おきて①

おきて①

泣いた。その死を目の前にして、私は泣いた。大型車に轢かれて、頭がぐちゃぐちゃになる彼女の姿を、私は見ている。心臓が、爆発しそうだった。


うちと彼女は付き合っていた。出会ったのは、親が謝りに行くと学校について行った時だった。最初は、姉貴が行ってる高校が見たかったのと、たまには外出しようと思ったからだ。けれど親には何度もついてくるなと言われ、そう言われると別に絶対行きたいわけでは無かったがなんとなく自分の意思を曲げたくなくなる。てこでも動かなくなったうちに、親は諦めさせるためだったのか、高校で姉貴が彼女に暴力を振るった。今から謝りに行くという今日の概要を伝えた。正直びっくりしたが、それでも曲げたくなかったうちは、最後に親が折れるまで意見を曲げなかった。

何日も生では浴びていなかった太陽の光が体に当たって少し痛い。ある程度太陽も手加減してくれている夕方の光なのに、高貴ではないけれど青い血の流れる私の肌にはどうもダメなようだった。

ついた高校は、姉貴が言っていたほど素晴らしくもなく、少しガッカリした。なんだ。うちが行ってた中学とそう変わりないじゃん。と、そうぼやいた。すると、前方から首程までにかかる黒い毛をふわふわと跳ねさせながら歩く、眼鏡をかけたねーちゃんと出会った。すると緊張の色をずっと貼り続けていた親が焦る。きっとあの子なのだろう。親はそのねーちゃんに駆け寄り、ごめんなさいと連呼している。いつか頭がアスファルトに直撃しそうな程に誤っていた。泣きながら。さっきまでの静寂が嘘のように煩かった。

親の姿勢が下がっていって、段々ねーちゃんの姿が見えてくる。

殴られたってのに優しい顔…というか困った顔を崩さないままのねーちゃんはとても可愛くて、ころころした優しそうな声、主張の低い柔軟剤の仄かな香り、ずっと見ているうちに、うちは恋をした。初めての恋だった。

そのまま暫く親は謝り続け、その後は疲れたと私を置いて先に帰ってしまった。この恋を逃したくないと体が咄嗟に反応した。

「な!ねーちゃん!」

帰ろうとするねーちゃんに声をかけた。けれど声をかけたのはいいが何も話す話題が無くて、続けて咄嗟に言ってしまった。

「うちの姉貴と何があったんだ?」

そうやって話を聞いた。ねーちゃんが言うに、うちの姉貴が、彼女のことを怒りの矛先にして殴ったらしい。殴ったことは聞いていた。その時からうちが気になっていたのは姉貴が暴力を振るったということだった。うちの姉貴はめっちゃ温厚で、とても他人を殴るなんて思わなかった。それを言うと、今日謝られたのと言っていた。言い訳としては、姉貴はいじめられていたらしく、自殺か何かを考えていた時に、もうどうにでもなれと適当に怒りの矛先として選んだのが彼女だったそうだ。気持ちが昂って、色々な事を考えて、抱えて、そうして何もかんがえられなくなった頭の導き出した答えかもしれない。と彼女は続けてそう言った。

「姉貴、虐められてたのか…」

言葉が洩れた。

「知らなかったの?」

「…うん」

そんな素振りを見せたことさえなかった。むしろ、学校は楽しい所だと不登校の私に語ってくれた。頑張って中学に行こうと私の不登校を直そうとしてくれていた。じゃああれは全部嘘で、空元気だったのかよ。

心の中で姉貴を問い詰める。けれどそれは一旦飲み込もう。姉貴が帰って来たら全部言ってやる。そんな姉貴の今がふと気になった。

「それで、その後姉貴はどうなんだ?」

彼女は不思議そうな顔をしてこう答えた。

「来てないよ」

おかしい。姉貴は確かに毎日制服を着て家を出ている。それをうちは毎日見届けている。

「うち不登校でさ、だから姉貴が毎日制服を着て家を出る姿は見てるんだ」

「なんで不登校に?」

「それは——」

「もしかして虐められてたとか?」

表情から読まれていたようだ。私は首を縦に数回振る。

「そっか。じゃあ仲間だね」

「ねーちゃんも?」

「うん。その殴られた時に先生が来て、その時私があなたのお姉さんを咄嗟に庇ったの。そうしたら、今まで彼女を虐めていた連中が目をつけて、私ならどれだけ虐めても先生に言われたりしないだろうと思われたのか…」

「じゃあ今は?」

「今日も虐められた。酷いよ。プライバシーも人権も全く感じられない。あれは酷い」

「それって、元を正せばうちの姉貴のせいじゃ——」

「違うの」

言葉をねーちゃんは遮る。

「やめてと言えない。助けてと言えない。私が悪いんだよ」

そう続けた。

うちはなんて返せばいいかわからなくなる。

「それと、元々あなたのお姉さんを虐めてて、今私を虐めてる奴らが悪い。そうでしょ?」

「…うん」

少し前半のは頷きにくいけれど、私は一応の反応をする。

「ていうか、なんでおねーちゃんや、うちの姉貴を虐めるんだ?そいつらは」

んーと少し迷った後

「多分、私やあなたのおねーちゃんのことを虐めたいんじゃなくて、何か怒りの吐口が欲しいだけだと思うの。なんだかそんな風に見える」

「サンドバック…みたいな?」

「それが近いかもね」

ねーちゃんは乾いた笑いを2回空に飛ばす。

「どうしたんだ?」

「なんだか馬鹿らしくなっちゃって。そうか…サンドバックだなぁ…」

橙色の空を見てねーちゃんは言う。

「…あのさ」

少し間を置いてねーちゃんは切り出す。

「実はこんなにはなしたのって初めてなの。こんなに虐められていることをしっかり誰かに話したのは」

なんとなく意外だった。友達とかに話したりしないのだろうか。

「友達とかは?」

「いないよ」

…さっきのなんとなくの正体がわかった。このハッキリした物言いというか、喋り慣れている口調のせいた。友達がいなかったり、誰にも話せないようには見えない。

「あ、こんな喋り慣れた口調の人が友達いないわけないだろ!とかおもってるでしょ」

「…うん…年上とはいえ、いきなりタメ語だったし…」

暫く黙っていたら感情を読まれてしまった。

「そっか…私も頑張れば自然に話せるんだな…」

「…うち試されてた?」

恐る恐る聞く。

「言い方悪いけれど、まあそうなるかな」

カンカンカン

踏み切りに足を止められる。

「ねーちゃん」

「ん?」

「今どこに向かってるんだ?」

「普通に私の家だけど…」

ふわりとなんとも言えない風が押しやられてやってくる。

警告音以外の全ての音が遮られ、私たちの会話は一度止まる。

高速で動く壁は再び取り払われ、三回静かになった空にカンカンカンと呼びかけ、遮断機は再び上がる。

「実はうちの家もこの辺なんだ」

止まったまま突然ねーちゃんはこちらを見下ろして動かなくなる。

「ど、どうした?」

「…そういえばずっとタメ語じゃない?」

全然意識していなかった。

「…あ…えと…なんとなく…」

なんだか突然今までの口調が恥ずかしくなってくる。

「あはは!別にタメ口でいいよ。まだ小学生でしょ?」

うちは身長がまわりより背が低くいから、よく小学生と間違えられる。いつも茶化されていたから、ついいつも姉貴とかに言い返す風に言ってしまった。

「もう中学生だ!」

「…ためになったね〜?」

「そっちじゃない!!!」

奇跡的にいつもの姉貴との会話になってしまった。ねーちゃんは本気で間違えてたみたいだったけど。

何故か会話は止まって踏み切りを渡る。

「…ああ。なるほど」

「今?」

11歩くらい歩いたところで気づかれた。

「最近レットカーペットは欠かさず見るようにしてるんだ。そのせいでフレーズに持っていかれて話の流れ度返しで間違えちゃった」

確かに話の流れ的に本気で間違えることはまずない感じだった。

「…と、とりあえず私はこの春でもう中2なの!」

「学校行ってないのに?」

「一応在籍はしてるから…」

「そうだねー」

少しまた沈黙が挟まる。さっきから挟まるこの沈黙が、2人ともが普段喋り相手がいないことを証明するような気がした。

「うちの家、ここだから」

沈黙の間に、うちの家に着いてしまった。

「ほんとに帰り際にあるんだ」

特に抑揚もなく呟くねーちゃん。

「ほんとに真っ直ぐ自分の家にかえってたんだ!?」

ほんとに帰り道が一緒だから勝手に送ってもらっているんじゃないかと考えていたがそうではなかったらしい。

「私の家に着いたら連れ込んでやろうとおもっていたんだけれど」

して当たり前ですよねみたいな声のテンションでこられて非常に困っている…というか…照れている。

「結構普通に誘拐じゃない?それ」

平静をなんとか保って返す。

「言われてみれば…じゃあさ」

こっちに向き直られたので、うちもなんとなく向き合う。

「友達になってください!」

告白するみたいに頭を下げて手だけをこちらに寄越しているねーちゃんの姿に、ドキッとした。心臓のところが、なんか痒くなった。淡い下心を内包した手で、うちは彼女の手を握り返した。

「…あれだあったら、学校帰った時、うちに寄っとけよ。今日みたいにいっぱい愚痴っていいし」

好きな子を家に呼びたい。これは至極当然の要求。マシマシの二郎系下心も一緒にだけれど。

「是非行かせてよ!私も会いたい!」

手を握られたまま、今までの見下ろすのとは全く違う上目づかいの顔。とても、可愛いかった。

顔が赤いのは、久々の外で、日焼けしただけだ。

嘘だけれど。



惜しみつつ別れ、うちは家の鍵をあける。親が先に帰っているはずなのに、部屋は静かだった。結局この夜、親が帰ることはなく、どうしようもない不安感と、孤独、よくわからない恐怖感に襲われたが、私はカップラーメンを勝手に食べて、ねーちゃんがいつも見てるレットカーペットを見て、そのまま寝た。

翌日、帰ってきた親に、姉貴が自殺したことを聞いた。うちは、部屋に篭って、一日中泣いた。


そして、ねーちゃんだけは救いたいと、そう思った。少しだけ恨む気持ちもあったけれど、それでも、今虐められているねーちゃんだけでも救いたいと、そう、思った。

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百合短編集 飯田三一(いいだみい) @kori-omisosiru

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