香水
小紫-こむらさきー
香水
「空いてる日、ある?」
誰だっけ。
LINEが鳴ったスマホを見て首を傾げる。
近所の海岸の写真と、黒髪の女が映っている。
よく顔を見たくてタップしてみると、美人といっていい顔をしていた。
見覚えがある気がする。そうじゃなくても、まあ、連絡くらいとってもいいだろう。
「だれ?」
―ピロン
俺の返信にすぐメッセージが返ってくる。
「かおる」
ああ。こいつか。
少し陰気臭いけど、顔はまぁ美人だったし金払いも良かったな。
白い肌をして少しぽっちゃりとした黒髪の女…。なんでも言うことを聞くし、生意気なことを言わなかったので気に入っていた。
少し揉めて、連絡を取らなくなっていたけど、あっちから連絡を取りたくなったってことはほとぼりもさめたってことだろう。あっちが金を払ってくれるなら、また遊んでやってもいいか。
「ひさびさ👋アイコンの雰囲気変わっててわからなかった」
―ピロン
「空いてる日、ある?」
「水曜とか」
―ピロン
「あお」
「なんで」
―ピロン
「なんとなく」
返事が早すぎて少し気味が悪い。
前からこんな淡泊なメッセージ送る奴だったっけ。
アイコンをもう一度見て見る。リスとかハムスターを思わせる丸くて真っ黒な瞳。
小さな鼻は涙型で、唇はぷっくりとしていて柔らかい。
ふっと、かおるが付けていた香水が薫った気がした。あいつを抱いた時のことを思い出してフッと下心に火を付ける。
「奢りなら」
―ピロン
「水曜22時片貝で」
「おっけ」
それきり返信がなかった。
こう、俺がせっかく誘いに乗ってやったのにお礼とか、楽しみにしてるとか、やったーみたいなメッセージはよこせないかね。
こういう細かいところに気が利かないというか、空気が読めないところが嫌いだったなと思い出して、胸くそが悪くなる。
やっぱり断ってやろうかな。それで必死に頼み込んできたらまた生でやらせてもらう代わりに飯でも食ってやろうか……。
放り投げるように置いたスマホを取ろうとして、ベッドへ横になる。
香水の香りがして辺りを見回す。思い出したとかじゃない。どこかから香ってきている?
でも、かおるの香水なんてもう匂うはずがないし、俺も持っていない。
気のせいか?と思って辺りを探そうとした。
―ピロン
LINEの通知音で目が覚める。
いつのまにか寝ていたらしい。
やっと感謝の言葉でも送ってきたか?とスマホを取ろうとして動けないことに気が付く。
それになんだか息苦しい。
俺の身体の上に何か乗っている?
何か見える。少しだけ動くようになった首を持ち上げた。
見えたのは、俺の首に伸びている白い手。
苦しいのに耐えて視線を上へ向ける。
俺の上には黒髪の女が馬乗りになってるのが見える。
顔は見えないけれど、誰だかすぐにわかった。
「かおる?」
ストーカーじゃん!
でもどんくさいこの女のことだから、うまいこと言いくるめて家に帰せるかもしれない。
俺が声をかけると、かおるは少しずつ顔を上げた。
「いれて」
「うわあああやめろ」
かおるの目は真っ黒な穴のようなものが空いているだけだった。目玉がない。
いきなり顔を目の前に近付けてきて、生臭い息を吹き付けてきたかおるについ大声を上げた。
そしてまた香水の匂い。
かおるの両手が俺の肩に触れてぬめっとした感触がした。悲鳴を上げると、俺の両腕が動く。
よくわらないけど、金縛りは解けたらしい。
俺は思いきり力を入れて、馬乗りになっていたかおるを腕で振り落とした。
かおるは俺の身体からもベッドからも転がり落ちて壁にぶつかる。
今のうちに逃げよう。
立ち上がってかおるがまだ倒れていることを確認して玄関へ向かう―そのつもりだった。
倒れてはずのかおるの顔が目の前にぬっと現れる。
近所迷惑も省みずに腹の底から絶叫をして俺は意識を手放した。
また、あの子の香水の香りがした。
ちくしょう。LINEをしてきたときから部屋にあいつがいたんじゃないか?そう思いながら目を開くと、部屋にはなにもなかった。
部屋に荒らされた形跡はない。時間も、最後にかおるから連絡が来てから数分しか経っていない。
どうやら夢だったらしい。
確かに、かおるの目があんなホラー映画の化け物みたいになってるわけないか。
一人で笑って怖い気持ちを誤魔化す。
もう一度寝ようとして、布団をかけようとすると、嗅ぎ覚えのある香りがふわっと漂ってきた。
また香水の香りだ。
怖くなった俺は、この香りから逃げるためにコンビニに行くことにした。
外では流石に香水の香りがしない。
―ピロン
なんとなくホッとしている気持ちを打ち砕くようにスマホが鳴った。
「海」
かおるからだ。
真っ暗な海の写真がその一言と共に送られてきただけだった。
なんで海なんだよ。かおるとの海の思い出はいいことがあまりない。
別れたきっかけも海での出来事が理由だった。
なんとなく怖くなって、一人で居るのが嫌な俺はいきつけの飲み屋へ行くことにした。
今から軽く飲んで朝まで店で寝ていれば、帰る頃にはアルコールも抜けているだろう。
車のエンジンをかけて、近くのコインパーキングへ停める。雨上がりだからか、空気が湿っぽくて生臭い。
店へ行くと、顔なじみの悪友が揃っていた。
気が緩んだ俺は、かおるから連絡が来たことと、悪い夢を見て怖くなったことを笑い話のように話してみる。
「おまえさー、アレのことさすがに忘れたとかウケるでしょ」
「は?」
飲み屋で悪友がゲラゲラと笑う顔をみて、かおると別れたときのことを思い出した。
「妊娠リセットパーンチ!って笑いながらしてたじゃん」
「動かなくなった海に置いてきたわって武勇伝にしてたよな」
「ぜってー水子?とかにうらまれてるよ」
「何人かにしたからわかんねーよ!かおるじゃくてリエじゃないっけ。っていうか悪い冗談はやめろよ」
怖くて思わず話を誤魔化す。
三年前、かおると別れ際にしたやりとりを思い出して寒気がしてくる。
香水の香りが、また漂ってきた気がした。
―ピロン
―ピロン
―ピロン
スマホがなったけど。無視をする。なんだかすごく生臭い。
あいつらの声が聞こえるけどなんていっているかわからない。
めまいがする。カウンターに手をついて頭を左右に振った。
「やめるのはお前だよ」
耳元で低い声が聞こえた。
いてもたってもいられなくて、酒も飲まず、友達にも何も言わずにただ大声を出して走り出す。
コインパーキングへ戻って車のエンジンをかける。
とにかく、とにかく家にも飲み屋にも居たらダメだ。
どこだ…神社か寺か?
とにかく車を走らせる
―ピロン
スマホが鳴る。無理。
―ピロン
―ピロン
―ピロン
―ピロン
―ピロン
工事中。
一方通行。
事故。
回り道。
―ピロン
―ピロン
―ピロン
スマホは鳴り続けている。画面をチラッと見ると「かおる」からの通知で画面が埋まっている。
こんな夜中に寺にいっていいのか?いったことがないからわからない。
海が見えた。
急に足に鋭い痛みが走って俺は足下を見る。
「なんなんだよ」
真っ黒な髪の毛が蛇みたいに俺の足に絡みついてキリキリと締め付けているのが見えて背中にぶわっと変な汗が噴き出すのがわかる。
また香水の香りがした。
ふっと俺の足を締め付けていた髪が緩む。
なりふり構わず車を止めて転がるようにして降りた。
外は海の近くだけあって生臭い。香水の香りはしない。それだけで安全なように思える。
這いつくばっていると、すぐ近くでビシャという音がした。
濡れた布を地面に叩き付けたみたいな音だ。
真っ白すぎて蝋人形みたいな足が視界に映る。傷だらけでずるりと皮と肉がそげ落ちている。
俺は恐る恐る顔を上げた。
「ひ」
かおるだ。
腰を抜かしながらもなんとか逃げようとして車の方へ後退りをする。けれど、車へ近付くと香水の香りが強くなる。
なんなんだよ。
香水の香りがすると悪いことが起きる。だから、車はダメだ。
海へ行くと生臭さが強くなる。香水の香りはしない。
はいはいをするように、車から離れると、急に腕を捕まれた。
白い手だ。氷みたいに冷たくてなんだか皮膚にハリがなくてぐにゃっとした気色悪い感覚に悪寒が走る。
そして、白い手にも、俺の手にも海藻のように真っ黒な髪が蛇みたいに絡みついてくる。
「これはお前の子だ」
かおるが膨らんだ腹を見せつけるようにボロぞうきんみたいな服を捲り上げる。
「ちがう」
ちがう。ちがう。確かに妊娠したって言い出したかおるの腹を思いっきり殴った。
海で青姦をして中だししたときに出来た子だと、あいつはしつこかった。
あの時も、せっかくみんなで肝試しをして楽しんでるのに「ここは障りがあるからやめて」とかわけがわからないことを言ってたから、セックスして慰めてやったってのにってムカついた。
生理が来ないと泣くかおるにムカついて、病院へ行こうと嘘をついた。
海へ近付くにつれて、「海はやめておねがいだから」とか「悪いものが
でも、そのときは、こんなに腹は大きくなかった。
それにあれから三年も経ってる。これが俺の子供のはずはない。
「三回」
口を「い」の形にしたかおるがそのまま声を出す。
「三回お前は断った」
おっさんの声みたいな声を出したかおるが大きく口を開いた。
「もうアレはお前を守れない」
かおるの顎を砕きながら出てきた黒い巨大なナマコみたいなものは、俺の頭に向かって伸びてくる。
巨大ナマコの口には人間の奥歯みたいなものがびっしりと並んでいた。
香水 小紫-こむらさきー @violetsnake206
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