第6話 囚われ

 ランプの灯り一つだけが灯された薄暗い地下室は、もちろんその構造故、窓や換気口などはなく、湿っぽく淀んだ空気に満ちていた。


 レオとスライ、そして四人の男女が押し込まれると、中はぎゅうぎゅうで狭苦しく、すぐ近くに相手の呼吸が感じられるほどであった。

 地下室に連れて来られてからは、両手だけでなく足の方にまで拘束が及び、窮屈さはひとしおである。


 誰かが身動ぎした。拘束具が擦れる音が耳障りだ。


 レオは全身を襲う倦怠感と痛みに、今にも気を失ってしまいそうだった。新しく変えてもらった包帯の下で、無理矢理塗り薬を塗りたくられた時の痛みがぶり返している。それに加えて、地下室という逃げ場のない状況に遣る方ない思いのレオは、より一層心が急く思いだった。

 拘束された両の手首を膝に叩きつけながら悪態を吐かなくては正気ではいられないほど、今のレオノーラ・イグレシアスの頭の中は、焦燥や怒りに満ちていた。


 どうしてこんなことになってしまったんだ。レオは上手く働かない頭で考えながら、そっと目を閉じた。もしかしたらこれは夢なのではないか。次目を開けた時には、あの爽やかな小川の風景が広がってくれているとありがたい。


「おい、死ぬな」


 すぐ傍でスライの声がし、彼の爪先がレオのブーツをつつく。ぱち、と目を開けたが、そこは相変わらず黴臭い地下室のままだ。


「……死んでない」


 レオは不機嫌に言った。縁起でもないことを言うな。


「人間は眠りながら死ぬだろう。今にも死にそうな顔しやがって。お前が死ぬべき場所はここではないはずだ」


「……」


 彼なりに励ましてくれているのだろう。無骨な言葉の羅列だが、そこが何ともこの男らしい。

 レオは自嘲気味に笑い、


「スライ……」と、再び目を閉じた。


「なんだ」


「あの男たちは一体何者だろうか」


「知らん。ただ、あいつらの話の内容からして、どうやら俺たちは売り飛ばされる奴隷として攫われたようだな」


「ハハ……そうか、って」


「あの男は……」


 スライの声ではない、別の男の声が言った。その場にいた全員が声の主を見る気配がした。薄暗くてはっきりとは見えないが、まだ若い。レオとそんなに歳は変らないだろう。賢そうな面立ちをした少年だった。


「ミラージ・アブルィーフとっいて、裏の世界で幅を利かせた人売りなんだ」


「ミラージ? 知らねえな。聞いたこともない名前だ」と、スライ。


「お前はな。……しかし、私もその名前を耳にしたのは初めてだ」


 レオは身体に張り付いて離れない痛みに終始顔を顰めながら言った。

 賢そうな少年は、「君たちは、どこから来たの?」と訊ねる。


「ネーベルだ」レオが答える。

「だいぶ遠くから来たんだね」

「ああ。旅の途中だった」

「どこへ向かっているの?」

「魔界だ」

「魔界?」

「ああ。野暮用があってな」


 暗闇の中、ここにいる全員の表情をはっきりと伺うことはできなかったが、場の雰囲気から、今のレオの発言を冗談だろ、と笑い飛ばすものは誰一人として存在しなかった。


「だから、私はこんなところで大人しく捕まっている場合ではないのだ」


 レオはそう言って拘束具を外そうとするが、縄や布ならいざ知れず、鉄でできたそれは、多少がちゃがちゃと動かしたくらいでは解けるはずもなかった。

 それでもレオは、「絶対に脱出するぞ」と、揺るぎない双眸で拘束具を睨みつけ、その急いた様子に、その場にいたスライ以外の人間は、互いに顔を見合わせる。


「君、そんな怪我でここを出るつもりかい?」と賢そうな少年が心配したように、そしてどこか、愚かとも思える選択を責めるかのように言う。


「ここを出れば好きなだけ休める。多少無理をしてでも、ここにいるよりはマシだろう。なあ、スライ……?」


 スライは、逡巡するように沈黙を挟む。レオの怪我の原因はすべて自分にあることに、少なからず罪悪感を抱いているらしかった。それでも「ああ、そうだな……」と肯定の返事をしてしまったのは、彼女の双眸に揺らめく執念の炎に魅せられてしまったが故なのかもしれない。


 そろそろ目が慣れてきた。薄暗い地下室に揃った面々の顔が朧気ながらに見えてくる。その中の一人に、気弱そうに声をかける一人の青年があった。


「あの、差し出がましいことを言うようだけれど、止めておいた方がいいかと……」


 暗闇でもわかるほどの病弱そうな青白い顔が言う。痩せぎすで、拘束具を填められた手首は驚くほどにか細く、筋肉というものが一切ついていない嫋やかさだった。

 顔を下に向けて、人と目線を合わせないようにするのが癖なのかもしれない。どこか悲観的な感情を含んだその声は、レオたちを気遣って、というより「余計なことはしない方がいい」と助言しているかのような節があった。


「なんでだ?」と、スライ。本人にその気はないのだろうが、咎めるような口調になってしまう。


「ミラージ・アブルィーフに見つかったら、殺されてしまいます。……あの男は、何やら妙な能力ちからを使うようなのです」


「妙な能力ちから?」


「バレねえように出ていくに決まってるだろ」

 レオが青年の言葉に関心を示した傍から、被せるようにスライが言った。「外に見張りもいるみたいだが、俺ら二人なら押さえられる」


「お前らは、ミラージという男について詳しいようだな」


 レオが全身の傷に響かないように、囁くような声音で言う。それに意欲的に答えたのは、賢そうな彼だ。


「そりゃそうさ。あいつは、何年も前からあちこちで若い男女を攫っては他国・金持ちに売り捌いているのに、一向に捕まらない。野に放たれた人喰い鬼のような男なのさ。冷酷無比で業突く張り。美しい顔の裏に隠れた悪魔のような人間性を象徴するかのように、己に逆らう者には容赦がないと言われている」


 あとは、そうだな……と、彼が一層声を低く落として続ける。

「口にするのも悍ましい、非人道的な噂も決して少なくはない」


 その非道な手口と行いは、各地の自警団及び、国の公安部隊も把握している。ミラージ・アブルィーフは国内外に名を知らしめた指名手配犯だった。


 それだけ悪名を轟かし、多くの人間を物のように売り捌いているのに、何故足がつかないのか。それも、彼の冷酷無比な人となりに関する秘密があるのだと思われる。


「そうか。ならば私たちは、やはりここを脱するべきだ」


 レオが意を決したように言うと、「やめた方がいいよ、ホントに」と、今まで黙っていた声が呆れたように言った。大柄で、鋭い三白眼を光らせてはいるが、どこか飄々とした、野に吹く風のような雰囲気を醸し出す男だった。年の頃は二十代半ばといったところか。この中では一番の年長者のように見える。彼はレオの表情を一瞥し、


「どうしてそんなことを言うんだって顔してるな。理由は簡単だろ? 君らの身勝手な行動で、俺たちにまで被害が及ぶかもしれない。地下室を脱して、外に出る前にミラージないし、その部下に見つかったら、君らの逃走を見逃した俺らにも責任を科せられる」


「けど、ここにいたって仕方ないだろ。それともあんたは、他所に売り飛ばされて、自由のない人生を歩みたいのか」


「そうは言ってない。けど、今は確実に俺たちの方が不利な立場にあるだろ。君のその怪我だって、無事に外まで逃げられるとは思えないな」


 大男の言葉に、レオとスライ以外がうんうん、と頷く。言うことは最もだと納得する理性が、レオの激情をにわかに冷ます。


 彼らはミラージの恐ろしさを耳にしたことがある。それゆえに、あの隻眼の美丈夫を心の底から恐れている。己の身に起きる未来への暗い想像に囚われてしまっているようであった。


 大男の言う通り、勝算のない脱走は圧倒的に不利だ。しかしレオは、今目の前で過ぎ去ってゆく一秒すら惜しい。遥か先のことに頭がいっぱいで、目先の危機に鈍感になっている。居ることに何の得にもならないこんな所からは一秒でも早く脱することが焦眉しょうびの急だった。


「兎に角、私たちは今すぐにでもここを出たい」


 レオは毅然と言い放ち、スライに目を向け、拘束された手を差し出す。


「スライ、できるか?」


「……まだあの弾の効果が残っているから何とも……わかったよ、そんな怖い顔をするな。やってみようじゃんか」


 スライは両手にぐっと力を込めて、ぎりぎりぎりと、拘束具に負荷をかけて破壊しようとした。まだ弾丸で受けた傷と、体内に残った倦怠感が邪魔をしてきたが、そんなものに構っているのも無駄だった。


 その場にいた全員が、「そりゃいくら何でも無謀だろう」と事の成り行きを見守っていたが、予想だにしていなかったパキンという音に、皆一様に顔を見合わせた。見るとスライの手首は何の拘束もされておらず、真っ二つに割れた鉄の塊が彼の膝の上に落ちていた。


「なっ……え!?」


「嘘だろ、鉄だよな!?」


「あんたらうるさいぞ。外の見張りにバレるだろ」言いながら、スライは足の方の拘束具も同じようにして破壊する。


 人間離れした怪力に、四人は瞠目した。魔族の持つ超怪力は魔力が源ではなく、そもそもの体のつくりが人間とは違うのだ。……とは言っても、彼の怪力は魔族の中でも群を抜いていたため、以前ここに捕まった魔族は、この拘束から逃れることはできなかったかもしれない。それを視野に入れずに、人間と全く同じ拘束方法でスライを封じ込めたと思っていたミラージ側のミスである。


 そうこうしているうちにレオの拘束も取り払い、地上へと通じる階段に目を向ける。四人は、「本当に行くつもりなの?」と不安げだ。


 スライは彼らに目を向け、「あんたらも行くか? 行くなら手出せ。解いてやる」と声をかけるが、誰一人として頷く者はいなかった。


「スライ、早く行くぞ」


 傷口を庇ったレオに急かされて立ち上がり、二人は真っ直ぐに階段を登っていく。背後からは彼らを止める声があったが、それに耳を貸すことはなかった。

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