人龍⑫

 ガタガタと馬車が揺れながら、商人の男は安心したように声を出す。


「ああ、学者先生でしたか。いやぁ、驚きましたよ。てっきり邪教の集団が新鮮な供物を探していたのかと」

「ふむ、まぁ僕達が少々、ちょっとばかり怪しい集団なのは否定しないよ」


 生贄っぽい格好の少女が馬車の中にいるしな。

 まさか王女様とその御一行です。などと正直に言えるはずもなく、一番身元がハッキリとしているシロマの研究のための旅行ということになった。


「エルフの研究者ですか。すごいですね」

「そう褒めるな。ふへへ。こちらの無愛想なのは僕の共同研究者のカバネ、雇っている傭兵兼御者と、僕の研究に興味がある出資者のミルナ……それと……」


 シロマはニエのところで詰まる。

 そりゃそうだ。生贄っぽい格好の少女をなんて説明すればいいというのだ。


「ニエちゃんだ」


 シロマは力尽くで押し通そうとした。


「そ、そうですか」


 王女や異世界人よりも紹介しにくい普通の村娘ってなんだ。

 紹介が終わった後、シロマと二人で魔物の歯形の絵を描きながら魔物の特徴を記していく。


「ふむ……なかなか上々じゃないか。これを集めていったら図鑑として成り立ちそうじゃないか?」

「どうだろうな。推測が多いから、個人的な研究ならまだしも人に見せる分には不向きだろ」


 やるならもっと腰を据えて、それこそ大学機関のような場所で……。

 と、考えていたところで、俺にも分かるような血の匂いが馬車の中に入り込む。


「……これは?」


 傭兵が馬を止めて降りたのを見て、俺も馬車から降りる。

 地面に広がる数多の魔物や動物の死骸に、思わず息を飲んだ。


 その死体を後を見た傭兵は「人が殺した跡だな」と呟く。

 確かに見てみればそれは切り裂かれた跡が多く、獣や自然死ではこうはならないだろうと思わせた。


「……それにしても多すぎるというか、群れを作りそうもない奴が多いな。なぁカバネ」

「そうだな。こんなに密集してというのも……。一度に襲われたんじゃなく、ずっとここに立っていて近くにきたやつを殺したという感じだな」


 狩りとしては非効率……というか、そもそも獲物の回収をしていない。考えられるのは……。


「……待ち伏せ?」


 と俺が呟いた瞬間のことだった。

 トン、トン、と道を靴が蹴る音が聞こえる。血の匂いが一層に強まる。

 血を煮詰めたような臭気とすら言える、鼻が曲がるような臭い。


 突然、俺を庇うように傭兵の背が俺の前に来る。

 一体……何が、と思って前を見ると剣や槍、戦斧やメイス、ハルバード、ナタ、大剣、大鎌と……あまりにも多くの武器を背負った老人が立っていることに気がつく。


「……傭兵、一体どうした?」


 俺の言葉は傭兵には届かなかったのか、傭兵は一切の反応を俺に返さず、腰の剣に手をかける。


「一体……何故、何故ここにいる!! 【人龍】ベルゼ・フライブ!!」


 老人は蓄えた白髭を撫で、一歩また一歩と俺達に近づく。その度に血を濃くしたような悪臭が増していく。

 死の臭い、とでも言いたくなるそれが老人から発せられているものだと理解する。


 隣にいるシロマの身体がガタガタと震え、白い顔を青くしていく。


「ふん、知れたことだろう。俺の行く道はただの一つしかありはしない。ただ一人でも多く、ただ一人でも欠けぬよう……人を救う」


 龍と変わらない、異様なプレッシャー。思わずシロマを庇うように前に出て、短刀に力を込める。


「人を救う。人を救う。そして人を救う。俺がそれ以外のことをしたことがあるか? この呼吸ひとつ、拍動ひとつ、そのすべてがあらゆる人類の奴隷たる俺の使命よ」

「……狂人が。その救済をほっぽらかして、こんな辺境まで……」

「ふん、この国を乗っ取るのなど、俺が出る必要があることか? 俺には俺が為すべきことがあるというだけよ」


 ミルナを守る。短刀を強く握り込み、次の一瞬で老人を倒せるように脚に力を込める。

 まだ敵対していないが、敵対する兆候を見た瞬間に切れ。手加減はするな。

 アレは人間と思うな。

 傭兵は語っていただろう。あの男、ベルゼ・フライブのことを。

【救国の専門家】

【人類の危機皆勤賞】

【最も英雄譚の多い男】

【語り部が一つ語る度に二つの偉業を成す】

 それが嘘ではない、騙りではない、誇張ではないと、確信させる異様なプレッシャー。


 心臓がバクリバクリとなるが、次第に落ち着いてくる。決意をすれば、落ち着ける。

 守るべきはミルナで、あの老人がミルナを狙っていたとしたら……立ち向かう。それだけだ。シンプルでいい。


「……為すべきこと?」

「ああ、龍殺しがいると聞いた。俺の手勢にほしい。あるいは使えそうなら組織を継がせる」


 ……俺? いや、魔物と事を構えるつもりだったのなら、あり得ない話でもないか。

 こんな状況で直々にスカウトなど……と思うが、真意など知れるはずもない。


 老人、ベルゼの目がこちらに向く。


「……ところで、ドラグ。この小僧は先程お前を「傭兵」と呼んだな? 何故身分を騙っている。……いや、いい。答える必要はない」

「ジジイ、お前……っ!」

「そこの馬車か。まぁ、物のついでだ、見つけたものは処理しておくのが早いか」


 俺と傭兵が同時に飛び出す。傭兵が真っ直ぐ向かったのを見て、一歩横に跳ねて別の角度から傭兵の攻撃に合わせて短刀を振るう。


 首を狙った容赦のひとつもない突き。それは殺意からではなく、この脅威を一瞬でも早くに消すためのものだった。俺の短刀が槍の柄に阻まれ、傭兵の肩が槍に貫かれる。


 あまりの早技に呆気に取られるが、傭兵はそれを予知していたかのように自身の肩を貫いた槍を握り、抜けないように動く。


 勝機だ。傭兵が足止めをしている間に短刀を振るい上げて槍を発火させてベルゼの肩を燃やす。

 少し目を開いた老人は槍から手を離し、俺の短刀による乱撃を紙一重で避けながら大剣を振るう。


 俺を狙った大剣を傭兵が剣で受け止め、俺はその一瞬で傭兵とベルゼの間に入り、大剣の間合いの内側から短刀を振るうが、いつの間にベルゼの口に加えられていたダガーナイフに受け止められる。


「ッ──!」


 化物だ。どんな反射神経をしていれば、どんな読みをしていれば、どんな訓練をしていれば、そんな無理な防御が成り立つ。


 俺の渾身の振りはベルゼの首の力だけに抑えられ、足元を蹴られたことで地面を転ぶ。

 転がりながら短刀を振ろうとしたが、手首が踏まれ、バキリと嫌な音を鳴らした。


「ッ!」


 瞬時に逆の腕で短刀を拾って振るうが、ベルゼがその場で飛び跳ねたことで空を切る。


「【渦巻け】【渦巻け】【渦巻け】【飛んで】【加速し】【穿ち】【貫け】!! 【水渦の槍】!!」


 ベルゼが身動きの出来ない空中にいた瞬間を突いたシロマの魔法。だがベルゼが大剣を盾にするように防ぐ。

 それでも、空中で踏ん張ることが出来なかったせいか、ベルゼは魔法の威力に押されて爆ぜるように後ろに飛んだ。


 やったか。などと、考える必要はなかった。ベルゼは吹き飛ばされた空中で体勢を立て直し、何のこともなかったかのように着地し、ゆっくりとこちらに歩みを進める。


 一連のやり取りで、俺の右手と傭兵の左肩が負傷。三対一で尚、手傷のひとつさえ負わせられていなかった。


 化物だ。と、思った俺の耳にベルゼの声が響く。


「ふむ……強いな。強い。ドラグもそうだが、そこの小僧も生半ではなく、エルフの小娘も成人したエルフよりもよく魔法を磨いている」


 純粋に評価するような言葉。それは……ベルゼにとって、俺達は評価するような相手であり、敵でさえないというようなものだ。


 傭兵が俺に言う。


「……逃げろ。俺が足止めをする」


 以前とは逆の状況。ああ、そうするのが一番なのだろうと理解する。だから俺は踵を返し、シロマを無理矢理引っ張って馬車の方へと走った。

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