第4話 襲撃 二 

 レオは、ゾッとするような言い知れぬ不安に襲われた。全身の毛穴という毛穴が開き、そこから冷たい汗が一気に吹き出る。スライが撃たれた!?


「スライ!」


 その瞬間レオは、全ての銃口、全ての矢尻が一斉にスライの方へ向かうのを見た。ターゲットを彼一人に絞るつもりだ。冷や汗を流したスライもそれを悟ったらしく、呪いの言葉を呟きながら切羽詰まったように剣山を思わせる歯を噛みしめた。


 ――卑怯者共め!


 舌を打ったレオは脳に閃いた一つの命令に従い、一心不乱に駆け出していた。

 自分でもどうしてこんなことをしたのかわからなかった。刹那、重なり響く発砲音と、弦が弾ける音をに、レオは漠然とそんなことを考えていた。交錯する弾丸の中に己が飛び込んでゆくのを不思議な感覚で客観視しながらそう思った瞬間には、いくつもの衝撃が彼女の全身を打ちのめした。――膝をついたスライの前に躍り出て、彼に向かって降り注いでいた銃弾や矢の雨を全身で受け止めていた。


「ッ……うぅ……!」


 肩の肉を、膝の筋肉を、鍛え抜かれた脇腹をいくつもの矢尻が、弾丸が貫き、流血を促した。


 脳天を突き抜けるような激痛。

 地に踏ん張る脚ががくがくと震えた。

 脳の奥がぐらぐら揺れるような不快感。眩暈か。経験したこともない肉体的苦痛に目の前が眩んでゆく。


 ぃいいいいん……と、甲高い耳鳴りが外の音を遮断し、いよいよレオは痛みの只中に閉じ込められてしまった。


 冷たいのか熱いのかもわからない血は皮膚の表面をじっとりと濡らし、濃紺のハカマが肌に張り付いて気持ちが悪い。


 予想だにしなかった行動を眼前で見ていたスライは、弾丸の貫通した左肩を押さえながら、少女にしては些か逞しい――だが、どこか頼りなさげな背中を見上げ、声を失う。


「お、まえ、何してんだ」


 ようやく絞り出したその声は、自分のものではないような気がした。ひどく掠れ、喉に張り付いた末にようやく外へ出ることが出来た、なんとも情けない声だった。


 男たちが弓に新たな矢を番える。


「おい、避けろ!」


 声とほぼ同時に放たれた矢が腕に、ふくらはぎに、わき腹に刺さり、一発の弾丸が右のこめかみをかすった。スライを守るように立ちはだかったうら若き乙女の肉の壁は、身体を貫く熱き激痛に全身を震わせて耐えた。


 スライは撃たれていない方の手を、彼女の背中に向かって伸ばした。彼女を自分の後ろに庇おうとしたが、身体が思うように動かずもどかしい。特に撃たれた左肩から先が動かない。この感覚は、恐らく人間が対魔族用に開発した弾丸だ。どこかの国の高名な魔導士が、町を守る戦士たちの武器の一つとして取り入れているという。だが、ここにいる男たちは「町を守る戦士」というよりも、旅人を狙う野蛮な賊にしか見えない。


「やっぱりな。おい、男の方は魔族だぞ。この弾丸が効いているようだ」


 スライを撃った男が喜々として叫んだ。


 うるせぇ、黙れ。スライが口の中で暴言を燻らせる。魔族だからなんだというのだ。好都合なことでもあるのか。


「こいつらどうする。予定通り連れて行くか?」


 賊の一人が言った。四人は互いに視線を交わし合う。


 ――? 一体どこへ。連れて行ってどうするつもりだ?


 スライは反撃を試みて立ち上がった。その瞬間、男の銃口が再び火を噴き、レオの脇すれすれを通り抜けて的確に膝を打ち抜く。

 スライは低い声で呻いて膝頭を固い地面に打ち付けた。人間と同じ真っ赤な血がどくどくと流れる。いよいよ立ち上がることも困難になってしまった。


「てめえら、よくもやってくれたな」


 ぎらりと赤く光った双眸が賊たちを順繰りに睨みつけていく。


「ちくしょう、自分の甘さに吐き気を催してきたぞ。さっさとこいつら全員殺しておけばよかった」


 身体に矢を突き刺したまま、レオは意識朦朧とする中で恨み言のように言った。その凄みを孕んだ双眸に捕らえられた一人の賊が、恐怖のような感情に突き動かされて、弓に三度みたび矢を番える。弦を放れた矢は真っ直ぐにレオの胸へ向かって飛ぶが、レオはやっとの思いで剣を凪ぎ、それを払う。


 その瞬間に力尽きた。壊れた玩具細工のように膝を折って地面に頽れ、浅い呼吸を繰り返す。

 薄れゆく意識の中、だが決して目は閉じずに、地面の一点だけを見つめていた。

 心拍が鼓膜の傍で聞こえる。胸を突き破りそうなリズムに合わせて体中の傷が痛んだ。


「馬鹿が……、どうして俺の前に出てきやがった!」


 喉から引き絞るように漏れたスライの声が、途切れゆく意識の中で聴こえる。

 レオは意識的に深い呼吸を繰り返しながら、やや責める様な口調で「お前が、死にそうだったからだろ……」と言った。


 その発言は雷鳴の如き衝撃を伴って、スライの脳髄を揺さぶった。


 


 ショック、とでも言うのだろうか。生まれて二十年と経ってない小娘に言われた言葉だと信じたくなかった。強者たる魔族としての矜持きょうじが、それを全身全霊で否定した。


「舐めやがって」


 レオは声にならぬ声で、「すまない……」と呟くと、ぐらりと後ろに傾いで、スライにもたれかかるようにして気を失った。力が抜けた彼女の手は弱々しく剣を握りしめたまま、地面に垂れ下がった。


「おい、おい! 大丈夫か!」


 辛うじて自由の利く方の手でレオの身体を支える。いくら女の身体とは言え、剣術で鍛えられた筋肉質な体は片手で支えるに向いていない。


 二人を取り囲んだ賊どもは徐々に間隔を詰めるように近付くと、「大人しくしろ。命までは取らない」と、銃口をスライの眼前に突き付けた。


 口の中でぎりぎりと奥歯が鳴る。「てめえ、こいつの死にかけた姿を見てもそんなことを言うのかよ」


「きちんと手当はしてやるさ。急所は外してあるからな」


 スライは男を、怒りに染まった目で睨みつける。


「俺たちをどうするつもり――」


 不意に声が途絶えると同時に、スライは身に襲いくる違和感に気が付いた。眠い。抗いようのない強烈な眠気が、指先から脳へ這い上がってくる。


「弾丸か……」


 対魔族に特化した弾丸の作用だった。魔導士の施した《印》が弾丸の中に火薬と共に混ぜ込まれ、スライに強制的な睡眠を促していたのだ。


「よくもやってくれたな……すぐに殺してやる。絶対殺してやるからな……」


 意識を失うのはあっという間だった。レオを支えたまま、降りてくる瞼の重さに耐えきれず意識が飛ぶその瞬間まで、突如として現れた謎の襲撃者たちに呪いの言葉を吐き続けていた。

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