人龍⑭

 多少の怪我はさせられている。

 あの歳の老人だったら斬り傷は致命傷だろう。回復力の低い老人だったら治療しようと治り切らずに死ぬだろう怪我だ。


 だがそれは……この瞬間、戦闘不能になるものではなかったらしい。

 狂ったように笑みを浮かべるベルゼと向かい合う。


 ベルゼの剣と俺の戦斧がぶつかり合う。そして再び感じる……先程と同じ、嫌な死の気配。

 唇が薄く動く。


 ──【連なる戦さ場の暦】


 異なる武器による連撃という、通常ではあり得ない技。武器を握って振るって離し、別の武器を握って振るってと繰り返すのなど、普通に考えて無駄が多すぎる。

 剣だったら剣を握りっぱなしだった方が握ったり離したりだのの動きがなくて速い。


 けれどもベルゼのその技は、剣を連続で振るったのと同等の速さだ。振るわれる速度は同じでも、コンマ一秒毎に別の武器を防ぐなんてことは人間に出来るはずはなく、実質的に放たれた瞬間に防御不能な連撃となる。


 だから……そんな技、使わない理由がない。

 腰を落とす、指先をベルゼと同じような形にして、同じ呼吸をする。


 ベルゼが目を見開く。


「待て小僧……その技は……!」


 ──【連なる戦さ場の暦】


 それはいわば武器によるジャグリングだ。腰の動きと膝や膝で武器を浮かし、指先で投げるようにして振るい、相手がそれを防いでいる間に別の武器を振るう。


 曲芸じみた異様な技だが、真似は可能だ。

 ベルゼが浮かした剣を掴んで振るう。ベルゼが浮かしていた槍でそれを防ぐが、まだ空中に浮いている他の武器を掴んでベルゼに突き刺す。

 ベルゼの攻撃も俺に突き刺さるが、構う必要はない。


 同じ技による命の削り合い。血が飛び、肉が穿たれ、骨が砕かれる。

 全ての武器が地面に落ちたとき、立っていたのは、ベルゼだった。


「は、はは、素晴らしいな。こんなに怪我を負ったのは、何年、何十年ぶりか。己の血の味など忘れていた」


 くそ、届かない。だが…….だが、それでも、これだけの怪我を与えていれば、ニエ達が逃げることは出来るはずだ。


 再び、かつんとベルゼの頭に投石が当たる。


「そ、その人から、離れてください」

「はは、無理な相談だろう。放っておいて再び立ち上がられれば、今度こそ負けるかもしれない。そうすると人が救えないだろう」


 ベルゼはダガーナイフを持ち俺の首に突き刺さそうとする。ニエの突進が間に合うはずもなく、そのまま冷たい刃が俺の首に当たる。


 その時、風が吹いて一枚の紙が俺の身体にぶつかって、血に引っ付いて止まった。

 俺を殺そうとしていたベルゼの手が止まる。


「……これ、は。魔物の特徴? ……こんな詳細に? 誰が、これを……」


 それは、俺もシロマが書いていた魔物の研究文書だった。それに見惚れていたベルゼにニエの突進が当たり、ベルゼを倒すこともなくニエだけが地面に転がる。

 ニエはすぐに立ち上がり、俺の前に立ち塞がった。


「カバネさんを殺すなら、生贄の私を先に殺してください!」


 無茶をするな。そう言いたいが、既にどこも動かなくなっていた。

 そんな俺を見下ろしたまま、ベルゼは口を開く。


「……ああ、なるほど。そうか、そういうことか。お前が【龍殺し】なのか。なるほど、なるほど、魔物の特徴を知ることで龍を殺したのか! 素晴らしい! 素晴らしいぞ!!」


 ベルゼは子供のようにはしゃぎ回る。


「そうか! こんなにいい日があろうか! 神の恵みだ! カバネと言ったな! 手を貸せ! 世界を共に救おうではないか!」

「ふ、ざけん……なっ!」

「ふざけてなどいないさ、ああ、そうだな。そうだ。そこの王女を見逃せばいいのか? それと交換でどうだろう!」

「……は、はあ?」

「何、お前の力が借りられるのなら、王女を見逃しても山ほどの釣りがくる。このまま殺すのはあまりに勿体ない!」

「つまり……ミルナを人質に、お前に従え……と、言いたいのか」


 ベルゼは首を傾げる。


「ん? そういうつもりはないが、ああ、そういうことになるのかな?」


 頭が酷く混乱する。だが、一つ分かる。

 傭兵が以前言っていたように、ベルゼは悪人ではないのだろう。狂人だ。どうしようもなく狂った考え方をしている。


 だが、ここで頷かなければ……ミルナは当然として、他の三人の命もないだろう。


「……約束だ。この場の全員を……生かせ」


 俺はそう言って、その場で気を失った。



 ◇◆◇◆◇◆◇


 ガタリ、と、馬車の揺れで目が覚める。強い血の臭いが鼻にこびりついていて、全身に痛みと倦怠感を覚えながら、手探りで周りを探る。


「……ニエ」


 瞼が重たい、無理矢理に開けて視線を動かす。


「ニエは、いるか。ニエは……ニエ……」


 俺の手が小さな手に握られる。ホッと息を吐き出して、強張っていた全身から力が抜け落ちる。


「いますよ。ここにいます。カバネさん」

「……よかった」


 血が足りないせいか、頭が上手く働かない。

 ニエが近くにいてくれる安心感を覚えながら、何があったのかを思い出す。


「っ! ミルナと傭兵は!」

「無事ですよ。シロマさんも、全員」

「そうか……よかった。……この首飾り、傭兵の首にかけてやってくれないか。俺は大丈夫だから」


 治癒効果のある魔法の道具だ。


「……カバネさんの怪我の方が酷いですから」

「……いいから、頼む」

「傭兵さんは魔力を使い切ったそうなので、しばらくはそれをつけても意味がないらしいです」

「……そうか。悪い」

「……いえ、喉渇きますよね。ちょっと待っていてくださいね」


 ニエにスプーンで水を飲ませてもらう。気管に入らないようにか、少しずつゆっくりと水が喉奥に入れられる。

 眠いしダルい。丁寧なニエの看病に感謝を覚えながら横に目を向けると、座っている傭兵の姿が見えた。


「……なんだ、元気そうだな」

「お前もな。逃げろって言ったのに聞きもしねえ」

「……ベルゼは?」

「外にいる。……今回は、今回も……お前のおかげで命拾いしたな」


 ああ、結局……負けたのだったな。

 ……どうするべきだったのか、答えが出ない。ミルナが俺の方を心配そうに見ているのが分かった。


 御者台の方からシロマの声が聞こえる。


「……寝たらいい。もう少し、ゆっくりと寝て、それから考えようじゃないか」

「……ああ」


 俺が再び目を閉じると、ニエの声が聞こえる。


「あ、痛いところとかないですか? えっと、あと、何かしんどいこととかあれば……」

「……それはいい。……手を、握っていてくれないか? 目が覚めた時に、ニエがいないと怖いんだ」

「はい。もちろんです」


 グッタリとした身体が再び眠りにつく。


 ◇◆◇◆◇◆◇


 浅い眠りを続け、目が覚めるとニエと繋いでいた手が手汗で濡れていた。

 いつの間にか夜になっていて、周りはみんな寝静まっていた。


 気怠い頭を上げながら、ふうっと息を吐き出す。血が足りないが、休んだおかげか、魔道具のおかげか少しは楽になった。


 それから繋いでいる手を見て……頭がサッと冴える。


「……やらかした」


 また、やらかした。龍の時と同じく、情けなくニエに甘えてしまった。しかもそれを他の奴もいる状況で……。

 格好悪い。格好悪い。ダサい。死んでしまいたい。


 隣に寝ているニエの腹に顔を埋める。いい匂いがする、落ち着く。

 ……強すぎる恥に泣きそうになっていると、馬車が開けられて、夜風が俺の頬を撫でた。


「起きたか、小僧」

「ッ……ベルゼ!」

「今後の話をしたい。少しいいか?」

「……ああ、構わない」


 俺がそう言うと、ベルゼは馬車の外で立ったまま、困惑したような表情を俺に見せる。


「えっ……お前、その体勢のまま話をするのか……?」


 ニエの腹に顔を埋めたままだった。いい匂いがする。

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