第3話 囚われの夜 四

「なんの騒ぎかしら……」


 少女が不安そうに自分の腕を抱きしめながら呟いた。レオも心なしか、落ち着かない様子で立ち上がる。


 銃声は立て続けに六回ほど響いた。床が揺れるほどの衝撃を伴った破壊音に重なって、辺りはさながら戦場を思わせる雰囲気に包まれる。かと思うと、静寂は突然やってきた。ほんの数呼吸の間、死のようなしじまが世界を制した。水底に沈んで、いきなり浮上したかのように、今度は人の気配で外が騒がしくなる。


「どこに行った!」

「早く捕まえろ!」

「相手は結界を破った魔族だぞ!」


 切羽詰まった大人たちの声。その中から聞こえた「魔族」という単語。

 レオは「スライか?」と格子に手をかけて身を乗り出した。丁度その時だった。


「ここかあッ!」


 乱暴な声と共に、古い木戸が蹴り飛ばされた。扉は真ん中から横に真っ二つに割れ、冷たい石の上に埃を舞い上げながら倒れた。先程といい、扉を見ると蹴りたくなる性分なのだろう。そのせいで危うく少女を巻き込むところだったが、彼女は咄嗟に壁際に寄って己の身を守ったので無事だった。


「おう、こんな所にいたか」


 気分良さそうに笑ったスライはポケットに手を突っ込みながら、格子の奥にいるレオに近寄った。


「騒ぎの正体はお前か」

 レオは肩を落としながら言った。


「ああ、まあな。あんたを探すのに少々手こずった。それよりさぁ、そんな埃っぽいところにいないで、そろそろお暇しようぜ。早くあのクソ女を殺したいだろ?」


 ウキウキしたように言い、スライは自分が脱出するときにしたように格子を掴んで、まるで粘土で出来た棒をそうするように、左右にぐにゃんと曲げる。

 魔力を奪われてなお健在の驚くべき怪力を目の当たりにし、レオは「あ、ありがとう」と呟くように礼を言う。


 外の喧騒がこちらに近づいてくるのも時間の問題だろう。彼の言う通り、早いところここを脱しなくては、さらに面倒なことになりかねない。理由はどうあれ牢を抜け出したということは、レオたちに疚しいことがあるからだと受け取られてしまえば、逃げ道は更に狭くなるだろう。


 スライはちら、と壁際の少女に鋭い目を向ける。毒の付いた矢じりを思わせる視線に射抜かれ、彼女は怯えたように肩をびくつかせた。


「ってわけだからさ、あんた、見逃してくれよ。な? それとも、大声上げて人呼ぶか?」


 まるで脅すような口上で詰め寄るスライ。彼のような大きな体格で凄まれれば、少女でなくとも委縮しないではいられない。

 咎めるように彼の肩をぐい、と引いたレオの視界の下の方で、少女は声を出すこともできず、パタパタと軽い足音を響かせて逃げて行った。


「無闇に怯えさせるな」


 スライは悪びれもせず、肩を聳やかした。まったく、とレオが彼女の出て行った方を見ていると、すぐに少女は戻ってきた。その手に何かを抱えて。


「これ、あなたのですよね?」


 遠慮がちに差し出されたそれは、使い古されてくたくたになった麻の鞄と、柄頭に揺れる赤い宝石が一際目を引く剣だった。


「ああ、そうだ」


 少女は頷いて、それらをレオに押し付ける。


「あなたたちが脱出したことは決して他言いたしません。傍に裏口があります。そこから出てください」


 レオは、彼女の力強い言葉と眼差しに、じぃんと胸が熱くなるのを覚えた。一番最初に抱いたおどおどした印象が見え隠れしつつも、この少女の勇気ある行動には敬意と感謝を示すに値する。


「ありがとう」


 少女は先頭に立って、裏口へと二人を案内する。三人の靴底が木の床を踏む音が嫌に耳にこびり付く。

 幸いなことに、道中、ここの大人たちと鉢合わせすることはなかったが、裏口に通じる通路にて見覚えのある立ち姿が、彼らの足を止めさせた。ゲオルクの息子だった。


「アンドレ兄さん……」

 少女が気圧されたように呟く。


「アマリアァ……何してんだよ、お前」


 酒はすっかり抜けているだろうに、その口調はひどく間延びしている。顎を反らしてこちらを見下ろす視線が父親によく似ていた。


 少女――アマリアは、一度は怯んだように俯いたが、己を奮い立たせるように再び顔を上げると、「退いて、この人たちを逃がすの。お父さんに見つかる前に」と微かに声を揺らした。


「だめに決まってんだろ。そいつらは犯罪者だ。酒場をめちゃくちゃにした。町の人たちに迷惑をかけたんだ」


 毅然と言い放つアンドレの言葉を遮るように、アマリアは一度床をドンと踏み鳴らした。


「馬鹿言わないで。私、知ってるのよ。兄さんたちの方からこの人たちにちょっかいかけていたじゃない。先に礼を欠いたのは兄さんたちでしょう」


「うるさい! お前はいつも通り、俺や父さんの言いなりになっていればいいんだよ」


 無理矢理話を終わらせようと、アンドレがムキになって怒鳴り散らしたその時、


「黙って聞いてりゃあ……」


 怒気を孕んだ声で言い、レオはアマリアを押しのけて、抜き放った剣尖をアンドレに向けていた。兄妹が同時に息を呑むのが聞こえた。


「そこを退け」


 言った彼女自身でも、驚くくらい低い声だった。


「あまり女を舐めるなよ。父親の金魚のフン風情が、私の行く道を阻むというのなら、今ここで切り捨てて、今度は魚の餌にでもしてやろうか」


 脅しなどではない。銀色の切っ先はアンドレの頬に浅く食い込む。裂けた皮膚から、たらりと真っ赤な血液が滴り落ち、彼の着ていたアイボリー色のシャツを汚した。少しでも身動ぎしようものなら、薄い刃先は彼の頬を更に深く浸食することだろう。


 アンドレは身体を竦ませた。顔から血の気が失せ、相好に哀れなほど大量の冷や汗が伝う。


「もう一度言う、退け。その醜いにやけ面、切り刻まれたいのか」


 アンドレは、殺戮のために生を受けたような女剣士の殺気に、すっかり戦意を喪失してしまったようだ。……それもそうだ。隣にいた魔界の王子スライさえ、噎せ返るほどの殺意の出所を見て、無意識のうちに喉を上下させないではいられなかったのだから。


 アンドレは、言葉もないまま及び腰で壁に背中を張りつかせた。「退け」という絶対的な命令に背くことが出来ず、本能が体を動かしたという感じだ。


 アマリアは、兄には一瞥もくれず裏口へ向かった。

 レオは最後にアンドレに冷たい視線を投げかけ、彼女の後に続いた。



 肌寒い。澄んだ空気が肺の中を満たした。

 空には満天の星。格子越しに見た冴え冴えと輝く白い三日月が、相変わらず冷徹にこちらを見下ろしている。


「兄たちのことは私が何とかします。ここからひたすら真っ直ぐ進んでください。やがて街道に出ます。隣町へは一本道ですので、迷うことはないかと」


 アマリアは、的確に言いたいことだけを伝えると、二人の背を軽く押す。


「ありがとう、アマリア。恩に着る。それから、君の料理、とても美味しかった」


 アマリアは、白月光の下でふんわりと微笑むと、こくりと一つ大きく頷き、「こちらこそ、ありがとうございます」


 礼を言われるようなことは何もしていない。けれどアマリアの胸の内には、料理の味を褒めてもらった喜びと、言いなりになるがままだった兄や父に反抗するきっかけを与えてくれたことに、心の底から感謝していた。


 きっかけなどは些細なことなのだ。己の現状に抗う同年代の少女と、相反して、言われるがまま、流されるままに日々を生き、腐ってゆく己の姿を重ね合わせて、アマリアは勇気を出すことが出来たのだ。


 レオたちは走った。

 人気のない一本道は仄かな夜の光に照らされて、道端のいたるところで夜光草が風に揺れながら薄桃色の淡い光を放つ。さながら夢の中のような幻想的な雰囲気に包まれている。


 レオとスライは、そんな幻想の世界に横たわった一本道を、息急き切って走り抜けた。時折背後に視線を投げかけては、そこにある静寂に安堵する。やがて、目前に見えてくる人々の生活の気配。夜の中に沈んだ町が見えてくる。


「やれやれ、旅の門出にしちゃ、散々な目に合ったな」


 スレイは気怠そうに独り言ちて、言葉とは裏腹に、密かに楽しそうに微笑んだ。


「退屈しない旅になりそうだ」

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