人龍⑮

 ベルゼは困惑したまま口を開く。


「ま、まぁ……お前がそれでいいのであれば、私から文句を言うつもりはないが」

「……それで、何の話だ」


 馬車の外から吹く夜風が頰に触れる。嫌な静かさに眉を挟めて、ゆっくりとニエのお腹から顔を離す。


 俺がここにいるとベルゼは馬車を開けたままにするだろう。夜風でニエが身体を冷やしてはいけないと思って外に出る。


 ベルゼはゆっくりと俺の方を見つめる。死の匂いのする狂った男は、その雰囲気だけで俺を威圧する。


「まず第一に、俺を許してほしい」

「……はあ? 一体何を……」

「俺は、十年後を生きることが出来ない。エルフやらの長命種ではないからな。保ってあと五年。おおよそ三年以内にはいなくなる命だ」


 ベルゼはボロボロの身体を木にもたれかけさせて、ふぅーと息を吐き出した。


「お前に純粋な強さで負けるようになるのは、お前の傷が治るまでの数日ってところだ。いや……違うな、俺の愚息や王女、あるいはエルフとよく分からない村娘、そのどれもがおらず、お前一人で俺と戦っていれば……俺は負けていただろう」

「……足を引っ張られたとは思っていない」

「どう思おうが、それが事実だ。老いた俺ではどうしようもない現実がある」


 事実かどうかなど、こんな奴に分かってたまるか。魔物などが平気で出てくる未開の地をひとりで平気で歩くような、怪我の一つでもすれば治療が出来ずに死ぬような場所で戦い出すような奴に、臆病な俺のことが分かるはずもない。


「龍が歩くのに、地を這う虫を気にしていられるか?」


 俺を嘲るようなベルゼの言葉。


「……俺は戦えない」


 それに返すのは嫌味でも反論でもなく、ただの事実だった。

 少し眉を上げるベルゼにもう一度言う。


「俺は戦えない。俺は弱く、そのうえ臆病だ」


 俺の言葉にベルゼは怪訝そうな表情を浮かべる。


「この俺、【人龍】とまで呼ばれた俺を追い詰め、それどころか本物の龍まで殺しておいてか? 知っているか、龍は人が殺すことが出来ない。実際に殺したというのは、偉業の捏造でしかない」

「……許してくれと言っておいて、随分と饒舌だな」

「行動と言論の違いはお前も同じだろう。臆病で戦えないと言いつつ、実際はどんな英雄よりも偉業を成している」


 ああ言えばこういう……不快には思うが、ミルナ達に怪我をさせずにいるのは事実だ。本心なのだろうと見て取れる。


「……おべんちゃらはいい。何がしたいんだ、お前は」


 俺がそう言うと、ベルゼは俺を見て口を開く。


「お前が欲しい。俺にはお前がいる。俺がいくら強かろうとあと数年の命だ。跡継ぎがいる」

「……傭兵は」

「あれはダメだ。足りていない。俺の部下達の中にも俺を継げるものはいない。このままだと適当な奴に任せることになっていた。そこに湧いたのがお前だ」


 勧誘……何となく察してはいたが、本気で殺されかけた後に、友人の家族を皆殺しにしようとしている奴に言われると非常に気分が悪い。


 だが……俺は負けた。

 ここから反撃しようとしても勝てる見込みは薄く、俺やミルナはもちろんとして他の三人まで殺されるだろう。


 ニエの温もりの残る頬に触れる。


「……俺は俺が死んでも構わない。だが、お前は俺が死ぬと困る」

「そうだな。だが殺されるぐらいなら殺すぞ。あと三年あればまだ出来ることはある」

「……妥協点を探そう。お前は俺にどこまでなら支払える」


 ミルナを殺すと言われたら、頷くフリをして隙を突いて四人を逃してひとりでベルゼと戦う。……大丈夫だ。やれる。

 人間は明らかに龍よりも弱く、弱点も分かりやすい。


 俺は心を構えながらベルゼの動向を見つめ、ベルゼは「ふむ」と口にしながら口元に手を置く。


「……俺の後を継いでもらうという関係上、何を支払うも何もないのだが。言ってしまえば、俺の金もコネも、土地や本や武具に宝飾、全てと言えるが……それはこちらが押し付けたいものであり、支払うものとは言い難いか」


 それから思いついたように口を開く。


「ああ、ならばあれがある」

「……あれ?」


 俺が警戒しながらベルゼに問うと、ベルゼはニンマリと品のない笑みを浮かべる。


「この国だ」


 思わず呆気に取られ、ベルゼのシワと傷の刻まれた顔を見る。


「この国とお前の交換だ。あの王女も、その家族の王族共も見逃してやる。その代わり、お前には俺の後を継いでもらう」

「……は、はぁ?」

「知っているだろう。俺はこの国を盗ろうとして、事実上としてはもうそれには成功している。だが、お前が手に入るのならば、国を返そう。もちろん、多少の手のものは入れさせてもらうがな」


 つまり……ミルナ本人も、その親兄弟も助かる…….ということか。

 国がどうこうは分からないが……友人の身を守るのが目的だった以上、これより上はないほどの譲歩だ。


「……もう処刑されている。あるいは止める前に殺される可能性は?」

「ないな。俺がいないところでの処刑はありえない。そもそも、王と第一王子以外はしばらくは軟禁する予定だった。血が必要になるかもしれないから、ほんの五十年ほど」

「……つまり、ゴタゴタに巻き込まれて死んでいたとしても、まだまだミルナの家族は残っているか……。断ることはないか」


 国をくれるなんて突拍子もない話だが……だが、断ってコイツを討ち倒すのよりもよほど都合がいい。


「……こんなに高く評価されるとはな」

「かなり値切ったつもりだったが」

「じゃあ、オマケとしてニエとシロマの保護……というか、近くには置かせてもらうぞ」

「王女はいいのか?」


 ベルゼが俺から目を逸らしながら尋ね、俺はゆっくりと頷く。


「……ミルナは俺の近くにいるべきじゃない。アイツは……」


 俺がそう話していると、背後で地面を蹴る音が聞こえた。急いで振り返ると、夜の闇の中に消えていこうとする背中が見えた。


「追わなくていいのか?」

「っ! 追うに決まってんだろ!」


 血が足りないこともあって一瞬ボサッとしてしまったが、急いで足音の方に走る。


「ミルナっ! 待てっ!」

「や、やだっ! だ、だって、私は一緒にいて欲しくないんでしょ!? ニエとシロマは条件に付けるのにっ! 私は一緒にいたくないって!」

「一緒にいたくないとは言ってないだろ!」


 夜の草むら、月明かりしかなくほとんど何も見えない中、必死に追いかけるが貧血と足場の悪さと暗さでマトモに走れない。


「うるさいっ! どうせニエの方が好きな癖にっ! ロリコン! 変態っ!」

「ニエは好きだよっ! 悪いかっ! そりゃあんなに可愛くて優しい女の子にアプローチされたらデレデレにもなるだろ!」

「ろ、ロリコン!!」

「ロリコンで悪いか!!」


 ゼーハーと息切れをしながらミルナに追いついて肩を掴む。

 かなりの距離を走ったが……なんとか追いつけた。こっちは死にかけてるのに、こんなに走らせやがって……。


「ニエのことは好きだ。もうどうしようもなく愛してる。だからって、お前のことがどうでもいいわけじゃねえよ! ハッキリ言って、俺はな! ニエと結婚してキスしたりエロいことしたりを毎日したいと思ってるのは確かだ!」


 頭に酸素が足りなくなって、フラフラとして何を自分が話しているかも理解出来ていないが叫ぶように話していく。


「けど、そういうことが出来るチャンスを捨てて、お前を守るために死地にいるんだよ! どうでもいいわけがないだろっ!」

「わ、私のことが好きなの?」

「正直、恋愛的な目では見てない。悪い! ニエと出会ったのもすぐ最近で、ベタ惚れしてるんだぞ。ニエからも結構グイグイきてるし、他の女のことを考えられる時期じゃないだろ。けど、俺も男だからおっぱいでかいなとか、脚がエロいなぐらいは思ってる」

「え、ええ……いや、う、うーん、嬉しいような、嫌なような……」

「そりゃ、お前達が言ってるみたいに三人が嫁になって侍らせるみたいなのに興味がないわけじゃないし、鼻の下を伸ばして大喜びしたいって気持ちもあるが、そんなこと無理だろ。現実的に、ミルナはミルナの人生がある。今から城に帰らず、どうするんだよ。全部ほっぽり出して俺に着いてくるのか?」

「そ、それは、カバネが決めれるでしょ! 国を乗っ取った人と交渉してっ! シロマとかニエみたいに!」

「決めれるか! 一国のことなんか知らねえよ! 俺が助けたかったのはただの友人であって、そんな大きな話を突然振られて「あっ、じゃあ僕のお嫁さんにもらいまーす」なんて言えるわけねえだろ! 使命を果たしたいなら果たせ! 俺のものになりたいなら来い! 俺に決めさせるな!」


 はぁはぁと息を切らせながら地面に座り込む。

 空気が足りなさすぎて頭が痛い。

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神龍殺しの転生者。生贄の少女のために龍を殺したら勝手に救世主にされた件〜地位も名誉もハーレムもいらないんだが〜 ウサギ様 @bokukkozuki

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