2001年3月6日
「(もうすぐ春ね)」
「はい、寒い季節は終わりです」
Pri Katzというドイツ・モーゼルワインで、青いボトルにお座りした黒猫が描かれている。今朝の北京は微笑みたくなるほど麗らかで、グラスの中の細かい泡がよく似合う。
コペンハーゲンから北京へ。今宵その旅が終わる。毎朝酷い顔をしてリビングに現れた姉さんだったが、今朝は襟付きのシャツに艶やかなルージュを引き、ゾクリとする美しさで現れた。
ふたりの間に咲く花が実を結ぶことはない。
だとすれば、そんな季節の巡りに何の価値があるのだろうか――。
「(――わたしも、)」
ふいに
見ると階下の玄関で、若い男女が言い争っていた。
金髪に染めた襟足を短く刈り上げたパンクロッカー風の女が、目の前の二匹を圧倒していた。激しく指を突き立てられ、しなびた漬物のように萎んだ青年は柳の樹に寄りかかってうなだれている。漬物野郎には援軍がいた。シャツの襟をジャケットの外に出したチンピラ風味の男で、パンク女と漬物野郎の間に立ち、どちらかというと女の鎮火に忙しい。
ふと隣を見ると、
「(ちょっとタバコ持ってきて)」
浮気発覚か、あるいはダサすぎる黄色いシャツがお気に召さなかったのか――。
ただ明らかに勝負はついており、友情を果たさんと駆け付けたチンピラ風味ももはや陥落寸前の友人をただ傍観するしかなかった。
いったん山場をむかえた本日のメインカードだったが、漬物青年の余計な一言により爆発的な状況へと急変した。パンク女は腕をまくると漬物野郎の喉元を鷲掴みにした。慌てたチンピラ風味が漬物野郎の喉と接続されたパンク女の腕を振りほどこうとしているが、彼女はまるで地から生えたかのようにビクともしない。
やがてパンク女はパッと手を離すと、彼らに背を向けて立ち去ろうとした。ところが思い出したかのように振り返ると、いきなり黒のレザーから伸びた足の甲で漬物野郎のイチモツを爆破した。そして返す刀でチンピラ風味の股間にも鳴り響く稲妻を打ち付けたのである。
この歴史的瞬間に俺と
「(――わたしたちは、あんなふうに軽やかにはいかないわね)」
もし俺と
そっと手を伸ばした。
するとゆっくりとやさしさが返ってきた。
だがそれ以上は1ミリも動かさず、ただ互いの手のひらの温かさを交換し合った。
たまらず
「姉さんのことが好きです!僕が必ず姉さんを守ります!だから、」
しかしその瞬間、
「(その話は終わり!わたしたちはしばらく会うべきではない!)」
駆け巡ったのは絶望ではなく安堵に近かった。一呼吸分の空白を作ると、
「(あなたに尊敬される姉になる。時間がかかると思うけど、わたしを大事に想ってくれるならしばらく待って)」
今朝襟付きのシャツに真っ赤なルージュを引いて部屋から出てきたのは、それを伝えるためだったのだ。
「…わかりました。遠くで待っている僕を心配させないでくださいね」
こうして姉と弟の恋は、ほんの数分で終わりを告げた。
北京国際空港の空は、春を待つ艶やかさを含んだ色に霞んでいた。
「――あの時”わたしも”って何を言いかけたんですか?」
空港まで車を出してくれたが、その後ほとんど言葉を交わしていない。
「我愛上你了(ウォアイシャンニーラ)!」
実を結ばない花が美しくないとは限らない。
俺は肩に食い込んだ荷物を持ち直すと、腕を伸ばして
「…さようなら、姉さん」
”ありがとう”の代わりになっていない言葉はもう戻らない。
長い旅も、そして姉さんとの物語も、霞の中に消えようとしていた。
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