第11話、過ぎ往く、夏と共に・・・

 和也たちの、高校生活最後の夏休みが過ぎて行った。

 友人と旅行に行った者。 バイトに明け暮れた者。 塾通いだった者・・・

 それはそれで、ひとつの思い出だ。

 今年の和也たちの夏休みは、忙しく、キツイ夏休みであった。

 しかし、それは今までになかった、充実した夏休みでもあった。


 2学期が始まった頃、和也たち3人は、真っ黒に日焼けしていた。 それは、あの防空壕跡の補修整備作業によるもの以外、何物でもない。


 綺麗に補修をし、防水施工を施した防空壕の躯体は、8月の中旬頃、和也たちの手により、再び、土中に帰された。

 浩二の父親のはからいで、工場の敷地を囲う外壁の一部を改装し、壕の地上は、工場の敷地とは一線を画した独立した垣根で囲まれている。 町内会の寄贈による芝も張られ、垣根脇には植え込みも植樹された。

 新しく新設された入り口には、雨の侵入を防ぐ為、簡単な蓋も取り付けられ、電気が引かれた壕内には、電灯も設置された。 普段は消灯され、見学者が自ら点けて入場するようになっている。


 美奈子が苦労して見つけて来たショーケースも、壕内に運び込まれた。 制服・革靴・クシなど、清美の遺品が納められ、壁には、コピーした作業日報や生徒名簿などが、額に入れられて掲示されている。

 清美が横たわっていたと思われる場所には、1畳ほどのスペースの四隅にクイを打ち、ロープで囲んで、立ち入り禁止区域とした。 傍らには、あの竹ボウキが置かれている。


 『 三川町 防空壕跡

  太平洋戦争中、広島市内に、数多く設置されていた防空壕のひとつである。

  平成〇年7月、市内の高校生の手により、埋もれていた壕内から遺骨が発見

  された。

  彼らの手による調査の結果、戦時中に、勤労奉仕に従事していた女子学生と

  判明。

  昭和20年、8月6日の原子爆弾投下による被爆犠牲者である。


  尚、壕内展示の遺品は、半世紀振りに再会を果たした、女子学生の母親の

  寄付により設営された。

  幾多の被爆犠牲者の御霊を代表し、戦争の犠牲となった1人の少女の記録

  を、ここに残す 』


 壕内に入ると、正面の壁に掛けてある案内文の内容である。


 『 昭和20年、8月6日

  広島高等女学校に在籍していた白川 清美( 当時、14歳 )は、この三川町

  防空壕にて、1人で勤労奉仕清掃作業に従事し、原子爆弾の投下により被爆。

  その後、この壕内にて、この世を去る。


  この保存館は、1人の少女が生きた時代を考証し、彼女の直筆の作業日報・

  遺品等の見分と共に、過去の戒めを忘れる事なく、その事実を、後世に伝え

  られる事を祈念するものである 』


 ショーケースの中に納められた清美の制服の横には、こんなメッセージも添えられた。


 保存館の完成直後は、近所の住民たちのみに公開されたが、9月の中旬頃に発行されたガイドマップにこの壕の事が記載されると、訪れる人が徐々に現われ始めた。

 長束の妹を呼び寄せ、清美の母親と共に、壕内の案内と恵宋寺に預けてあった遺骨を返還した際は、地方版の新聞にも取り上げられ、その後、来訪者は急増した。

 二度三度と訪れる人も増え、清美が横たわっていた場所には、常に、誰かが供えていった花が置かれてあるようになり、つい先日、市跡としての認可も下りる事となった。


 9月下旬・・・ 和也たちの、高校生活最後の夏が過ぎようとしていた。


 『 三川町防空壕跡 』という、アルミプレート製の立て看板の上に、赤トンボが羽を休めている。 看板は、浩二の父親が好意で寄贈してくれたもので、小さな電灯も付いており、中々に立派なものだ。

 その脇に立ち、和也は、看板を見つめながら、過ぎ行く夏を振り返っていた。


 すっかり日が傾き、虫の声と共に、時折りそよぐ秋風が心地良い。

 浩二が、献花されていた花を抱えて、壕内から出て来た。

「 和也、済まんかったな。 掃除、手伝ってもろうて 」

「 気にすんな。 ・・お前の方こそ、大変だな。 最近、また見学者が増えたんと違うか? 」

「 まあ、ええこっちゃ。 清美ちゃんも寂しくなくて、ええじゃろ 」

「 お母さん、足、だいぶ良くなったんだってな 」

「 おう、ココにも、よく来るみたいじゃ。 先週もオヤジが、入口付近を掃き掃除しとるトコ、見たそうじゃけえ。 ・・人間は、足から歳とるそうじゃ。 店からここは、丁度、散歩に手頃な距離じゃけ。 毎日でも来たらええ 」

 壕への階段脇に腰を降ろし、一息つくと、浩二が聞いた。

「 ところで、あの写真・・ どうした? バアちゃんに見せたか? 」

 首に巻いたタオルで額の汗を拭きながら、浩二は、和也を見つめた。

「 ・・・いや、やめたよ 」

「 そうか。 まあ、ワシや美奈子は、見せられても別に怖くはなかったが・・ 何つうても、生々しいけえのう。 ・・でも、みんなで撮ったヤツは、あげたんじゃろ? 」

「 ああ。 店に貼ってあるよ 」

 和也も、浩二の横に腰を下ろすと、続けた。

「 デジカメで撮っても、写ってなかった時には、ビビッたけどな・・・ 」

 浩二が、首に掛けていたタオルで、再び流れて来た額の汗を拭きながら、しみじみと言った。

「 お前が追いかけとった幻影の君が、清美ちゃんだったとはのう・・・! やっぱり、あの坊さんが言った通り、ワシらを頼って出て来たんかのう? 」

「 さあ、どうかな。 ・・これ・・ その献花と一緒に、焼いてくれるか? 」

 和也から手渡された、1枚の写真を見入る浩二。

 防空壕脇に佇む、清美の母親の写真だ。 初めて防空壕跡に案内した時に撮影した1枚である。


 撮影時の被写体は、清美の母親1人・・・

 他には、誰もファインダーには入っていなかった。 だが、その写真には、母親の横に、竹ボウキを持ったセーラー服姿の少女が、少し、かすれたように写っている・・! それは何と、和也が好意を抱いていた、あの少女であった・・・!


「 確かに、しっかりしてそうな顔立ちじゃのう・・・ 清美ちゃんと話し、したんじゃろ? どうじゃった? 声とか・・ 」

 写真を見ながら、浩二が聞いた。

「 ・・う~ん・・ 普通だったなあ。 上品で、礼儀正しくて・・・ カメラ見て、オレの事、分限者だってさ 」

「 ナンか? その・・ ぶげん、者って 」

「 昔の言葉だよ。 お金持ち、って言う意味らしい 」

「 ふ~ん・・・ 」

「 あれからは、もう学校で彼女を見かけなくなったなあ・・・ 」

「 バアちゃんトコ、帰ったんじゃ。 もう学校へ、用は無いじゃろ 」

「 半世紀も、学校を掃除し続けていたのか・・ 」

 献花の間に写真を挟むと、それを見ながら浩二も、呟くように言った。

「 ・・御苦労様な事じゃったのう。 もう、いいきに、充分に休めや。 今度は、ワシらが掃除する番じゃ・・! 」


『 有難うございます 』


「 ・・ん? 何か言ったか・・・? 」

 浩二が聞いた。

「 いや? 何も? 」

「 ・・・何か、言ったろ? 今 」

「 何を・・? お前が言ったんじゃないのか? ありがとう、って・・ 」

「 やっぱ、そう聞こえたか? 和也も・・・! 」


「 ・・・・・ 」

「 ・・・・・ 」


 辺りを見渡す、浩二と和也。 夕暮れが迫り、薄暗くなった辺りには、誰もいない。

 そこへ、美奈子が自転車に乗ってやって来た。

「 ・・おう、塚本か・・・ どうした? 」

 和也が聞く。

「 ん、別に。 塾の帰りなの。 壕跡を掃除しに行くって言ってたから・・ 何となく、ちょっと寄ってみただけ。 ・・ねえ、今の誰? 」

 壕内をのぞきながら、美奈子が聞いた。

「 誰って・・? 」

「 今、ここにいた、セーラー服の子。 武内君たちに挨拶して、壕内に入って行ったじゃん。 あたしの方にも、挨拶してたけど・・・? 」

 和也と浩二は、顔を見合わせた。 やがて徐々に、2人の顔に、歓喜の表情が現われる。

「 やったなあ、浩二っ! 声、聞けたじゃん! 」

「 おお~っ! アレがそうけえ・・! 」

 美奈子は、訳が分からず、ポカンとしている。

 ハイタッチする和也たち2人に、美奈子は尋ねた。

「 何、何? どういう事・・? 何なのよ 」

 浩二が、逆に美奈子に聞いた。

「 美奈子、その子・・ 竹ボウキ、持ってなかったか? 」

「 え? あ・・ うん、持ってた。 こんな時間に、誰が手伝いに来てくれたのかなあ、って思って・・・ 」

 更に驚喜する、和也と浩二。

「 ちょっ、ちょっと・・ 何? 何、喜んでるの? ・・あれっ? あの子、いないじゃん 」

 壕内をのぞき込んだ美奈子が、きょとんとしながら言った。

「 ねえ、どこ行ったの? あの子・・ ちょっと! 2人だけで、はしゃいでないで、教えなさいよっ! 誰なのよ、あの子、ねえったら~・・ もおうっ! 」

 3人の声が、夕暮れの秋空に響く。

 再び、そよぎ始めた涼しい秋風が、夏の終わりを告げていた・・・



                      〔 ひと夏のレビュー / 完 〕



< 作品について >


 最後までお読み頂き、ありがとうございました。

 この物語を創作したのは、もう随分と前になります。

 『 遥かなる夏の墓標 』と言う仮題にて、1998年の記録で初期草稿が残っていますから、第一創作は、その数年後辺りかと……

 気に入っている作品なので、何度も校正・加筆をし、各Webサイトにて再連載をして来たのですが、このカクヨムにも掲載しまして何年か経った頃、この作品の設定に酷似した出来事を、Webニュースで見つけました。

 2017年8月5日の産経新聞Web判にて「 最後の日記 」と題されていたニュースです。 今でも検索可能ですので、一度、お読み下さい。


 広島県立 広島第一高等女学校では、入学した生徒全員に日記帳を配布しており、生徒は、毎日の出来事を綴って担任教諭に提出していたようです。 その日記が数人分、被爆後も肉親の方々の手で保管されており、平和記念館などで公開されている、との内容でした。

 原爆投下当日、220名の生徒たちが、爆心地より、わずか800mほど離れた土橋付近にて建物疎開作業に従事しており、生徒たち全員が亡くなっています。

 被爆直後の作業現場付近の熱風推定温度は、1000度を超えていました……


 ニュースは、非常に興味深く拝見させて頂き、戦争の悲惨さ・無情さを、改めて痛感致しました。


 当時に生きた方々におかれましては、正に、心中察するに余る次第です……

 作品中にも記しましたが、生きている時代が違えば、『 我が身 』。

 現代を生きる人々が、何も憂える事無く、気楽に生活している… とまでは、申し上げたくはありませんが、自由に生きて行けるのは事実であり、解釈的には間違いの無い現実です。 いきなり、頭上に爆弾が堕ちて来て、何の前触れも無く自分の人生が終わる事など、現在の日本社会では、絶対にあり得無いのです。


「 明日、生きていないかもしれない 」


 現代でも、事情によっては『 あり得る事 』なのかもしれませんが、そんな事が、日常茶飯事だった時代……

 そう、かつて日本には、『 狂気の時代 』が存在したのです。 『 狂気の虚像 』に惑わされ、翻弄される人々たちが、それこそ、日本全国に幾万・幾千万といたのです。


 日々を悔いなく生きる姿勢… 命を見つめる機会を得る事が出来たら… 生きる事の尊さを実感出来たら…


 そんな想いから、この作品は創作致しました。 そして、このニュースを拝見し、改めて最終章に『 エピローグ 』を施して、現在の掲載に至ります。

 この作品をお読み頂き、短い生涯を波乱の時代に散らした彼女たちの、せめてもの安らかなる眠りを祈願して頂けましたら、幸いに思います。



                 夏川 俊

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ひと夏のレビュー 夏川 俊 @natukawa

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