サンダルでダッシュ!

古新野 ま~ち

第1話 サンダルで走る人の謎

 山田肇が捻挫をしたのは市中を久々に走ってみると歩道のアスファルトがめくれていることに気付かないで転倒したからだ。ウィルスだろうが出勤せねばならない都合、とくに運動不足を感じさせることはなかったが、妹の純の体育がないため太ったという女子の悩みに付き合った。その結果が捻挫である。


「痛い?」と純は肇の足をさすった。本当は足首を少し角度をずらすだけでも苦痛だが、申し訳なさそうな顔を見ると我慢せざるをえない。


 気にしないでよと妹の頭を撫でた。するとニヤニヤっと笑って肇の捻挫をした方の太股に座って、彼の足を任天堂のゲーム機のように前後左右に傾けたのがとどめの一撃であった。その日は金曜日だったのがせめてもの幸い。整形外科には午後の診療時間にギリギリ間に合った。足首が身体に付いているだけで苦痛という有り様だった。明日の、恋人の鈴音さんとのデートのために、昼に現金を下ろしておいて助かったと胸を撫で下ろした。


 サポーターと処方された湿布の上から履ける靴下は冬用のものしかなく、またサイズに余裕のあるものがハイカットしかなかった。


 半袖の柄シャツにデニムのショートパンツ、そして冬用の毛糸の靴下にハイカット。その姿で恋人の鈴音さんに会わねばならなかった。


 改札前で待っていた鈴音さんは、異様な出で立ちの彼を見て一言「恥ずかしくないの?」と呟いた。


「本当に、走るんじゃなかった」

「まぁ、ハタチを越えたらそうそう走る機会もないんだしいいじゃないかな」

 休業していた彼女のお気に入りの店が再開したため二人の休日に合わせて出掛けることになっていた。本当に、昨日の自分の判断を責めてやりたい。なぜ妹の唐突な提案を断らなかったのか。


「まぁ、肇くんっぽいよ」

 スパイスの効いた野菜カレーを食べる鈴音さんは髪が口に入らぬよう耳にかきあげた。


 彼女と同じものを食べているはずなのに何故ここまで自分からは出ない優美さがあるのかと肇は不思議に思った。彼は既に平らげたカレーの皿を何度もスプーンでこすって舐めるように食べて、ようやく付け合わせの甘煮のサツマイモを一口で頬張る。

「デザートでも頼めば?」

「お金、遣いたくないねんな」

「出すけど?」

「いや、僕が出すよ」


 ちなみに数十分後、この店が現金しか受け付けないことを忘れていたため、結局鈴音さんが支払うことになる。


「ところでさ、肇くんにクイズ。変な人の行動の理由を当てられたら、私が奢ってあげる」

「いやいや、奢らなくていいよ。うちの会社、いちおうボーナス出してくれるみたいだし」

「まぁいいから。じゃあクイズ。私も在宅ワークの影響でなまった身体をほぐすために運動をしていました。肇くんのようにこけることは無かったけど、どうも身体が思うように動かなかったみたい」


 軽やかな嫌味を肇は聞き流した、ふうに振る舞った。


「公園のベンチで少し休んでいると、すごく変な人がいたの。公園をサンダルで走っているおじさん」

 それは、今の自分の格好より変な男だ。肇は下には下がいることに安堵しつつ、それがどうしたのかと言った。

「では問題。なんでその人はサンダルで走ってたのでしょうか? 制限時間は、そうやな。私が食べ終わるまで」

 彼女の皿には、まだ半分ほどカレーが残っていた。


「サンダルっていっても、スポーツサンダルとかなんじゃないの?」

「いや、鼻緒のあるタイプのサンダルだった」

「そのサンダルが健康サンダルだったとか?」

「そうかも知れないけど、答えの本質とは無関係」

 なるほど、と肇は無意識で紙ナプキンで口を拭いた。

「鈴音さんは見ただけで、その人がサンダルで走っている理由がわかったの?」

「すぐかどうかは微妙だけど、見てたら分かったかな」

 微笑みながらサツマイモを食べる。


 肇はサンダルの形状にビーチサンダルを思い浮かべた。普通に走れば靴擦れ間違いなしだろう。

「つまり、そのおじさんは当初、走るつもりが無かったけど走らざるを得なくなった」

「いや、違うよ。そのおじさんは間違いなく、走ることが目的だったね。たしかにスポーツウェアとかは着てなかったけど」


 自分もこの捻挫をしたときの格好はTシャツだったなと肇はさらに頭を悩ませた。

 肇はずっと頭に、サンダルで走り続けるおじさんを思い浮かべている。汗をかいているだろうサンダルのおじさん。躓きそうなサンダルのおじさん。


「なぜ、その人が公園の外周を走っていたのか。運動のためならスニーカーとかでいいはずだよね」

「いいところに目がいったね。そう、なんでおじさんは走っていたの?」

「それは、わかんない」

「考えれば分かるよ。でもね」鈴音さんは肇をからかうように笑った。「時間切れ」

 鈴音さんもカレーを平らげた。


――


「答えはサンダルで走っていたおじさんは、自転車で走っていた。でした」

「いや、ふざけないでよ。全然変な人じゃないじゃん」

「いや、変な人だったよ。サンダルだけ履いて、全裸だったから」

「納得いかないよ。なんで上半身裸って言わなかったんだよ」

「上半身裸とは言ってないけど、服を着ていたとは言ってないよね?」

 ―この女、騙しやがったな……


 肇がレジに向かうと、ようやく現金でしか対応できないことに気がついた。そして財布の中身はすっからかん。

「肇くん、どうせお金ないでしょ」

「……うん」

「平日の手数料がない時間帯しかATMを使わない人って多いんだよね。たぶん、病院のあとに行ってないでしょ?」


 鈴音さんが支払って、店を出た。

 梅雨がようやく終わり、これからはひどく暑くなりそうな7月の空だった。

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