第4章 2月15日8時24分

 宏樹は電車に乗っていた。窓の外からは柔らかな光が差し込んでいる。

 ゆったりとした速度で走る電車の座席は柔らかい。なんだか眠くなってくる。ガタゴトと小気味好い音を立てながら目的地へ進んでいく。

 目的地?どこだろう。まあいいか。

 これは夢だ、と頭の隅でなんとなく気付いていたが、夢は続いた。

 車両には誰もいない。少し寂しいな、と思っていると連結部の扉が開き、ガヤガヤと見知った顔が何人か入って来る。よくつるんでいる文芸部の友達だった。研二と鷹山もいる。彼らは少し離れたボックス席に腰を下ろす。集団は誰も宏樹に気付かない。

 声をかけようとするが何故か声が出ないので、宏樹はひとり遠くから集団を眺めていた。いつものようにじゃれ合いながら馬鹿話で盛り上がっているようだ。

 やがて電車はスピードを緩め、駅に着いた。開閉式の扉が開き、集団は降りていく。扉が閉まる瞬間、そのうちの何人かが宏樹の存在に気付き、笑顔で手を上げた。宏樹も手を振って答える。一緒に降りたかった気もするが、まあいいか。

 再び電車は走り出す。


 隣に自分の鞄があったので、ウォークマンを取り出して音楽を聴く。読みかけの文庫本もあったので、栞の挟んであるページから続きを読み始めた。

 ずっとこの感じが続けばいい。そう思う一方で、宏樹はいつまでもここに留まってはいられないことにも気付いていた。近いうちに、自分も電車を降りなければならない。それでも今は、この居心地の良い世界から抜け出したくなかった。本格的に眠くなってきたので、本を傍らに置いて目を瞑る。夢の中で寝たらどうなるんだろう。現実がわからなくなりそう。そんな映画があった気がするな。胸のどこかに小さな痛みを抱えつつ、暖かな場所で、宏樹はとても満たされた気分になっていた。





 宏樹が目を覚ますと、すでに部屋は明るかった。まずい、と跳び起きてスリープ状態のパソコンを復帰させる。9,680字の文章を確認し、そうだ、なんとか書き上げたんだったと思い出して大きく息を吐いた。文字列の一番最後に<43>と書き加える。

「書けたんですか…」

 横で鷹山が目を擦っている。

「なんとか書いた、出来はともかく」

「ほんとに一晩で…おつかれさまです」

 唸り声を上げながら研二も身を起こした。

「いま何時だ?8時半!?部室行かないと」

「えーっ、そんなに焦んなくても…。今日中ならいいんじゃないですかあ」

 しかし研二は、俺たちが行って時間通り締め切らないと締切の意味がない、締切なんだから、などとよくわからないことを喚き、まだ寝たいとこたつに潜る鷹山を引きずり出した。その間に宏樹はパソコンからUSBに原稿のデータを移す。バタバタと身支度し、3人は部屋を出た。


 吹雪は止み、狭い通りには朝日が差していた。凍てつくような寒さで目が醒める。

 部室へ行く前にコンビニに寄り、プリンターで各々がUSBから原稿を印刷した。宏樹はコーヒーを買って飲む。若干二日酔いの身体に染みる。

 朝のキャンパスは閑散としていた。薄く積もった雪を踏みしめながら無言で歩く。15分ほどで文芸部の部室に到着した。宏樹は携帯を取り出し時間を確認する。8:59。数秒後、9:00になった。締切時刻、2月15日午前9時。


 宏樹はダイヤル式の鍵を開けようとした─が、中から光が漏れていることに気がつく。

 ドアが開いている。


 宏樹が中に入ると、部室には先客がいた。

「えっ…成瀬さん!」

「よお、来たか」

 暗い部室でパイプ椅子に座っていたのは、宏樹の先代の部長である成瀬だった。

「どうしたんですか」

「普通に原稿出しに来ただけだよ。9時前に着いたんだけど、もうすぐお前らが来るかなと思ってさ」

 部室に入ってきた研二と鷹山もギョッとしている。

「うおっ、成瀬さん久しぶり」

「えっと…もしかして、杉岡氏の正体って成瀬さんだった、とか?」

 成瀬は笑いながらかぶりを振った。

「残念ながら違うよ。ほんとに自分の原稿出しに来ただけだ」

 そして"下駄箱"を指差す。宏樹が積み上がった原稿の束を見ると、一番上に「成瀬浩志」と名前の書かれた原稿があった。


「なんだあ、成瀬さんだったら面白かったのに。でもそれだと宏樹さんの頑張りが無駄になっちゃうかあ」

「おい」

「ん?どういうこと」

 成瀬に問われ、宏樹は早々に観念する。

「俺が書いたんですよ、杉岡氏の連載の続き。昨晩のBBSで連載終わるって書き込みあったじゃないですか。あれを見てから一晩でやりましたよ」

 鞄からプリントしたばかりの原稿を出して成瀬に渡す。

 受け取った成瀬はそれをパラパラとめくり、最後に書かれた<43>の数字と「杉岡真人」の名前をまじまじと見つめた。やがて顔を上げ、ニヤッとして宏樹を見た。

「へえ、やるじゃん」

「あー寒い寒い、さっさと原稿取って帰りましょうよお」

 鷹山が駄々をこねるので、成瀬を加えた4人は部室から出ることにした。宏樹は原稿の束をファイルに集め、リュックサックに入れる。研二はスマホからBBSを開き、『2月15日9時を以って今年の『諸相』入稿は締め切りました ちなみに杉岡氏の原稿、今年も提出ありました、よって掲載予定です』と投稿した。また荒れそうだ。


 宏樹は無事に原稿を回収し、ようやく安心した。部長として最後の仕事が終わった。印刷と配布は他の編集委員に押し付けよう。

「さて、無事役目も終わったな。牛丼でも食って帰るか」

「奢ってくださいよお」と鷹山。

「今回は表紙のデザインやってくれたしな。しょうがない、奢ってやる」

 いえーい、やったあ、と叫びながら駆け出した鷹山は離れた場所にあった雪を蹴りつけた。研二が雪玉を作って鷹山に投げつける。そのまま2人は雪合戦を始めた。

 小学生か、と笑う宏樹に、成瀬が近づいてきてボソッと言った。

「実は俺なんだよね、杉岡真人」

「え」

 宏樹は目を見張って成瀬を見た。驚きのあまり声も出ない。

「正確に言うと、部長を引退した4年生が杉岡氏の連載を書く役割ってことになってる。つまり毎年書いてる人間は変わる。今回の『諸相』は俺が書く番だった。次はお前」

「えっ…。書いたんですか」

「それがね、書かなかった。昨晩BBSに永田ってやつの書き込みあっただろ、あれも俺だ。自分名義の原稿書き上げたらなんか満足しちゃって、杉岡氏の原稿に取りかかれなかった。ただ原稿出さないで終わりにしてもよかったけど、一応終了宣言しようと思ってさ。それっぽいこと書いて投稿した」

 宏樹は絶句した。突然種明かしされた杉岡氏の正体。しかも永田というOBを語って連載の終了を宣言したのもこの人だったとは。

「それは…なんで」

「面倒だったから。この原稿書くの自体が。大体俺はこの連載にあんま興味なかったし。勝手に任される原稿なんて書かなくてもいいだろ。先代の部長に会ったら怒られそうだけど、別にいいかなって。まあやる気起きなくて書かなかっただけだ」

 成瀬は自嘲的に笑った。

「毎年、前年の部長経験者が連載の続きを書く。そしてこっそり部室に提出して、諸相に載る。杉岡真人の正体は謎のまま、歴代の部長経験者しか知らない─そういう仕組みらしい。でも俺は続きを書かなかったから連載は終わりだって、お前にだけはネタばらししてようとここで待ってた。でも、結果的に終わらなかった。なんかお前が勝手に書いたから。お前の書いた杉岡真人名義の原稿を掲載すれば、俺の永田を語った終了宣言はデタラメだった、ってことで落ち着くだろ。まあ、これで良いんじゃない?あと来年の『諸相』での杉岡連載もお前の仕事だ、頑張ってくれ」


 宏樹はようやく全てを理解する。どうやら歴代の部長が連載を書いている、との推理はいい線だったらしい。正解は部長の任が終わった翌年だったということだ。本当は成瀬が書くはずの今年、偶然現役部長の宏樹が原稿を書いてしまった。本来の順番である前部長としての「杉岡真人の中の人の役」は次の『諸相』なので、宏樹は2回書くことになってしまったが。そして偶然にも、この出来事の全貌に完全に気づいているのは宏樹と成瀬だけだ。

「なんで前部長の4年生がこの役なんですかね」

「さあ、暇だったんじゃない?でもこの仕組みがひっそり続いてるのは、この役割を担った奴らが揃って性格悪いのばっかだったからだと思うぜ。現役の部員どもが杉岡真人の正体をああだこうだ考えてるのを、全てを知った上でニヤニヤ眺めてるような」

「はあ…。あ、次の部長あいつにするつもりなんですが、どのタイミングでこのこと伝えればいいですか」

研二と雪を投げて戯れ合っている鷹山を見やりながら、宏樹は聞いた。

「そりゃ、来年の2月15日以降だな。前年に部長をやったやつが連載の原稿を出して、諸相が無事発行された後、次の代の部長上がりに伝えるって仕組みらしいから」

 振り向いた鷹山が「なに2人で話してんですか、エロい話ですかぁ」と大声で言った。

 そうそう、とびっきりエロくて楽しい話題だ、朝は猥談に限る、と宏樹は言ってやった。来年事実を告げたとき、あいつがどんなリアクションをするか楽しみだ。


 自分の仕事によって、文芸部の謎「杉岡真人の連載」は継続した。成瀬が終わらせようとした連載を、偶然にも救った形で。

 きっと俺は来年も書くだろう。その次は鷹山、その次の代と続いていくはずだ。そう思うとなんだか可笑しい。


 歩道には眩しいほどの光が満ちていた。宏樹は一仕事終えた充実感に浸りながら、この先の人生もきっと明るい、そうであってほしいと願った。

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