人龍⑬

 シロマとミルナを無理矢理引っ張って走る。

 ニエなら無理に引っ張らなくても付いてきてくれるはずだと思ったからだ。


 けれど後ろに足音はない。振り返るとニエは俺を見つめていた。


「……カバネさん。ミルナさんとシロマさんは離して、二人で逃げてもらいましょう」

「何言っているんだ! ニエも!」

「……「俺達も」ではなく「ニエも」なんですよ。カバネさんは」


 ニエの背後に沢山の氷壁が生まれ、それが破壊されていく音が聞こえる。

 今にも傭兵が負けて、倒され、殺されるかもしれないという状況。耐えられるはずがない。


「ニエ!」


 俺の叫びと共に、人の骨が折れる鈍い音が響いた。とっくに商人は逃げ出していて、戦いの最中だというのにほんの少しの静寂が生まれる。


「助けたいと、思っているんでしょう」


 当たり前だ。そう叫びそうな喉を必死に抑える。


「ニエ、俺に「諦めろ」と言ってくれ。「傲慢になるな」「身の程を知れ」と」


 俺はニエに救いを求めるようにそう言った。

 今にも飛び出してしまいそうな身体。

 頭に血が上っていて、勝ち目がなくとも突っ込んでいってしまいたい。

 だがそうすると、ニエやミルナ達まで巻き込んでしまう。


 今の俺は、冷静じゃない。冷静になれていない。

 短刀を握りしめる手が嫌に熱い。まるで俺が殺した龍が次の贄を求めるかのように、俺の怒りに反応し、赤黒い火炎を纏っていく。


 ニエは小さく言う。こんな、戦場だと言うのに、普段の気弱さを感じさせないしっかりとした意志を持つ声で。


「『諦めましょう』『全てを救えるなんて傲慢です』『大した人じゃないんですから』」


 ニエの言葉を聞いても、それでも俺の目はベルゼ・フライブを見て離さない。


「……そんな言葉、何度言おうと、何を言おうと変わりません」


 ニエは続ける。


「どうせ、諦められないんですから、やる、やらない、なんて決まりきったことを考えないでいいんです。どうやるか、ですよ」


 ニエはとてとてと俺の方に歩き、小さな頭をトンと俺の胸に当てる。


「……負けたときは、一緒に死んであげます。私はカバネさんのニエですから」

「……俺は、お前を……守りたくて」

「はい。守ってください」


 俺の葛藤を、簡単に断ち切るその言葉。

 あまりにも女々しく情けない俺に対して、あっかからんとした格好よさ。


「行ってくる。ミルナとシロマは、逃げてくれ」

「いや、僕は逃げる気はないよ。まったく、まだ手はあるというのに。せっかちな」

「……私は、あの人まで、失いたくはない」


 ……逃げるつもりだったの、俺だけかよ。

 俺という奴は……いつもしょうもなく、情けない。


 フッ、と息を吐き出す。もう一度だ、もう一度……龍殺しをやってやろう。


 何かを切ってもいないのに燃え盛る短刀を握り、再びベルゼへと立ち向かう。

 短い時間の間に傭兵はボロボロに負けており、全身から夥しい量の出血をしていた。


「……カバ、ネ……お前……ミルナは……」

「ミルナも、同じ気持ちだってよ」


 傭兵の姿はあまりに異様な傷で溢れていた。切り傷、裂傷、打撲痕、全身が違う武具によって攻撃された痕がある。

 ひとりの人間が付けた傷とは到底思えない。だが、それは間違いなく、ベルゼ一人によってなされたものだ。


 パッと見ただけでも二十を超える武器を十全に扱う。今も片手に槍、片手に戦斧と、異様な姿で立っている。


 失敗した。結局立ち向かうなら、同時にかかった方が勝率は高かった筈だ。


「ふん。まぁ逃げない方が手間が省けていい」


 俺は真横に短刀を振るう。一瞬だけ短刀の火炎が空気を焦がし、その光で俺の姿を隠す。その一瞬で、俺は武闘大会のために練習をしていた「世界最強」が使っていた技を放つ。


 身体を深く沈め、陰に潜むようにして走ることで、真正面から相手の視界外に逃れる。

 俺の技の練度と、単純な体の大きさによって世界最強の少女とは比べられないほどの出来だろうが、その分、炎による目眩しがある。


 勝負は一瞬。二度目が通じるような技じゃない。

 俺がベルゼの懐に潜り込み、その短刀を振り上げた瞬間……ベルゼが驚愕の表情を浮かべた。


 驚愕の表情を浮かべるということは……見えているということに他ならない。

 短刀が剣に受け止められる。一瞬の絶望感、それを無理矢理斬り払うように短刀を振り切った。


 ベルゼは剣で防いだのはいいが、それでも不意を付けていたことは間違いがないらしく、体勢を大きく崩している。


 畳み掛けろ! 爆発させるように息を吐き出し、ベルゼの剣を弾き飛ばす。

 折れた腕でベルゼの顔面を殴り、その一瞬でもう一度短刀を振って槍で受け止められるがその柄を一瞬で焼き斬る。


 倒れそうな身体をベルゼに体当たりでぶつけることで転けずに耐えて、髭面に何度も繰り返し頭突きを行う。


「ッ──ツ!」


 ベルゼの蹴りが俺の腹に突き刺さり、無理矢理俺の身体を後ろへと吹き飛ばした。


「【浸食し】【渦巻け】【えぐり取り】【奪え】! 【水渦の浸食】!」


 ベルゼの立っていた足元が、突如発生したアリ地獄のようなものに囚われて沈み込む。

 もう一度だ。足場を崩しているベルゼに向かって短刀を振るおうとした瞬間、嫌な気配を感じて短刀を強く握り込んだ。


「──ああ、やはり人間は救わなければならない」


 老人のしゃがれた声が俺の耳に届く。

 それと同時に剣が俺の短刀にぶつかる。防いだ、そう思った瞬間、戦斧が上から振り下ろされ、意識さえせずに直感で躱せたかと思うと、槍が俺の腹を掠める。


 異なる武器種による、超高速連撃──


 視界に数多の武器が映る。まるで百人が一斉に襲いかかってきたかのような、異様な光景だった。


 ──【連なる戦さ場の暦】


 老人の唇が小さく、その技名を呟いた。

 剣、戦斧、槍、メイス、ハルバード、大鎌、太刀、小刀、大剣……数多の武器による連撃に、俺の身体は斬り裂かれ、潰され、引き裂かれる。


「カバネ!」


 ミルナの声が響く。立ち上がらなければ、勝たなければ……。そう考えても、脚が動くことはない。


 コツン、と、ベルゼの頭に小さな石が当たる。はは、またか……また、ニエは戦おうとしている。


 俺はベルゼの脚を掴む。脚が動かなかろうと、腕で這いつくばって戦おう。腕が斬られたら噛み付いてやる。


 戦え。

 ニエの投石で一瞬だけ気の逸れたベルゼの脚を力尽くで引っ張る。その瞬間、シロマの魔法で再び足元が崩れてベルゼが勢いよく倒れる。


 その隙に満身創痍の傭兵がベルゼへと剣を振るい、ベルゼは横に転がってそれを避けるが、完全には避けきれずに身体が深く斬り裂かれる。


「ああ、やはり、やはり、やはり、人間というものは素晴らしい。愛おしい。どんなものよりも価値がある」


 まだ、勝てないのか。最後の力を振り絞った傭兵はバタリとその場に倒れる。

 俺はネックレスの力か、あるいは致命傷慣れをしているからか、死にかけの身体を無理矢理に立ち上がらせる。


「だからこそ、多くの人を救うためにはやらねばならないことがある!」


 短刀はいつの間にか手から離れている。だが、辺りにはベルゼの【連なる戦さ場の暦】によって散った武器が散乱していて、それを拾うことが出来る。


 近くにあった戦斧を握り、構えた。こんなところで、大切な人達を殺されて堪るか。

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