に叫んだ。エレは相手を小馬鹿にするような声で噴き出した。
「どこって、別に。ただ飛びたいときに飛ぶだけ!」
〈ゼフィルス〉の翅が、水平線の向こうから顔を出し始めたばかりの太陽に煌めいた。そう言うなりエレはひゅんっと風を切って飛んで行ってしまった。クィは言いようのない不安に襲われた。エレがそのまま、海の中へと消えて行ってしまうような気がしたのだ。
クィは砂浜に佇む
どこまでも続く水平線が、どんどん真っ白に染まっていく。それは今まさに昇ってこようとする太陽の光だ。この星を包む真っ白な陽光。それを切り裂くように、エレは飛んでいた。距離はおよそ五〇〇、速度一二〇。その気になればすぐに追いつける――と、目の前でエレが急に軌道を変えた。一瞬、翅を大きく広げ、海面へと突っ込むように落下していく。
クィははっとした。このまま海の中へと飛び込んで、海ふかく沈んでいってしまうのではないかと、そんなことを思ったのだ。しかし、彼女はぐるりと巨大な円を描くように軌道を上へ、上へと修正していく。空高く舞い上がると、そこで大きく翅を広げて減速、今度は水平に真っ直ぐ飛んでいく。
クィがそれを追いかけていくと、不意にエレは旋回し、こちらを向いた。そのまま翅を広げ、静止する。
「どうしたの?」
クィの通信に、エレは答えなかった。代わりに翅をはためかせ、ぶわっと光の粒子を撒き散らすと、それを巻き込むように身体を錐揉みさせながら、飛び去って行った。ついてこい、と言わんばかりの挑発的な飛行だ。クィはそれを、挑戦状だと受け取った。
飛び去っていく。離れていく。エレを、クィは追いかけた。
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