ほんとに、生きてる間にあんな災害に遭うとは思いませんでした。
私の場合母がテレビを消したまま見せてくれませんでした。
でも、こっそりと断片的に見たテレビの映像は一生忘れないと思います。
父が帰宅困難者になって、都心から千葉県まで歩いて帰宅するのを待っている間はほんとに不安でした。
夏緒さんは妊娠中だったんですね。不安をより敏感に感じちゃいますよね。
お子様、無事に生まれてくれて良かったです。
あれから十年ですが、日本全国で異常気象や天変地異が起き続けてる。
地球を汚し続ける人間に、地球が怒ってるのかな、とか思います。
作者からの返信
無雲さん、コメントありがとうございます♡
無雲さんも関東のお住まいなんですね!
テレビを消したままっていうのは、精神衛生上正解だったのかもしれませんね。
お父さまは徒歩帰宅!
無事に帰ってくる保証がないなかでは不安でしたね。
わたしは妊娠中でしたけど、西日本住まいなのでそこまで実生活に影響があったわけではなかったと思ってます。
でも、なにか大きな力が働いてるみたいに感じちゃいますよね。
地球が怒ってる。
わたしもそんな気がします。
編集済
夏緒さん、真夜中にすみません。
こんばんは。
早いですね。
あの時からもう10年かぁ。
お腹に上のお子さんがいた時だったとは、色々と不安で大変でしたね。汗
私はママ友といた時にあの地震がきて、震度5強でした。
それからしばらくは計画停電になるとかで昼間におにぎりを作って夜に備える生活をしていました。(私の住むところで停電無かったのですがいつなるかは分かりませんでした)
あと、スーパーも半分電気は消えてるし、食材はスッカスカ。
異常な日々でした。
まさか違う異常事態が生きてるうちにまた来るとは思ってもいなかった〜。
作者からの返信
ねむこさんおはようございます(*´ω`*)
10年て早いですよねぇ、ほんとあっという間です。
わたしは妊娠中だったとはいえ、実害がほぼなかったので、ねむこさんのほうがずっとずっと大変だったかと思います。
日常生活が普通に送れないって不安でしたよね〜!
そして今はコロナ!!
本当どうなっちゃってるんでしょう、ただ穏やかに何もなく生活したいだけなんですけどね。笑
うん、すごかったよね。
あれほど、ひどいこと、初めてでした。
作者からの返信
凄かったですね。
あいるさんに言われて思い出しましたけど、その後からあっちもこっちも大災害で大変なことになってしまいましたよね。
もう二度と同じことが起こらないといいなって、本当に思います(・ัω・ั)
編集済
あの時、私は既に退官しており、仲間たちの報告を聞いて悔しさがこみ上げてきました。
現役であったなら、と歯がゆい思いをしたことを覚えています。
仲間の中には実家どころか津波で親類縁者が全て流されたにもかかわらず涙を呑んで出動し、救助活動に尽力した者もおりました。
それなのに、自分は何をしているのだろうと自責の念に苛まれる私に、補給で帰還した仲間は、オッサンの分まで頑張ってくるよ、と言って慌ただしく被災地に帰っていきました。
せめて寿司でもおごろうと思ったのですが、オッサンの手料理でいいと断られ、彼らに何かができたわけでもありません。
遺体回収で心も体も傷ついていた彼らにしてあげられることがあったのではないかと今でも思うことがあります。
作者からの返信
岳大さんが以前どこかのページで、同じことをおっしゃっておられたのを、わたし覚えてます。
なにも出来なくても、それでもいいと、わたし思うんですよ。
出来ることあるはずだけど、出来なかったのは、きっとみんな一緒だったはずです。
ご友人の方たちだって、程度に差はあれ、どこかで同じ気持ちを抱いていたのではと、わたしは想像してしまいます。
本当に辛かったですよね。
時間が薬になって、岳大さんももう少しだけ、持ってるものが軽くなるといいなって思います(*´ω`*)
あの日、わたしはどうやって地震に気づいたのかは覚えていませんね。とてつもない地震があったこと、やがて海岸線を津波が襲うニュース映像を見て「途方もない数の人が死んでしまう」と身体が震えたのを覚えてます。
ヘリコプターからの中継映像は衝撃的で、実況するリポーターが「壊滅です」と伝えてきた言葉にショックを受けました。あのときは、なんて残酷な言葉なんだろうと、死んでいった人を思って生きていることの罪のようなものを感じましたね。
作者からの返信
「途方もない数の人が死んでしまう」。
わたしも同じことを思いました。
怖かったですよね。少なくともわたしは怖かったです。
でもわたしは10年経って今、藤光さんが「罪」を当時と同じようには感じていないといいなって、思っています(*´ω`*)
10年ですよね。
ここ大阪でも数年前に大きな地震がありました。
一人暮らしだったので不安だったのを思いだします。
震度6だったのですが、ガスが止まり1週間ほどお風呂に入れない人もありました。
そんな時に銭湯などで無料解放されてるのは嬉しいことでした。
(私のマンションはプロパンだったので問題なく使えました)
津波の映像は悲しくて目を背けたくなりますが、忘れてはいけないですね。
作者からの返信
大阪の地震も覚えてます!!
わたしは妹と友人たちが多く大阪に住んでるので、いの一番に安否確認をしました。
あれからいろんなところで災害が多発しましたね。
日本列島ぼろぼろ……って思ってました。
わたしが住んでるところも、一度店の棚が全部空っぽで途方に暮れたことがあります。
そういうとき当たり前のように助け合うことができるのって、当たり前のことじゃないですよね。
忘れたらいけないなって、わたしも思ってて、だからこそ勝手に出てくるYou Tubeの映像も、ちょっとずつ見ようかなって思ってます(*´ω`*)
あの日は、いろんなことがありましたね。夏緒さん、妊婦さんだったんだ。
うちは、幼稚園だったなー
下の子がおびえて、しょっちゅう
「つなみ、こん?」って聞いてきたのを憶えてます。
作者からの返信
あの一日で全てが変わってしまった人が沢山いましたね。
そうそう、わたし初妊婦だったんですよ〜。
幼稚園なら物心ついてるから、娘ちゃんも息子くんも、怖かったでしょうね。
テレビで一番に復活したのがEテレだった気がします。
子どもの心は大人が守らないといけませんね(*´ω`*)
……はい。
大変な津波でした。そのあとの日常生活の揺り戻しのほうが。
水ぎわに大きな影響がありましたよ。
最近まで、ずっと「地震があったことを忘れよう」としてました。
今ようやく「地震とそのあとのことを忘れずにいよう」と思えるようになりました。
10年かかって、ここまできました。
ありがたいことです。
作者からの返信
そうですよね、それから後が本当に大変だったかと思います。
わたしにとっては、結局「テレビの向こうのこと」でしかなかったのにこんなにショックだったので、そちらにお住まいの方々は、水ぎわさん含めみんな大変でしたね。
時間は薬です、良くも悪くも。
水ぎわさんが今にこにこできてるんなら良かった〜(*´ω`*)
あっ!
お星さま!
ありがとうございます!!
そして近況ノートにまで〜♡
お返事しましたので、確認してもらえると嬉しいでーす•̀.̫•́✧
あの日、私は病院で働いていて、ちょうど遅出業務の休憩でした。
結構大きく揺れたな、みんな大丈夫かな…と思ってたら、夜勤さんがつけていってた?テレビから信じられない映像。
九州なので本当にほとんど被害はなかったのですが。
一人でいられずに休憩室から出たのを覚えています。
それから、その時期にはたくさんいたネット上の友達(どこにすんでいるか知らない)が無事なのか不安で気が気じゃなかったのを覚えています。
被害がなかったからこそそう言えるのかもしれませんが、真実味がないほどの天災でしたね。
明日会えるのは当たり前じゃないって。覚えとかないとですね。
忘れられない方々の傷は想像する以上の事はできないけれど。
作者からの返信
ちえさんおはようございます(*´ω`*)
そうか、ちえさんはお仕事の休憩中だったんですね。
そして九州にお住まいでしたか!
ひとりでいられなかったの分かる気がします。
わたしも、当時はひとりで家にいることが常だったので、翌日から日中でも不安感がありました。
知り合いの安否は気になりますよね。
わたしも今ならこのカクヨムのお友だち全員の心配をすると思います。
明日会えるのは当たり前じゃない。
本当にその通りですよね。
そういう凄く大切なことだけは、忘れないようにしていたいと思います。
コメントありがとうございます♡