~Epilogue~2020年12月1日~

 パシフィコ横浜で行われた就職フェアには、オープンと同時に連日リクルートスーツが殺到した。総務省によれば、新型コロナウイルスによる失業者は約50万人。カレンダーはあと1枚だが、2020年を終えられない人々の列が続く。「間隔をあけてください!」というスタッフの悲鳴と共に、待機列からは怒号が飛び交う荒れ模様となった。

 怒涛の初日が終わった後、後輩の一人が話しかけてきた。


「それにしても課長が中国語も話せるなんてビックリです」

 

 能ある鷹はって言うだろとニヤリと返す。ブースを訪ねてきた留学生の対応はすべて請け合った。ちなみに俺の人事プロファイルには<英語・中国語・ロシア語に堪能>と大ウソが書かれている。



 10月、新宿ハイアットに現れた仲村氏はまた一段と痩せていた。

 胃の半分を摘出する前日、「酒も飲めねぇ人生なんておじゃんクソバイビーです」と捨て鉢になっていたが、コロナが収まり次第モスクワに戻るつもりだという。マーシャが待っているから、と微笑ましい。


 旅と大学を卒業した俺を待っていたのは「超」が付く就職氷河期だった。100社以上に送ったエントリーシートはナシのつぶてだった。


<――それではモスクワに来てみませんか?>


 実家の宝石商を継ぐ気はなかったが、この怪しいオヤジのもとで学んでみたいという興味が勝った。こうして俺は大学卒業と同時に単身モスクワに飛び立った。

 仲村氏の教育は激烈だった。おかげでキーウ(旧キエフ)では地元ヤクザに拳銃で殴られ、グルジア国境ではスパイ容疑で5日間もホテルに軟禁された。だがその2年5カ月で学んだ「生き残るためのハッタリ」は一生モノとなった。



 パシフィコ横浜からの帰り道、東横線菊名駅で首を伸ばして窓の外を眺めていた。「まだ渋谷じゃないですよ」と後輩がスマートフォンから顔を上げた。


「いや、だいぶ前にここに住んでたから」


――そう。あの頃隣には少し鼻にかかった声の裁判所書記官殿がいつも座っていた。

 しばらく疎遠だったサユリと急接近したのは、モスクワから帰国してからのことだ。彼女は裁判所事務官から書記官に昇格していたが、上司とそりが合わず一人で不満を抱えていた。再会の夜、渋谷で1杯だけのつもりがボトル1本となり、その日ふたりは男女の仲になった。

 ほどなくして俺は大手法律事務所の横浜支社で英文訳の仕事を見つけた。菊名駅から10分の1LDKを借り、部屋にはロンドンやベルリンで一緒に撮った写真を飾った。


 2回目のクリスマスを祝うまでは比較的順調だったといえる。年が明け、サユリは30歳になった。そんなある日、知らない番号から着信があった。


「オレの娘をおもちゃにしやがって!」


 元小学校の校長だったサユリの父親は、最初から俺をレイプ犯扱いにした。

 正月に帰省した際「お付き合いしている人がいるなら挨拶に来させなさい」となったという。後から考ると「もう少し貯金ができてから」と結婚を先延ばしにしていた俺を動かすためのサユリの策だったのかもしれない。後日菓子折りを持って前橋のご実家にご挨拶に伺ったが、とにかく罵声を浴びせられに行ったようなものだった。しかしこれが命取りとなった。


「まだ昇格できんのか!情けない男だ!」

「娘を幸せにする気はあるのか!」


 事あるごとに職場の内線からも罵声を聞かされるようになったのである。受話器を抱えたままうなだれる俺に対する空気も次第に同情から問題視へと変わっていった。こうした状況をサユリに相談しなかったこともよくなかった。それから数カ月が過ぎたある日、突然心がポキリと折れた。菊名から5駅の横浜で降りるはずが、気づいたら涙を流したまま渋谷駅まで折り返していた。こうして俺は職場から、そしてサユリの前から忽然と蒸発してしまったのである――。


 しかし人生とはつくづくタイミングである。

 その後知人を頼って流れ着いた京都で、金融機関の契約社員として拾ってもらった。そんなある日、シモナ嬢からの一通のメールが届いた。


<――わたしは今大阪の大学に留学しています>


 日本語で書かれたメールによれば、リトアニアの大学を卒業した後、国費で大阪に来たという。翌年俺は東京本社への転勤が決まったが、同じタイミングで彼女も東京の大学への編入が決まり、しばらくの同棲を経て小さな式を挙げた。

 式にはシギタス氏をはじめ家族全員で来日してくれたが、そこに執事のクラウス氏の姿はなかった。3年前この家族に看取られて旅立っていた。新婦側のテーブルには、ワイングラスを手にしたクラウス氏の写真が立てかけられた。

 異文化の中で根を張ることは並大抵ではなかったと思うが、つつましくも平和な日々を送れているのは彼女のおかげである。



<――僕なんかもうすぐお爺ちゃんだぜ!>


 先日、中国フフホトから届いたエアメールには驚かされた。バヤルとドルマーの19歳になる長女がすでに身重だという。

 

 結局ふたりの愛はモンゴルでは受け入れられなかった。ドルマーの妊娠を知った両親は勘当を言いつけた。


<けど結局ウチらは遊牧民だから…>


 つまり”攫ったり攫われたり”というのは、ジンギスハーンの時代からということらしい。


「――そういうわけで、わたしは一人ぼっちになってしまいました」


 ビデオ通話の向こうでツェレンは嘆いた。こちらもある日嫁ぐことになったと報告してきたが、夫のDVに耐えかねて実家に戻ったと聞いて数年経つ。バヤルやドルマーは中国にいるため何年も会っていないらしい。


 出会いも別れもすべて天意だ。

 20年前のあの日、ホテルの玄関から眺めたウランバートルの星屑はどこへ行ってしまったのか。あの時夜空を流れ落ちた光を見た彼らは慌てて「トゥイ、トゥイ!」と空に向かって唱え始めた。流れ星は人の死を意味するため、あれは私の星じゃないと祈るのだと言っていた。

 それでも流れ落ちてはいけない星が消えてしまったら――。

 「あの人」が好きだったドイツのモーゼルワインを注ぎ足し、北風にグラスを傾ける。

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